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連載

宗教――信仰と自由はどう関係しているのか

第11回

吉田徹(同志社大学教授)

今回紹介する3作品のDVD。左から、『その手に触れるまで』(発売・販売元:TCエンタテインメント、税込4180円)、『ミッション』(発売元:アネック)、『ジャンヌ・ダルク』(発売・販売元:TCエンタテインメント)

 

 21世紀は「宗教の時代」として記憶されるようになるかもしれません。

 近代になって、人々は宗教や迷信から解放されて世俗化が進むと想定されました。人は、より合理的かつ理性的になり、自らの運命を自らの手によって切り拓いていくことができる――社会学者マックス・ウェーバーは、こうした近代世界の認識を「世界の脱魔術化」という言葉で跡付けました。

 しかし20世紀末からこうした状況が大きく変わり、21世紀になると「再魔術化」や「ポスト世俗化」という議論が見られるようになっています。日本では、1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件が起き、同時期にアメリカでは、複数のカルト集団による集団自殺が起きました。2000年代に入ってからは、9.11の同時多発テロや欧州各地でのイスラム原理主義者によるテロが、大小様々な規模で勃発しています。また、アメリカでは福音派と呼ばれるキリスト教原理主義の教団員が人工妊娠中絶を施した産婦人科医を殺害するという事件もたびたび起きています。個々の事件は教義だけに原因を求められない部分もありますが、それでも宗教的なものが現代社会で頭をもたげるようになったことは事実です。

 本来、世界の平和と調和、個人の安寧と幸福を願う宗教が、なぜ暴力的なものとなり得るのか。そして、宗教による個人の救済は可能なのか。それを知る手掛かりとして、今回は「宗教」をテーマとした3本の作品を見ていきます。

 

「赦し」はどう生まれるのか――『その手に触れるまで』

 最初に紹介するのは、カンヌ映画祭受賞者の常連、ベルギー人のジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟による監督作『その手に触れるまで』(2019年)です。ベルギーの首都ブリュッセルでは、2016年に死者30名以上、負傷者300名以上という大きな被害を出した自国のイスラム原理主義者によるテロが起きています。ダルデンヌ兄弟は、こうした欧州各地で頻発するテロに関心を持ち、この作品を制作したといいます(なお、同じ関心から制作された最近のフランス映画として『見えない太陽』〈2019年〉があります)。

 2015年のパリ同時多発テロの若い首謀者の一人もベルギー出身で、ブリュッセルのモーレンベークという地区で育っています。現地に住むジャーナリストの案内で筆者もこの地区を訪ねたことがありますが、ムスリム(イスラム教徒)によるムスリムのための店が軒を並べる一方、移民系市民との共生を促進するための施設もあり、相互理解のための様々な取り組みが地域をあげて行われていたことが印象に残っています。

 映画の主人公はアメッドという名の少年です。名前から解るようにムスリムの移民で(ベルギーの人口の7%がイスラム教徒とされます)、兄姉とともに母子家庭に暮らしています。こうした設定も、イスラム原理主義者の多くが移民の2世ないし3世で、青少年期に家庭でのトラブルを抱えるケースが多いという事実に基づいたものでしょう(*1)

 アメッドは、ある日突然、友人とテレビゲーム遊びに興じるような「普通の少年」から、私的モスク(礼拝所)に入り浸って義務である毎日5回の祈祷を欠かさず、クルアーンを諳(そら)んじるような敬虔なイスラム教徒へと変身します。理由は明確に説明されませんが、敬愛する年長の従兄がイスラム過激派として海外で殉死したことが彼に大きな影響を与えたことが示唆されています。

 イスラムの教えでは夫婦以外の男女が握手することを禁止しているため、アメッドは、親身になって彼を教える補習校の先生イネスとの身体的な接触も拒否します。心配するイネスは、クルアーンを一緒に読んで解釈について意見を交わさないかと誘い、補習校では歌でアラビア語教育を行う提案もします。ところが、アメッドの私淑するイスラム教の導師(イマーム)が補習校での歌によるアラビア語教育を批判し、聖戦をほのめかすのを聞いて、彼はイネスをナイフで殺害するという愚行に及ぼうとします。

映画『その手に触れるまで』より(©Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF)

