性知識イミダス:女性の「産まない」選択はなぜ制限されるのか(後編)「不妊手術」という選択の背景にあるもの
イミダス編
(構成・文/加藤裕子)
〈「女性の『産まない』選択はなぜ制限されるのか(前編)『わたしの体は“母体”じゃない』訴訟から見えてくること」からの続き〉
「わたしの体は“母体”じゃない」訴訟の原告たちにとって、なぜ他の避妊法ではなく「不妊手術」でなければならないのだろうか。そもそも、不妊手術とはどのようなものなのか、不妊手術がここまで厳しく制限されるのはなぜなのか。前編に続き、この訴訟の弁護団長を務める亀石倫子弁護士にうかがった。
*[2026年3月30日]末尾に編集部追記あり

亀石倫子弁護士
不妊手術は他の避妊法と何が違うのか
――まだ子どもを産んだことがない女性が不妊手術を望むことについて、もう少し詳しくうかがいたいと思います。近年、経済的な事情や子育て環境が整備されていないことなどを理由に「子どもを産まない」ことを選ぶ女性たちが増えていると言われますが、そのようなケースでは条件さえ整えば、子どもを産もうと考える可能性もあると言えます。一方、今回の原告の方々は、条件がどうであれ、そもそも妊娠したくないということですね。
今回の訴訟を起こすにあたり、私たちは5人の原告の方々からじっくりお話をうかがいました。それをもとに作成した原告の意見陳述書は「CALL4(コールフォー)」というサイトで公開されていますので、ぜひ読んでいただきたいと思います。
原告の皆さんが不妊手術を受けたい(妊娠したくない)理由は様々です。異性にも同性にも恋愛感情や性的欲求を抱いたことがなく、そういう自分が子どもを産むことなど考えられないという方もいますし、男性に恋愛感情を持つけれども結婚も出産もしたくないという方など、恋愛や結婚に対するスタンスも、それぞれ微妙に違います。
それでも5人全員に共通しているのは、子どもの頃から自分が「いずれ母になる」存在として扱われることに強い違和感を抱き、「女性は子どもを産むことが当然」という社会に息苦しさを感じていることです。絶対に子どもを産まない方法を求める中で、不妊手術が普通に選択できる海外の情報を知り、海外の病院で手術を受けた方もいます。
――不妊手術は卵管結紮術という方法で行われるということですが、具体的にどのようなものなのでしょうか。手術を受けることで、ホルモンバランスの変化などは起こりますか。
卵管結紮術は、左右の卵管それぞれを2カ所ずつ縛り、その間を切断する手術です。これにより、卵巣から排卵された卵子は卵管の切断されたところでストップします。精子も切断箇所より先には進めないため受精が起こらなくなります。

米国国際開発庁(USAID)、ジョンズ・ホプキンズ大学、WHOの共同研究(2022年)によれば、手術時に適切に卵管を結紮できなかった場合を除けば、不妊手術は基本的に一度行えば自然妊娠しなくなる避妊法です。骨盤内感染症を防ぐ他、卵巣がんの予防にも効果があると言われ、長期的な副作用は存在しないとされています。なお、女性ホルモンは卵巣から血液に放出されているので、この手術によってホルモンバランスが変化することはありませんし、月経も手術前と同様に起こります。手術の際は全身麻酔となることが多いですが、術後の回復は早く、日帰りか1泊の入院ですみます。
――妊娠を防ぎたいなら、わざわざ手術を受けなくても、避妊ピルの服用や、ミレーナなどのIUS(子宮内避妊システム)、IUD (子宮内避妊具)といった、女性が主体的に避妊できる他の方法もあります。「妊娠しない」ための手段が、なぜ不妊手術でなければならないのでしょうか。
原告の方たちからは、ピルやミレーナ等を試してみたけれど、むくみや体重増加、お腹の張りなどの副作用が出て、身体に合わなかったという話も聞きました。また、ピルには飲み忘れによる妊娠のリスクがあり、ミレーナが外れることも起こり得ます。費用面でも、ピルは継続的な支払いが生じますし、ミレーナは5年ごとに交換が必要となります。さらに、ミレーナの挿入は分娩経験のある女性にしか処置しないとする産婦人科も少なくありません。生涯子どもを産まないという確信を持ち、妊娠することへの恐怖心すら抱いている女性にとって、ピルやIUS・IUDは安心できる避妊手段とは言えないのです。自分の身体から確実に生殖能力を取り除きたいというとき、不妊手術は唯一の方法と言えます。
