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連載

独裁者――いかにして生まれるのか

第6回

吉田徹(同志社大学教授)

「独裁者」と聞くと、時代錯誤の言葉のように感じますが、決して過去のものではありません。世界では隣国の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正恩国務委員長や、内戦止まないシリアのアサド大統領などは内外メディアで独裁者と形容されるのが常です。独裁者の名をほしいままにしたジンバブエのムガベ大統領も、つい最近の2017年まで、37年もの間国家元首の座にありました。

 流布するイメージを超えて、実際に「独裁者」とは一体どのような人物なのでしょうか。「20世紀は独裁の時代だった」と書く著名歴史家フランク・ディコッターは『人はいかに独裁者になるのか』という本の中で、「独裁政治は独裁者の性格から生まれる」という毛沢東の専従医の言葉を引きながら、独裁者はすべからく「弱さ」を抱えた人物である、と指摘します。つまり、独裁者は弱い存在だからこそ、政治で独裁を敷くという逆説です。だからこそ、独裁政治は常に粛清や弾圧を伴うことになります。それは彼らが疑心暗鬼に満ち、自らが統治する国民を信頼せず、将来の見通しに不安を抱えていたからだと、ムッソリーニやスターリン、金日成、チャウシェスクといった古今東西の独裁者の分析を通じてディコッターは言うわけです。だから、独裁が生まれる条件を探るためには、国の政治や歴史以上に、独裁者となる者の心性に迫らないとなりません。(*1)

 なぜ独裁政治が生まれるのかを心理学的に分析した有名な研究のひとつに『権威主義的パーソナリティ』(1950年)があります。これは、ナチズムの記憶がまだ新しい時代に、人々がなぜ権威主義的になるのか、すなわち独裁的になったり、独裁者に従ったりするのかを最先端の研究手法を用いて説明しようとしたものです。アメリカと亡命者となったドイツの社会学者や哲学者からなる研究チームが、アメリカ人への膨大なインタビューや調査でもってこの謎に挑戦しました。

 研究グループは、様々な観点から権威主義的な性格が生まれる理由を説明していますが、重要視されたのは独裁的傾向を持つ人間の家庭環境でした。彼らは、その人物が幼年期に両親との関係において、階統的・権威的・利己的な関係に置かれていた場合、服従と従属が当たり前となり、その自らの体験を自己以外の人物や集団に投影するために独裁的性格を持つようになる、と結論付けています。簡単に言えば、親が子どもに言うことを聞かせようと権威的に振る舞ったり、愛情に欠けたりする行動に出ると、子どもは強い者に対して面従腹背的な態度をとるようになり、自らを律することができず破壊的な衝動に駆られる傾向があるとしたのでした。(*2)

 今回は、こうした独裁者とそれを生み出す人々の心理に焦点を当てながら、3本の作品を見ていきましょう。

今回紹介する3作品のDVD。左から、『シークレット・オブ・モンスター』(発売元:ポニーキャニオン)『アドルフの画集』(発売元:東芝エンタテインメント株式会社)『ちいさな独裁者』(発売元:ニューセレクト株式会社)。

『シークレット・オブ・モンスター』――独裁者の誕生

 独裁者は家庭という身近なところから生まれるということを、クラシカルな映像と不協和音の背景音楽でもって描くのは『シークレット・オブ・モンスター』(ブラディ・コーベット監督、2015年)です。原題は、サルトルの小説からとった『ある指導者の幼年時代』です。

 舞台は第一次世界大戦直後のフランス。講和条約締結のため、アメリカ国務省から派遣された国務次官補とその妻、そして一人息子プレスコットの関係が主題です。フランス人の母親は敬虔なカトリック教徒で、父親が留守がちなこともあって、息子を厳しく育てます。父親も息子に優しいわけではありません。アメリカ政府の代表という権威を笠に着て、言うことを聞かない息子に「父親には敬意を示すべき」といって、やはり体罰を加えます。異国の地で友達もおらず、大邸宅に寂しく暮らすプレスコットは、当然このような環境に反抗的です。教会では仲間に陰から石を投げ付け、部屋に閉じこもって食事も拒否し、自宅で開かれる大事な国際会議の場を半裸で歩き回り、両親を困らせます。

 映画では、プレスコットの心理と行動に焦点が当てられていますが、彼は母親に従順なふりをしたかと思えば、若い女性家庭教師にいたずらしたり、召使に甘えたりと、子どもらしい一面をみせる一方で、暴力的な行動もとります。

映画『シークレット・オブ・モンスター』より

 ここまでなら、子どもの自我形成を描く、よくある映画のように見えるでしょう。この作品が秀逸なのは、児童の心の揺れ動きを機密に表現していることに加えて、その成長過程を第一次世界大戦後のドイツの戦後処理とパラレルに描いていることにあります。敗戦した帝政ドイツは、領土を取り上げられ、屈辱的な賠償金を課したヴェルサイユ条約を戦勝国と結びますが、これは戦勝国たるアメリカとフランス、すなわちプレスコットの父親と母親との関係と同一のものとして描かれます。戦後処理交渉に勤しむ父親と息子との関係は、父権主義とそれへの追随と追従のアナロジーです。ヴェルサイユ条約は、次の作品紹介でみるように、ドイツ国民に強い屈辱を与え、それに伴う軍国主義の台頭を招くことになります。

