imidas - 情報・知識&オピニオン

連載

ロヒンギャ難民キャンプ再訪(2018年12月)

第12回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

「帰りたい」、でも戻れない1年4カ月

 ロヒンギャ(ミャンマー 西部ラカイン州在住のムスリム)の青年、モハマドワイ(22歳)の左腕は石のように固まったままだ。故郷ラカイン州のマウンドー市でミャンマー軍に腕を撃たれてから、もう1年と4カ月が過ぎようとしている。あれは悪夢のような日だった。軍と警察が突然、集落にやってきた。「家の中にいる者は外に出てこい」
 家財道具を供出させられ、飼っていた家畜を殺された。呆然としていると、いきなりナイフで切りつけられた。逃げだすと後ろから撃たれた。激痛が腕を貫いたが、殺される恐怖から走るのを止めなかった。3日かけて国境を越えて隣国バングラデシュに逃れ、コックスバザール郊外のテンカリ難民キャンプにたどりついた。否、たどりついたところがみるみるうちに難民キャンプになっていった。NGOからの派遣で診察に来てくれた医者は、上腕部に食い込んだ弾を抜き出して、骨をボルトで固定してくれたものの、治療はそれきりになっている。腕の痺れが続く中、呻くようにモハマドワイは言う。
「帰りたい。帰国して腕を治したい。元のように暮らしたい。だが、今のままでは怖くて戻れない」 

モハマドワイさん。左上腕に、銃創の手術痕がくっきりと残る。

ロヒンギャ帰還計画の茶番

 2017年8月25日から始まった、ミャンマー政府によるイスラム教徒ロヒンギャに対する民族浄化は、瞬く間に激しさを増し、膨大な数の難民を国外に流出させた。事態は収束するどころか凄惨を極め、追われるロヒンギャの数は増え続け、18年12月現在も約72万人がバングラデシュの広大な難民キャンプでの生活を余儀なくされている。
 同年11月11日、ミャンマー政府の閣僚たちはヤンゴンで、自らが追い出したロヒンギャ難民を帰還させる態勢が整った、という記者会見を開いた。それは画に描いたような茶番だった。
 ミャッエー社会福祉・救済復興相は、「ミャンマー政府が(ラカイン州にいたと)身元を確認したロヒンギャ2251人を第一陣として、その後も次々に受け入れる。ラカイン州の受け入れ施設2カ所を経て入国させる」と説明した。帰る場所のない難民たちを一度、収容してそこから戻すと言う。その上で「ミャンマー政府は帰ってきたロヒンギャ難民に米や油などの食糧と、1人につき1日1000チャット(約70円)の現金を支給し、家を燃やされた被害者には、住居を提供するほか、自分たちで住居を建てる場合は労賃を支払う」と表明した。
 この会見からは、ミャンマー政府が二つの事実を少なからず認めていることが浮かび上がる。一つは、彼らが軍事行動によって追い出したロヒンギャが、ラカインにもともと住んでいた人々であるということ。もう一つは、ロヒンギャの家が燃やされているという現状である。
 当然ながらこの声明は、バングラデシュのロヒンギャ難民たちの元に届いている。しかし、これで生まれ育ったラカイン州に帰還できる、と快哉を叫ぶ者は誰一人としていなかった。
 なぜか? この帰還に際して渡されるのはミャンマー国民としての身分証ではない。ミャンマー政府が帰還難民に配布するというNVC(National Verification Card、国籍未審査者向け身分証明書)は、ミャンマー国籍を取得したい「外国人」に対して発行される証明書である。
 外国人としての登録しかされないのであれば、いつ何時また迫害され、追い出されてしまうか分からない。NVCを受け取るという「踏み絵」を一度、踏んでしまえば、自身で「ミャンマー国民ではない」と宣誓したことになる。それはアイデンティティーの面ではもちろんのこと、安全を確保するためにも到底できない。殺人、放火、レイプを繰り返した軍や警察は、現在もそのままラカイン州に残っているのである。

ミャンマーを分断する身分証の「色」

 1948年に対イギリスの独立戦争に参戦し勝利を収めて以降、ロヒンギャは紛れもなくミャンマー国民として認められていた。52年には制度の告知が不十分ながら、12歳以上であればNRC(National Registration Card)という身分証が交付された。それが一転、無国籍にされてしまったのが、 82年、ネ・ウイン独裁下のときである。ビルマ市民権法(国籍法)が制定されて、135の土着民族が国民として認められ、同時に「全国民」「準国民」「帰化国民」の三つに区分されることになったが(すでにここに民族の格差が作られている)、ロヒンギャはそこからさらに外されてしまう。