原告の方々にお話をうかがいながら思ったのは、「自分の身体に生殖能力が備わっていること自体に強烈な違和感がある」「生殖能力を取り除かないと、自分らしい身体だと思えない」という感情は、たとえば「男性になりたい」という欲求とはまったく別のものだということです。それが何かということは今の段階ではわからないのですが、おそらく、まだ名前が付けられていない欲求なのだと思います。
「後悔するかもしれない」「悪用のおそれ」等の懸念について
――不妊手術を受けると、後になってやはり子どもが欲しいと思っても、生殖能力を取り戻すことはきわめて困難だといいます。このような取り返しのつかない選択については制限は必要だ、という考え方もあるようですが、その点についてはどうお考えですか。
まず、「不妊手術は取り返しがつかない」ということについてですが、再手術で卵管を繋ぎ直し生殖能力を回復するハードルが非常に高いのは確かです。一方、自然妊娠にこだわらなければ、体外受精で妊娠する可能性はあり、仮に「やはり子どもが欲しい」と思い直したとしても、不妊治療によってその希望をかなえられる道は残されています。つまり「取り返しがつかない」という前提そのものが間違っているのです。
それをおいても、「取り返しがつかないから制限されるべきだ」という意見に対しては明確に反論できます。憲法学では、「取り返しのつかないこと」に対しては権利が制限される(自己決定権の限界)という伝統的な考え方があり、これはたとえば尊厳死のケースなどにあてはめられます。しかし、女性が子どもを産めなくなることは死と同列に論じることでしょうか。女性は初経が来る前は生殖能力がなく、いずれ閉経して妊娠できなくなるということを考えれば、生殖能力がなくなることイコール女性として死ぬわけではないはずです。
今回の訴訟で、国は海外の文献の翻訳書をもとに、「例外なく、多くの女性は不妊手術を受けたことを後悔している」と反論してきました。しかし実はこの翻訳書は原文を誤読していて、非常に問題です。それ以上に、長い間、自分の身体に生殖能力があることについて悩み苦しんだ末、成人女性が確信をもって決断したことに対し、「いつか後悔するかもしれないから、やめておきなさい」と止めるのは、パターナリズム(家父長主義)でしかありません。たとえ後悔したとしても、それは選択した本人の問題であって、完全に自己責任であるにもかかわらず、なぜ他人が口を出す権利があると思うのでしょうか。
また、「いつか後悔するかもしれない」選択は制限されるべきだというなら、子どもを産んだことを後悔する女性の選択はどうなのでしょう。たとえば、2022年に刊行された『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト著、鹿田昌美訳、新潮社)という本には、多くの「後悔している母親」たちの声が紹介されています。取り返しがつかないという意味では、子どもを産むことも同じなのに、「産まない」選択に対してだけ制限が課される合理的な理由は見当たりません。
「産まない」選択に対するハードルが男女で不均衡であり、生殖に関する男性の自己決定権は女性よりずっと尊重されていることも、大きな問題です。母体保護法では、男性は配偶者(妻)が「母体の生命」か「母体の健康」を損なう場合に限り、不妊手術を受けることができるとされています。
しかし医療現場の実態を見ると、法律に則って運用されているとは思えません。男性の不妊手術はいわゆるパイプカット(精管結紮術)で、左右の精管をそれぞれ2カ所ずつ縛り、その間を切断することで、精液に精子が混ざらないようにしますが、ネットで検索すると、女性の不妊手術を行う産婦人科は容易に見つからないのに対し、パイプカットを行うクリニックはたくさん出てきます。この点ひとつとっても、男女の間でギャップがあるわけです。また施術にあたり、配偶者がいる場合は同意を求めるところが多いようですが、本当に配偶者の「母体の生命」や「母体の健康」が損なわれるかどうかは確認されません。