第7回 国を愛するってどういうこと?(後編)
川口好美(文芸批評家)
日本魂の可能性!?
こんにちは。いきなり質問です。「日本魂」ということば、みなさんならどう読みますか?
これは内村さんの「岩崎行親君と私」※1 という文章で使われていることばなのですが、「ニッポンコン」とルビが振られています。岩崎行親さんは、内村さんの札幌農学校時代の同級生です。内村さんは、「ヤマトダマシヒ(やまとだましい)」だと語弊があるから「ニッポンコン」と読んでください、と岩崎さんに重ねてお願いしたそうです。※2 内村さんの強いこだわりが感じられますよね。誰もが耳にしたことのある「ヤマトダマシヒ」ではなく、「ニッポンコン」という意外な読み方を使うことで、日本という国への自分らしい想いを示したのではないでしょうか。
「ヤマトダマシヒ」は、漢字で「大和魂」と書きあらわすのが一般的です。大和というのは、日本の異称ですね。
さて、「大和魂」を辞書で調べてみると、全然イメージの違った、二つの意味が載っています。一つは、〈学問の知識とは異なる、生活していく上での知恵や能力〉というような意味です。二つめは、辞書からそのまま書き写しましょう。
「日本民族固有の気概あるいは精神。(中略)清浄にして果敢で、事に当たっては身命をも惜しまないなどの心情をいう。天皇制における国粋主義思想の、とりわけ軍国主義思想のもとで喧伝された」※3
古くから用いられていたのは一つ目の方ですが(『源氏物語』にも登場します)、なじみ深いのは、二つめの方ではないでしょうか。スポーツ中継などで日本代表チームの闘いぶりをたたえる褒めことばとして、大和魂という表現が使われることがありますよね。
辞書の説明から、大和魂と戦争の結び付きが伝わってきます。このことばには、日本の人々のナショナリズムを刺激し、戦争を後押しする効果があったのです。戦争は人間が殺し合うむごいものですし、他国の人々の生活をおびやかすのは良くないことですよね。でも、清らかで勇敢な日本精神という、ドラマチックなイメージがある大和魂ということばで飾れば、戦争の悪い面から目を背けられます。そうすると、日本は正しいことをしているのだから、力を合わせて外国を倒さなきゃならないという考えにみんながとらわれて、自分たちの国がしていることを冷静に振り返れなくなってしまいます。
前回の話を思い出してみましょう。愛国心=ナショナリズムには、自分たちとは異なるものへの敵対心に変化するあやうさがありましたね。内村さんが「ヤマトダマシヒ」という読み方を避けたのは、このことばに、排外的なナショナリズムの危険性を感じていたからだと思います。

明治時代、日本はアジアのご近所さんである朝鮮半島や台湾に進出します。その行動が、後の大きな戦争につながる一歩だったことは、間違いありません。ですが、そこには、「侵略」という一言では言い表せない、人それぞれの理由や思惑が絡んでいました。それにかんして、評論家の竹内好さんは、つぎのように分析しています。かみ砕いて説明しますね。ちなみに、この文章が書かれたのは1963年です。
日本がアジアでとった行動は、ナショナリズムと深く結びついていた。その結びつきがあったからこそ、日本は急ピッチで近代化をなし遂げられたんだ。
竹内さんは、日本のアジア侵略を、仕方なかったと認めているわけではありません。すぐ後には、こんな気になることばを付け足しています。「問題は、それが人民の自由の拡大とどう関係するかということだ」※4
明治時代の人々が、自分が日本という国のメンバーであることを納得するためには、ナショナリズムの盛り上がりが欠かせませんでした。そして、その盛り上がりのなかで〝平等〟という希望が芽生えたことも、すでに見ましたね。こうしたことは、日本と同じように、〝列強〟の圧力を受けながら近代化の道をさぐっていた、他のアジアの国々にも共通していたはずです。
たぶん、竹内さんの言う「人民」には、そういう他国の人々も含まれているのだと思います。もしも日本人の愛国心が、アジアの人々へも広がっていく「自由」を生み出していれば、あんなひどい戦争は起こらなかったんじゃないか……。竹内さんはそのように想像しているのかもしれません。つまり、〈全部ナショナリズムが悪かったんだ〉と決めつけるのではなく、排外的ではないナショナリズムが持っている可能性にも思いをはせる必要がある、ということではないでしょうか。
竹内さんの考え方は、「ヤマトダマシヒ」ではなく「ニッポンコン」と読むことで、愛国心をとらえ直そうとした内村さんの姿勢を、受けついでいると言えそうです。
日本は、軍事力や経済力をものすごい勢いで高めることによって近代化しましたが、その過程で多くの戦争を引き起こしました。でも、戦争をしなくても、この国は繁栄することができるはずだ。日本の人々は、国を愛する「魂」を善用(良いことのために使うこと)できるはずだ。「ニッポンコン」には、そんな内村さんの信念がこめられていたにちがいありません。
けれども、現実にはその願いは挫折しました。内村さんがはぐくんだ「日本魂」とは、どのようなものだったのでしょうか。
明治のナショナリズムのゆくえ
多くの死者が出る大規模な戦争には、国民の協力が必要不可欠です。ですので、戦争をしようとする国は、戦争を正当化するための理由を準備して、〈どうしても戦争が必要だ〉と国民を説得します。国と国の戦争は、かならずそのような前段階を踏むものなのです。
近代国家としての日本の、最初の外国との戦争は、日清戦争ですね。
日本は以前から、朝鮮の経済を着々と支配下に置き、現地の人々の富を奪い取っていました。そうしたことへの不満から、朝鮮の人々は自分の国にたいして反乱(内乱)を起こしたのですが、日本は混乱につけこみ、現地の日本人の保護という名目で朝鮮に兵を送りました。朝鮮の隣国である清も、朝鮮政府からの要請で、出兵していました。こうして、二つの国の軍隊のにらみ合いが続き、ついに1894(明治27)年8月、正式に開戦します。
日本の政府はこんなふうに説明して、国民に戦争への理解・協力を求めました。
〈朝鮮は小さく、弱い国だ。日本が朝鮮国内の改革を手伝い、立派な独立国にしてあげないと、すぐに〝列強〟にのみ込まれてしまう。朝鮮が日本のようになるのを妨害しているのが、清だ。朝鮮には、清の古い野蛮な考え方ではなく、わたしたちの新しい価値観が必要だ。朝鮮のために、清を追い払おう!〉
じっさいには、地理的に日本よりヨーロッパに近い清国は、近代化を進めているところでした。しかし、政府の説明が新聞によって広がり、日本の人々に信じられたのです。そうして戦争がはじまると、日本軍勝利のニュースが紙面で大きく取り上げられ、これまでになくナショナリズムが盛り上がりました。※5
フランスのジョルジュ・ビゴー(1860年~1927年)が描いた日清戦争の風刺画