 1989年にはそれまで全国民が持つことが可能だったNRCが一度回収されて、これと引き換えに新しくCSC(Citizenship Scrutiny Card)という国民カードが発行された。そのときに国内の135民族には、区分に応じてピンク(全国民)、青(準国民)、緑(帰化国民)の国民カードが渡された。しかし、ロヒンギャ民族に対してだけは何も交付されず、95年以降、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に強く要請されて、TRC(Temporary Registration Certificate、暫定登録カード、通称ホワイトカード)という身分証が交付された。ホワイトカードには国籍証明にはならないことが明記されており、所有者の移動や就業の権利も限定されていたものだったが、これさえ政府によって2015年に無効とされ、NVCへの切り替えが進められている。
現在、日本国籍を取得して日本で暮らすロヒンギャの長谷川るりか(27歳)は、幼いころ、ミャンマーで身分証を受け取りに行ったときのショックをこう語る。
「ミャンマーでは10歳以上になると誰もが国民カードを与えられるんです。私の祖父も父も持っています。でも私が12歳になって、カードを受け取りに役所に行くと、『ここはお前のようなカラー(ロヒンギャに対する侮蔑語)が来るところではない。二度と来るな』と追い返されたんです。自分の父祖が持っているものを私の代から受け取ることができないという悲しみは、言葉にできませんでした」
 後になってようやく受け取れたが、それは学校のみんなとは違う白いカードだった。
「なぜ私はピンクではなくて白いカードなのか」

国際社会も安易な帰還を危惧

 ミャンマー政府は、難民を呼び戻すという姿勢を見せることで、国際社会からのジェノサイドに対する批判をかわそうとしたに過ぎない。このスタンドプレーはロヒンギャ問題を調査していた国連も看破していた。ミャンマー政府の記者会見が行われてから2日後の11月13日。OHCHR(国連人権高等弁務官事務所)のミシェル・バチェレ弁務官は、バングラデシュ政府にロヒンギャ難民の移動を止めるように求めた。この帰還計画は国際法に違反し、ロヒンギャの命を危険にさらすと警告したのである。

「ノン・ルフールマンの原則」、すなわち、難民を生命や自由が脅かされる恐れがある国や地域へ追放・送還してはならないという、難民条約に明示された規定に基づく要請である。バチェレ弁務官はチリの大統領を2期務めた女性政治家で、1973年のチリ・クーデター後、ピノチェト独裁政権による拷問で父を亡くしており、自身も母親と一緒に逮捕されて拷問を受けた後、オーストラリアに政治亡命したという過去を持つ。かつての被弾圧当事者は、国際法以前に、難民が民主化とはほど遠い故国に送還されることがどれだけ危険か、熟知していると言えよう。
 バングラデシュ政府も帰国を追い立てるようなことはせず、あくまでもロヒンギャ難民の判断を尊重するという態度に出た。
 その結果、どうなったのか。2018年末、難民キャンプに来てみれば、一人も帰還をしていない。

クトゥパロン難民キャンプ。

 それを逆手にとって、ミャンマーでは、こんなフェイクニュースが政府系メディアの「ザ・ボイス」などを中心に発信され続けている。「国軍は虐殺も放火もしていない。彼ら(ロヒンギャ)は勝手に自分たちで村に火をつけて逃げた。ミャンマー政府は国として帰還の受け入れを宣言しているのだから、難民が帰ってこないのはロヒンギャ側に責任がある」
しかし、迫害の加害者を放置し、難民が帰れないように仕向けているのはミャンマー政府自身である。
 モハマドワイの傍らにいた15歳の少女ベハナベガムが、意を決したように語りだした。モハマドワイ同様に、マウンドー市ケイインション村から逃れてきた彼女は、指がもう動かない。
「家の中に押し入ってきた兵隊と警察に、目の前で弟を殺されました」
 それから刃物で身体を切りつけられ、手を火で焙られた。恐怖で身体が動かなくなったところを次々と男たちにレイプされた。
「私たちをこんな目に遭わせた人たちが、まだ逮捕もされないでいる。怖くて帰れない。1年経っても起きたことが思い出されて眠れない。ICCに裁定をお願いしたい」

ベハナベガムさん。右手の火傷が痛々しい。

 ICC(国際刑事裁判所)という言葉をどれだけ聞いたことか。被害に遭った難民たちは、加害者たちを国際法廷のICCに裁いてもらいたいと口を揃える。
 ミャンマーはICCに加盟していないが、ロヒンギャが避難したバングラデシュは加盟している。ICCは、避難先が加盟国なら管轄権が及ぶとして人道上の罪を問おうとしている。しかし、ミャンマー政府はICCの関与を拒否し続けている。結果、ジェノサイドの主犯たちは何の裁きも受けずにいるのだ。

難民キャンプで子どもたちを教え導く

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

関連記事

新着記事

imidasの更新情報をお届けします。