感染症――未知の脅威といかに向き合うのか
吉田徹(同志社大学教授)
2019年末に中国・武漢で最初の新型コロナウイルス感染者が発見されてから数カ月が経ちましたが、ウイルスの脅威とその影響は世界でますます深刻なものとなっています。4月初旬の段階で、世界の100万人以上がウイルスに感染し、実に人類の約半分に相当する33億人が隔離や外出禁止令で自宅待機の対象となっていると報告されています。
外出禁止や隔離が有効な対策だとされているのは、「ヒトからヒトへ」ウイルスがうつるからに他なりません。他人と接触することの恐怖が日常化している世界に突入しつつあると言っていいでしょう。
もっとも生物に寄生して生きていくウイルスは、それゆえ人間世界から完全に駆逐することはできません。この「自らにとっての脅威との共生を余儀なくされる」というウイルスの特性は、文学作品はもちろん、映画のテーマの常連であり続けてきました。米タイム誌は、2011年に感染症を題材にした映画のベスト10を発表しています。
中でも感染症が何であるのかを表象するのに適した映画の題材はゾンビ(リビング・デッド)でしょう。人はゾンビに噛まれることでゾンビになり、それがまたゾンビを生み、気が付けば身の回りは感染者ばかりという、疫病の恐ろしさを究極的に描くものだからです。
ゾンビ映画といえばジョージ・A・ロメロ監督が有名ですが、彼の代表作『ゾンビ』(1978年)は、外出禁止令を発令し、ゾンビになった肉親を抹殺する行政に対して市民が抵抗したために、ゾンビが増大していく様を描いています。これは、世界で実施されている自宅待機要請が当初守られず、コロナウイルスが蔓延していった現在の経緯を彷彿(ほうふつ)とさせます。
すなわち、ゴジラ・シリーズと同様、ゾンビ映画や感染症は現代社会における様々な脅威や不安の投射物として取り上げられてきました。『28日後…』は感染症爆発で狂暴になる集団行動を強調しましたし、『ワールド・ウォーZ』(マーク・フォースター監督、2013年)は、ゾンビとパンデミックの恐怖をパラレルに描き、実写映画版『バイオハザード』シリーズ(2002年~2016年まで計6作)は資本主義と大企業批判をテーマにしています。ゾンビに女性が執拗(しつよう)に追いかけられる『サンズ・オブ・ザ・デッド』(コリン・ミニハン監督、2016年)には、ストーキングの恐怖が投影されています。映画情報サイトIMDbでは3000以上のゾンビ映画がリストアップされています。ちなみに最も古いゾンビ映画は1932年に公開されていますが、人間の恐怖もそれだけ多様であることを表しています。

今回紹介する3作品のDVD。左から、『リビング・デッド サバイバー』(発売元:ギャガ)、『コンテイジョン』(発売元:ワーナー・ホーム・ビデオ)、『アンドロメダ…』(発売元:ジュネオン・ユニバーサル・エンターテイメント)
巣ごもりのためのゾンビ映画――『リビング・デッド サバイバー』
今回、最初に紹介するのは、外界がゾンビだらけとなって自宅で閉じこもりを余儀なくされた青年を描く、珍しいフランスのゾンビ映画『リビング・デッド サバイバー』(ドミニク・ロッシャー監督、2018年)です。映画は、シャイな青年のサムが、元カノと同棲していたマンションに自分の昔のカセットテープを取りにいくところから始まります。その部屋でパーティが行われている最中、お酒の勢いもあって彼は朝までうたた寝をしてしまいますが、目覚めると部屋の外が意味不明にゾンビの徘徊(はいかい)する世界になっていたというもの。
多くのゾンビ映画がアメリカの田舎を舞台にしているのに対して、『リビング・デッド サバイバー』はパリのオスマン様式という19世紀半ばに建てられた豪華なマンションを舞台に用意したことで、別様のゾンビ映画になっています。かくして、ゾンビを閉め出したマンション全体を完全にロックアウトし、他の部屋にある食料や物資を集めて、極めて快適な空間に暮らす主人公が生まれることになります。映画はそれなりの見せ場を盛り込みつつ、淡々とサムの日常を追いかけます。暇を持て余す彼は、自分で楽器を作ったり、運動をしたり、エアガンで外のゾンビを撃ったりと、「巣ごもり」の世界を堪能して暮らします。
ただ、彼が耳にする唯一の人間の声は、自分が子どもの頃の家族との会話が録音されたカセットテープからの音声だけ。唯一の話し相手はエレベーターに閉じ込められた老人ゾンビだけです。屋外のゾンビがなぜか全く視界から消えた日、寂しさに耐えかねた彼は大音量で楽器を鳴らし、ゾンビをマンションの周りに敢えて呼び寄せます。