 殺人は未遂に終わり、アメッドは少年院に入れられます。指導員は彼に優しく接し、研修先の農場の娘ルイーズも彼に好意を寄せますが、アメッドはイネスの殺害に依然として固執、逃亡を図ります。その足で向かったのは、イネスの勤める補習校でした。外壁を登って侵入しようとしますが、ここでも失敗し、彼は落下して負傷します。彼を助けようと現れたイネスに、アメッドは手を差し伸べて、こういいます。「イネス先生、ごめんなさい」。

 静謐に事実的出来事を積み重ねて多くを語らず、真実を語るのがダルデンヌ兄弟の作品の特徴ですが、この作品では宗教への視点は両義的であるように見えます。ひとつは、イスラム原理主義への批判的視点があります。例えば、まだ多感な少年を半ば洗脳し、他人を傷つけることを許容しておきながら、イマームが少年を守ろうともしない様子が描かれます。他方、アメッドは様々な要因から、家庭でも学校でも不安定な状況に置かれてる。そうした環境が描かれることで、彼が殺害行為に及ぼうとしたのが、必ずしも宗教的な理由だけではないことも強く示唆されています。すなわち、彼が犯行に及ぶには、必ずしも宗教の存在は必要ではなかったということも暗示されているのです。

 イネスに赦しを乞う最後のシーンで、アメッドは人間が持つ主体性を回復して、自ら反省の弁を述べます。母親にも嘘を付き通した彼が、他人に対して初めて正直に心を差し出せるようになります。信仰心から罪を犯したにせよ、それを反省する力を少年は持っている――それがダルデンヌ兄弟の導いた真実だといえるでしょう。

 

神の前の平等――『ミッション』

 神を信じることは、人間の強さにも転じます。そのことを史的事実にヒントを得て描くのが『ミッション』(ローランド・ジョフィ監督、1986年)です。主役級にロバート・デ・ニーロ、ジェレミー・アイアンズ、リーアム・ニーソンといった実力派俳優を揃え、カンヌ映画祭パルム・ドールの受賞作品です。ちなみに『ミッション』は、映画誕生100周年に寄せてバチカンの推薦する映画15選にも選ばれています。

 映画の主人公は、1750年代、現在のアルゼンチン、パラグアイ、ブラジルの国境付近に入植したイエズス会の宣教師たちです。宣教師の一人で、先住民(グアラニ族)への布教を熱心に行うガブリエル神父は、ある日、色恋沙汰から弟を殺してしまった奴隷商、メンドーザと遭遇します。ガブリエル神父は、怒りに任せて犯した罪の意識に苛まれていたメンドーザに贖罪の機会を与えます。それを受け入れたメンドーザは、奴隷のように重荷を引きずりながら険しい道のりを乗り越え、ガブリエル神父とともに山奥のグアラニ族のもとに赴くことになります。

 グアラニ族は、かつて自分たちの仲間を‟狩って”いた元奴隷商のメンドーザが、奴隷のように苦しみながら到着した姿を見て、彼を赦すことになります。ここにメンドーザは改心し、イエズス会士としてグアラニ族とともに生きることを決意します。

 ガブリエル神父ら宣教師たちは、先住民族もまた神の子であり、人間として処遇すべきである、と考えます。人は神が作ったのだ――それがフィクションであっても――という仮定があって初めて、見知らぬ人間たちも、自分たちと同じだと認めることができます。ゆえに、メンドーザとグアラニ族は、ともに神を信じることで、和解を果たすことができたのです。

映画『ミッション』より

 ここまでなら、凡庸なキリスト教賛美の映画で終わったかもしれません。しかし作品の後半は、政治的な雰囲気に彩られていきます。大航海の時代、新大陸はスペインとポルトガルの覇権争いの地でした。イエズス会の教区をどちらの国に組み入れるべきか。世俗権力であるスペインとポルトガルの国王、それら両国と良好な関係を保ちたい宗教権力たるローマ教皇庁、そして教皇に忠誠を誓いつつ先住民たちへの布教の使命を負ったイエズス会、さらにこれらに翻弄されるグアラニ族との複雑な力学のもとで、物語が展開していきます。

著者情報

同志社大学教授

吉田徹

よしだ とおる

1975年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は比較政治学、ヨーロッパ政治。著書に『ミッテラン社会党の転換』(2008年、法政大学出版局)、『二大政党制批判論』(2009年、光文社新書)、『ポピュリズムを考える』(2011年、NHK出版)、『感情の政治学』(2014年、講談社)、『「野党」論』(2016年、ちくま新書)、『アフター・リベラル』(2020年、講談社現代新書)などがある。

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