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連載

第3回 松阪

前野健太(シンガーソングライター/俳優/エッセイスト)

 知らない街に行くと、まず探すのが肉屋、というわけではないけど、歩きながら食べるコロッケやメンチカツは最高。食べ歩きをやっている時が、人生で一番充実している時間かもしれない、とさえ思う。お行儀はよくないけど。
 この日は松阪にいた。三重の松阪牛で有名な松阪だ。前日近くの伊勢でライブがあり、その翌日、松阪競輪に行くために、松阪で一泊取ったのだった。
 松阪に来たのは2度目。1度目は何の用だったか。津で仕事があり、少し寄ったのだ。雨が降っていた。たまたま入った肉屋のコロッケがべらぼうに美味かった。よく覚えている。人生で一番だ、とその時思った。成人映画館、松阪大映も偶然見つけて寄った。これも素晴らしいロケーションだった。
 今回は打って変わって晴天。宿でオンボロのチャリを借りて、海でも目指してみようかと思い立った。距離は少しありそうだったけど、まあ何とかなるだろう。駅の周りをまず自転車でゆっくり流して、肉屋を発見。幸先が良い。前に来たところとちがうけど、間違い無いだろう。この看板。さっそくコロッケとメンチカツを購入。自転車のカゴに入れて、食べ歩きならぬ食べ漕ぎ。危ないけど。ゆっくりゆっくり漕げば大丈夫。

 これはもちろん美味かった。サクサクの衣がかばんに落ちて油染みができたが、そういうものだろう。仕方ない。もう抑えきれないのだ。食べ漕ぎを。しばらく漕いでいると眼鏡屋を発見した。古い眼鏡屋。これも好物のひとつだ。古い眼鏡屋さんに置いてある古い眼鏡。誰も買わなかった、けど「良いもの」が10年、いや、20年、下手したら30年、店の中で眠っていて、あるいはショーケースにそのまま置いてあるパターン。その中から自分好みのものを見つけてレンズを入れてもらうのだ。旅先だろうと関係ない。あとで送ってもらえばいい。1時間くらいで作ってくれるところもある。
 この日も作るつもりはなかったが、カランカランと店に入ると、やはり恍惚とするのであった。いろんな眼鏡がある。古い眼鏡もある。少し散らかっていたが、話を聞くと、最近は店に出るのも億劫になってると、店主のおじいさんが話してくれた。コロナ禍でお客さんもぜんぜん来なくなって、開けててもしょうがないから、どんどん店に立つ機会が減っていって、とそんなことを話してくれた。はじめは少しこちらを警戒していたが、本当に眼鏡が好きなやつだということが伝わると、ゆっくりと心を開いてくれた。そして作るつもりはなかったが、「その土地で眼鏡を作るというのはその街との交流、最高の土産」と自分に言い聞かせ、買うことに決めた。そうやって買った眼鏡が何個か、ある。
 めちゃくちゃいい店ですね、カッコいいです、いいフレームいっぱいありますね。心からそう伝えると、店主は喜んでくれた。「なんか勇気が湧いてきました」と、そんな言葉を返してくれた。こちらまで嬉しくなってきて、自分の生きる道はこれなんじゃないかと、うっすら思ったりした。

 1時間ほどでメガネは仕上がり、さっそくそれをかけて海を目指すことにした。
 自転車はボロだった。進みが遅い、重い。だけどありがたい。チャリがあれば海へ行けるのだ。電車やバスが通っていなくても。この日は9月半ばだったが暑かった。強い日差しが照りつけた。20分、いや30分ほど走ったか、汗だくだった。途中コンビニでデカい水を買い、また走る。そしてようやく海らしき標識が現れた。海に着いた。

 海では釣りをする人がいた。自転車にまたがったまま眺めた。釣り人はこちらを怪訝そうな顔で見つめていた。好奇心のまま行動していてはいけない年齢なのかもしれない。平日の昼間に自転車で港を訪れる人はいないのだろう。少なくともここでは。自転車は見かけなかった。小さな灯台のようなものが見えたので、そこまでぐるっと回って行ってみることにした。

 ぐるっと迂回すると川に出た。川が海になだれ込む、その時。川が海という名前になるその時。しばらく川と一緒に走った。

 そしてようやく防波堤に辿り着いた。少し先に灯台のようなものがあるが、もうそこまで行く気力はなくなっていた。暑すぎるのだ。しかし風は、少し涼しく、あ、秋は近いのかもと思わせた。

 しばらくそこに腰掛け、海を眺めた。魚が、小さな魚が何匹も泳いでいた。岸壁にもごもご顔をぶつけて、何か食べているのか。ああ、まったく自分の生活圏と関係ないところで、毎日、営みがあるなと思った。そこに小さな鳥が3羽飛んできた。ひゅーっときて、魚たちの近くにやってきた。これは狙ってるのかもしれない。ぴょんぴょんぴょんと1羽が右へ移動し、ぴゅーいぴゅい、と鳴く。残りの2羽もそこに移動する。会話が聞こえてくるようだ。鳥と、魚と、海と、自分しかいない。魚がやってきた。何匹かくるっと体を回転させて腹を見せた。キラキラキラと陽の光に反射した。美しい。鳥たちはそれを見ていた。はっきりと見ていた。どんな交流なのだろう。本当にそんなことがあるのだろうか。小さな小さな行いだったが「存在」の大きさは変わらないのだなと思った。いやそれどころか、海、魚、鳥、の三者間で、こちらの想像を超えた交流があって然るべきだろう。それを見させてもらえただけでもありがたかった。
 帰りは海に流れ込む川を遡上して、自転車を走らせた。熱い日差しに新しい眼鏡が光る。

 しかし何だろうこの不健康な白い腕は。海が似合わない。情けない。腕まくりして日焼けする気持ちで駅まで戻った。
 宿に自転車を返し、電車の時間まで松阪大映に行くことにした。色気のある成人映画館。1本見ることができた。どんな映画だったかまったく思い出すことができない。ただ、成人映画館と旅は相性が良い。うだつのあがらない男女、トホホな展開。どこか人生に似ている味わい。何とも言えない軽さがありがたいのかもしれない。

 成人映画館を出ると、なぜか清々しい気持ちになることが多い。松阪ともお別れか。最後にこの前来た時にめちゃくちゃ美味かった駅前のあんかけスパの店で締めて帰ろう。いい具合に腹も減ってるし。どういうのを食べようか。色々メニューを思い浮かべて店の前までくると、店は閉まっていた。

 残念すぎる。でもこれでまたこの街に来る理由ができた。松阪競輪もあるし。でも人生は意外に短いから、行きたい、と思った時に行かないと、色々なくなってしまう。近所の店だっていつの間にかなくなってしまったのだから。
 快速みえ号に乗って、帰った。車窓の夕暮れは、秋に向かい、少し色濃くなっていた。

 

著者情報

シンガーソングライター/俳優/エッセイスト

前野健太

まえの けんた

1979年2月6日生まれ、埼玉県入間市出身。2007年『ロマンスカー』によりデビュー。ライヴ活動を精力的に行い、「FUJI ROCK FESTIVAL」「SUMMER SONIC」など音楽フェスへの出演を重ねる。俳優活動においては、主演映画『ライブテープ』が第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」作品賞を受賞。NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』他、TVドラマ、CM、映画、舞台に出演。エッセイ集『百年後』を刊行するなど、文筆活動にもファンが多く、他アーティストへの楽曲・歌詞提供も行う。最新アルバムは『営業中』(2024年)。文芸誌『すばる』ではエッセイ「グラサン便り」を2014年から2022年まで約8年にわたり連載。

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