映画『リビング・デッド サバイバー』より
物語に大きな変化が訪れるのは後半になって、ある女性が彼のマンションに忍び込んできてからです。屋根を伝ってサバイブしてきたこのサラという女性は、彼が苦労して作り上げた安全で快適な空間にとどまろうとはせず、旅に出ようとします。「なぜ脱出を? ここは安全なのに」と、サラに好意を抱きつつあったサムは説得にかかりますが、彼女は「きっと平和な場所がある。リスクを冒すべきよ」と言って出ていこうとします。
サラという存在が何を意味しているのかはここでは明かしませんが、サムは彼女の決意に促されて、自分の過去を象徴するカセットを燃やし、脱出を試みます。映画の最後で映し出されるのは、それまでの空間と全く異なる、パリの屋根を見渡す外界の景色です。
ゾンビに囲まれて生きていく孤独は『地球最後の男』(1964年)やそのリメイク『アイ・アム・レジェンド』(2007年)でも描かれていますが、『リビング・デッド サバイバー』は、青年の引きこもり生活からの脱出の過程を描きます。
コロナウイルス対策で都市がロックダウンされ、自宅待機や外出禁止が長引けば、私たちもサムと同じ境遇に陥ることになるでしょう。外出禁止が続くイギリスでは、国民の62%が将来を悲観するようになったと世論調査で回答しており、専門家は社会的な隔離が続けばPTSDに近い症状を人々に及ぼすようになると警鐘を鳴らしています。ウイルスに感染するリスクを背負って、私たちが外界に出ていくのは誰のためなのか、何のためなのか――そのことを問いかける映画でもあります。
パンデミックのシミュレーション――『コンテイジョン』
コロナパニックで改めて注目されている作品が『コンテイジョン』(スティーブン・ソダーバーグ監督、2011年)です。ソダーバーグ監督は、『トラフィック』(2000年)や『ザ・ランドロマット―パナマ文書流出―』(2019年)など、その時々の社会問題を定期的にテーマにしていますが、この映画もそのジャンルに入ります。マルチスレッド方式で物語が展開し、ドキュメンタリーを思わせるカメラワークなど、彼の作風も存分に生かされています。
ストーリーは、香港から発生した未知のウイルス「MEV-1」が瞬く間にアメリカ、東京、ロンドンなどに広がっていく中、これに対処するアメリカのCDC (疾病対策センター)や国連のWHO(世界保健機関)の職員たちの奮闘を中心に展開します。新型コロナウイルスよりも格段に致死率が高い「MEV-1」は、映画の中では最終的に世界で2600万人を死に追いやることになります。
感染症の専門家の協力を得て作られたこの映画は、コロナウイルスで多くの人が知ることになった感染力を示すR0(アールノート 基本再生産数)の計算式や基礎的な対策についての情報だけでなく、ウイルスの脅威やパンデミックで予期し得ることの全ての問題点が網羅されています。蔓延初期の医者の誤診断、行政当局と保健局との連携不足、科学者同士の張り合い、安全保障上の問題、ウイルスの進化、医療崩壊、都市のロックダウン、各国の情報操作合戦などです。いわばパンデミックが起きた場合のシミュレーション映画としても位置づけられるでしょう。

映画『コンテイジョン』より
例えば、コロナウイルス騒動で問題になったことのひとつは「インフォデミック」と称された、デマや偽情報の拡散でした。日本では当初「納豆がコロナに効く」として品薄になり、チュニジアでは同じようなデマからニンニクが大量購入されたとの報道もありました。ウイルスはヒトとともに拡散しますが、偽情報はSNSとともに拡散していきます。
『コンテイジョン』でも、CDCやWHOの陰謀説を喧伝(けんでん)したり、ウイルスにはある薬草が特効薬になると偽情報を流して株価を操作しようとしたりする有名ブロガー(SNSが一般的になるまでブログこそが個人の情報発信の主たる手段でした)が重要な配役として登場します。主人公の一人、CDCのチーヴァー博士は「パニックはウイルスより深刻だ」と指摘します。
コロナウイルス収束のためにはワクチン(抗体)開発が待たれますが、『コンテイジョン』でも最終的にワクチンが開発されて、物語は終わりを迎えます。もっとも、どのようにしてワクチンを国民に行き渡らせるのかという問題を扱う点で、この作品はさらなるリアリティを帯びます。劇中ではワクチン開発から接種開始までの時間に100日以上がかかり、生産が限られるなかで、どのような順番で国民に抗体を打っていくのかが大きな問題となります。今後、私たちも同じ局面を迎えた段階で、世界中で議論が巻き起こることになるかもしれません。作品では、くじによって選ばれた誕生日ごとに打つ順番が決まるという設定になっています。ウイルス対策以上に、ワクチン接種時に予想されるパニックを避けつつ、いかに収束させるのかという局面でも各国行政の手腕が問われることになるでしょう。