第28回 彼の地
前野健太(シンガーソングライター/俳優/エッセイスト)
農家兼ミュージシャンのアンドウさんから誘ってもらい、網走へライブに出かけた。
10年以上前、アンドウさんには北見でライブを組んでもらったことがある。
その時の北見は、極寒。ライブがはねて飲みに出かけたが、飲み屋を出るとあまりの寒さに震えたのを覚えている。今回は仕事の関係で、6月か7月に来て欲しい、と連絡があった。7月の上旬、羽田から女満別空港へと向かった。
夏の空港はいつも旅情で溢れている
女満別空港に着くと、アンドウさんが待っていた。ライブの手伝いをしてくれるというYさんも一緒に。車に乗せてもらい、網走の街を目指す。
途中車窓の風景が、あまりにも北海道で、気持ちが少し浮き上がる。
街に着き、時間が少しあったので、喫茶店に入った。ここがのちに旅の重要な拠点になる。店内で2人の普段やっている仕事の話を聞く。色々な仕事があるなと思った。2人の仕事は街や暮らしには重要な仕事で、それに比べて自分の仕事はあってもなくてもまったく街には影響のないものだと思った。2人は、そんなことないですよ、と言ってくれたが、謙遜でもなく、ホントにあまり影響がないものなのだ。
アンドウさんが組んでくれた今回のライブの会場は、うどん屋さんだった。うどん屋でライブをやるのは初めてで、アンドウさんと共に、店主のankyさんが前座で出てくれた。ankyさんもうどん屋兼ミュージシャンだった。
会場で準備を終え、辺りを散歩していると、店の周りの草花に西陽が注いだ。あまりの美しさに、言葉は届かないようだった。

透き通っている、光を含んでいる
2人のオープニング演奏をステージ裏で聴き、自分の番。90分、歌った。お客さんは色々な街から集まってくれたようだった。網走を楽しんでくれたらありがたい。自分もいつか誰かのライブを見に、遠出をしてみたい。街も楽しみたいから、こういう場合はあまり長いライブではない方がよいのかもしれない。街6割、ライブ4割。夜の街への序章となるような、ライブを。今後は心がけたい。
いい時間になってしまったが、夜の街へ移動する。軽く打ち上げをし、スナックを探した。実は今回の網走行きで、目的の場所が1ヶ所あった。スナック「花束」。昔エッセイに書いたことがある店だ。エッセイ集『百年後』の巻頭、「雪の花束」。そこに行きたかったのだ。
4人で2軒目を探しながら、スナックビルのような建物に入った。そういうビルがいくつかあった。そこで、ちらっと「花束」の文字が見えた。あった。しかし電気はついていなかった。定休日なのか。とりあえず明日行けばいい、とその場を離れた。2軒目の居酒屋でだーだー偉そうなことを喋って、振り返ると恥ずかしい。大人しく歩いて宿へ戻り、眠った。

花束
次の日も宿を取っていたので、その日はゆっくり網走を回ることにした。しかし二日酔いでだいぶ酒が残っている。何も調べないで来たので、とりあえず駅へ向かった。
観光案内所のようなものが、駅にあった。小さな、案内所だった。そこにレンタサイクルが1台あった。借りたかったが、ブレーキの調子が悪く貸し出せないとのこと。見た目はなんともなさそうなので、ちょっと乗ってみていいですか、と試運転させてもらう。まったく問題ないので、貸してもらうことに。係の人におすすめの場所を聞くと、地図を出して、能取岬という場所に、ペンで丸をつけてくれた。蛍光ペンでルートをなぞってくれて、自転車で30分くらいで行けますよ、と教えてもらう。少し行ったところにコンビニがあり、そこから先は岬まで店がないので、何か買うならそこで、と言われ、少し気が引き締まる。ヘルメットを装着し、いざ出発。
自転車を漕ぎ始めてすぐに、海が見えた。これがオホーツク海か。無断で漁をしないでください、という看板があり、その海は、美しかった。命が満ちていた。もうここがゴールでも良いと思ったが、先へ進む。

「密漁禁止」の看板
しばらく走るとゆるやかな上り坂になり、緑が溢れ始めた。走ってる自転車がいないが、大丈夫だろうか。車がスピードを上げて追い越してゆく。さらに上り坂になっていく。だんだん後悔の念が押し寄せてくる。前にも思ったが、北海道はレンタカーがないとどうにもならないのだ。それを心に刻んだはずだが、またやってしまったのか。ペダルが重い。さらに、この時は熊出没のニュースがよく出ていた。いかにもいそうな雰囲気で、でも上り坂なので速く走ることもできない。何をしに来たのだろう。

ママチャリで走る道なのだろうか
こういう道をひたすらに走った。どのくらい走ったのだろう。決して30分で着くような道のりではなかった気がするが、30分で着いたのかもしれない。道が開け、下り坂になった。そこを両足を広げ、一気に駆け降りた。46歳。でもその時は、歳なんて気にしてない。不思議なものだ。25歳でも、37歳でも、46歳でも、あまり気持ちは変わらない。なぜだろう。見た目だけどんどん変わっていく。
坂を下り終わると、一気に視界が開け、オホーツク海が広がった。灯台があった。ぱらぱらと観光客もいた。同じような自転車が2台置いてあり、弱音を吐いていた自分を恥じた。
ベンチに腰掛け、網走駅で買った帆立弁当を食べた。何も起こらなかった。海を眺めた。弁当を食べ続けた。鳥が飛んでいた。食べ終わるとすることがなくなって、また海を眺めた。

頑張ってくれたママチャリと灯台
昔から観光地、景勝地というものが得意ではないのかもしれない。手持ちぶさたで、自転車を押しながら歩いていると、見たことのない植物の茂みの中で、生き物がざざっと動いた。身構えた。怖い、と一瞬思った。ようく見ることはできなかった。猫よりは大きな感じがした。ビクビクしながらその場を離れた。
さあ帰ろうと地図を広げる。同じ道で帰ってもつまらないので、別ルートの遠回りで帰ることにした。ここまで来るのにだいぶ疲れたし、ゆっくり来た道を帰ればいいのに、どうもこういうことをしてしまう習性がある。貧乏性なのだろう。ヘルメットを装着し、自転車を漕ぎ始めた。
まず両足を広げて、あーああーと下った坂道。これを上るところで、気持ちが沈んだ。周りを見渡す。景色がデカすぎる。車で走ると、いい景色だなあ、で流れる風景が、自転車だとデカすぎる。こちらがポツンと小さく、速度も遅いから、ずっとデカいままなのだ。その風景をバックに自撮りしたが、ツーリングをしたことのないただの疲れたおじさん。この先に何があるか、まったく分からない。ペダルを踏まないと進まないので、自転車をひたすらに漕ぎ続けた。
つづく