 ヴェルサイユ条約締結に際して、イギリス政府委員として参加した経済学者ケインズは、条約はヨーロッパに緊張を作りだし、その緊張が国境を越えて社会秩序を覆すことになる、と警鐘を鳴らしました。ドイツをいじめ抜いたヴェルサイユ条約がその後のナチ政権誕生に一役買ったことは歴史が示すところです。(*3)

 かくして映画は、ヴェルサイユ条約締結を祝うパーティの場でプレスコットが母親に暴力を振るう場面で終幕に突入します。彼はそのまま引きつけを起こして失神しますが、その後に突如として訪れるラスト3分のシーンは圧倒的です。ここで大人になったプレスコットは、ナチス・ドイツとスターリン時代のソ連を彷彿とさせる独裁国家のリーダーとして民衆に歓迎され、映画を観る者は独裁者プレスコットの誕生を目の当たりにします。独裁者プレスコットの顔を見た観客はその本当の出自を知ることになりますが、その秘密はここでは伏せておくことにしましょう。

 ところで、映画冒頭で子どもたちが集まって歌うのは、ユダヤ人に迫害されたとされるイエス・キリストの現行を記録した聖書「ルカによる福音書」の一節、「すべての民に与えられる大きな喜びを告げる」でした。プレスコットの父親がイエス・キリストを処刑したローマ帝国のユダヤ総督だったピラトを話題にするシーンも挿入されています。すなわち、『シークレット・オブ・モンスター』はユダヤ人迫害に帰結する独裁の心理的、歴史的誕生を描くものでもあるのです。

『アドルフの画集』――空虚を埋めたい心

 権威主義的な環境で育ったからといって、その人が必ず独裁者になるわけではありません。先の権威主義的パーソナリティの研究でも、その度合いが高くても、実際の行動に表れるには様々な条件が必要となると補足されています。

 ナチスを率いたアドルフ・ヒトラーは、いかにして独裁者となっていったのか――いわば独裁者ヒトラー以前のアドルフを描くのが『アドルフの画集』(メノ・メイエス監督、2002年)です。古くは『チャップリンの独裁者』(1940年)が有名ですが、戦後長らくタブー視されていたヒトラーを題材にした映画も、近年、多くみられるようになりました。『ヒトラー――最期の12日間』(2004年)や『わが教え子、ヒトラー』(2007年)、話題になった『帰ってきたヒトラー』(2015年、ちなみに『帰ってきたムッソリーニ』〈2018年〉というイタリア版も作られています)や最近封切された『ジョジョ・ラビット』(2019年)など、21世紀になってヒトラーものが多く製作・公開されるようになりました。この映画はその流れの先駆けに位置付けられます。

 公務員だった父親との不仲を経験した青年ヒトラーが画家を目指してウィーンの美術アカデミーの受験に失敗したことはよく知られた史実です。映画は、第一次世界大戦を伍長として戦って除隊し、芸術家を志すヒトラーが、ロスマンという、放蕩に明け暮れるユダヤ人画商と出会うところから始まります。

「反ユダヤ主義は嫌いだ」とこの時代に言明するヒトラーは、反ユダヤ感情をまだ抱いておらず、混乱に満ちた戦後期に理想を求める青年として描かれています。彼は「芸術は永遠の価値のみを反復すべき」といって、芸術に新たな時代の可能性を求めます。「私に才能があるんだな?」と問うヒトラーに対して、ロスマンは「君には凡人と違う何かがある」と、絵の道に進むように説得します。

映画『アドルフの画集』より

 この映画には、マックス・エルンスト、パウル・クレー、マルセル・デュシャンといった多くの前衛画家の名が登場しますが、ヒトラーの描く絵は未来派の系譜に位置づけられています。未来派とは、1909年にイタリアの芸術家マリネッティが始めた芸術運動の総称ですが、過去の文化を否定するとともに、時代意識を反映して、合理主義や近代主義をロマン主義的に再解釈しようとするものでした。未来派はその後ムッソリーニのファシズムに近づいていきますが、それを担ったのは「前線世代」とも呼ばれた、第一次世界大戦を戦った青年たちでした。彼らが「勇気、大胆、反乱」を謳った未来派に惹かれていったのは自然な流れだったのでしょう。

著者情報

同志社大学教授

吉田徹

よしだ とおる

1975年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は比較政治学、ヨーロッパ政治。著書に『ミッテラン社会党の転換』(2008年、法政大学出版局)、『二大政党制批判論』(2009年、光文社新書)、『ポピュリズムを考える』(2011年、NHK出版)、『感情の政治学』(2014年、講談社)、『「野党」論』(2016年、ちくま新書)、『アフター・リベラル』(2020年、講談社現代新書)などがある。

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