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連載

止まらない人道危機、ロヒンギャ難民の実像

第1回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

空前の迫害が始まった

 ついに60万人を超えた。ミャンマーからバングラデシュに逃れて来たロヒンギャ難民の数である。東京23区で言えば杉並区の人口を超え、NATO加盟国で言えばモンテネグロのそれに匹敵する。戦慄するのは民族浄化された人々の数の「多さ」だけではなく、その「速さ」である。2017年8月25日から始まったミャンマー軍による軍事掃討作戦は苛烈を極め、たった2カ月の間でこれだけの人間が追い出された。単純計算しても1日に1万人が国境を越えている計算になる。
 ロヒンギャとは、ミャンマー西部のラカイン州に居住するムスリムのことで、1948年のビルマ独立時には定住国民として認識されており、直後は国会議員にも選出されていた。しかし、1962年にネ・ウィン将軍による軍事クーデターが起こり、独裁軍政が敷かれると、仏教国における異教徒として民族差別が始まった。1978年には「ナーガミン作戦」と呼ばれる軍事掃討行動によって約30万人が国外への避難を余儀なくされ、さらに1982年になると人道危機が頂点に達する。「ビルマ市民権法(国籍法)」が制定されたのである。同法は「ミャンマーは135の民族が存在する多民族国家である」と一見融和を謳ったリベラルな法であるが、実はこの中にロヒンギャは含まれていない。同法の定義は1824年のイギリスとの第一次英緬戦争より前に住んでいた民族を正規のビルマ国民として認定するもので、ラカイン州におけるムスリムの存在は文献によれば、15世紀アラカン王国の頃から歴史的にも証明されていたのであるが、これらを無視するかたちで、ロヒンギャはバングラデシュから違法に移住してきたベンガル人無国籍者とされてしまったのである。この、民族浄化にお墨付きを与えるような法律によってその存在自体を否定されたロヒンギャはこれより現在に至るまでまさに「合法的」に迫害され続けている。現在はラカイン州の民族集住地帯からの移動を制限されて、公民権も剥奪されている。

ミャンマー西部ラカイン州からバングラデシュに、難民の流出が続いている。

認められない「136番目の民族」

 筆者はミャンマー政府軍による軍事作戦が始まった翌日の8月26日、ヤンゴンに入った。当然ながらすでに現地でもラカイン州での戦闘については情報として広く流布されていたが、そこで拾った一般的な、まさに一般的な人々の声に大きな違和感を持った。一言で言えば、まったくの無関心なのである。ロヒンギャの人権問題についてどう思う? と語りかけると、礼儀正しい敬虔な仏教徒の彼ら、彼女らが口をそろえて「それはベンガル人です」という。約600キロ離れた地域で行われている軍による弾圧に対して、賛否を述べるという次元ですらないのだ。
 同時期、日本の市民団体のメンバーがアウンサンスーチー・ミャンマー国家顧問の所属政党である国民民主連盟(NLD)のオフィスで同じようにロヒンギャについて質問すると、「それについてはラカイン州に教育機関を設けている」という答えが返されて、要はすかされたという。そして必ず枕詞のように言われたのが、「わが国には135の民族がいます」という文言だったそうだ。先述したビルマ市民権法に基づくものである。
 ここで改めて思う。これは何とグロテスクな法であるのか、と。つまりは136番目は認めないということに他ならない。民族とは、一体血なのか、言語なのか、地域なのか、文字なのか、宗教なのか、その定義すらあやふやなもの、そして極めてフィクショナルなものである。それを固定化してカウントすることでその他のものの排除に向かう。これは危険だ。

民族がカウントされるときに何が起こるか

 例えば、民族紛争で崩壊してしまったかつての旧ユーゴスラビアは七つの国境、六つの共和国(ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、クロアチア、モンテネグロ、スロベニア、マケドニア)、五つの民族(セルビア人、クロアチア人、モンテネグロ人、スロベニア人、マケドニア人)、四つの言語(セルボ・クロアチア、スロベニア、マケドニア、アルバニア)、三つの宗教(カトリック、東方正教、イスラム)、二つの文字(ラテン、キリル)を持つ一つの国家と謳われていたが、実際はさらに複雑で他の民族(ボシュニャク人、アルバニア人、ロマ等)も生活をしていたし、ダブルの人々も多数存在していた。それ故にナショナリズムが台頭する以前は、民族は自主申告制であった。個々のアイデンティティーの問題として国民各々に任されており、自分の民族籍を宗教や言語に求めず、まさに南スラブの民、ユーゴスラビア人であると規定している人も多数存在していた。ところが90年代に入り、社会主義のタガが外れると民族主義を煽る政治家の台頭により、自分は何人であるのか、旗幟鮮明にせよという空気が高まり、そのまま分離独立運動へと発展し、内戦の泥沼にはまっていってしまった。サッカーの元日本代表監督であり、内戦勃発当時(90年代初頭)のユーゴ代表監督であったイビツァ・オシムは引き裂かれていくイレブンの様子を「彼らは(ユーゴ代表から何民族を選択するのか)決めさせられている」と表現した。
 あるいはセルビアから独立した現在のコソボを例にとれば、その国旗は地形に六つの星が配されている。この星は居住しているアルバニア、セルビア、ボシュニャク、トルコ、ゴラン、ロマの六つの民族を意味しているが、実際には他の民族、クロアチア人やマケドニア人も存在していることから、あくまでも多民族国家としての象徴としての意匠であり、七つ目の民族を認めないという意味ではない。ことほど左様に民族を明確にカウントすることは裏を返せば血統主義にも繋がり、排除という毒を孕む。
 アウンサンスーチーを支持して軍政に抗い、現在はヤンゴンにオフィスの有るNGOに勤め、リベラル、寛容と言われるビルマ族スタッフですら、ロヒンギャに対して、(1988年の民主化運動では共に闘ったにもかかわらず)極めて冷淡な態度を取ることを耳目にした。
 対立している民族、という見方とも違う、ただただ過激な異教徒、違法犯罪者という口調なのだ。考えてみれば、ロヒンギャをミャンマーの民族ではないと規定してしまったビルマ市民権法が制定されてから、すでに35年が経過している。40歳代以下の仏教徒たちにすれば、生まれたときから「ロヒンギャは存在しない」という公的な歴史教育を受けているのである。対立民族への憎悪すらなくなり、彼らを不可視にしてしまうには十分な年月がすでに経っているとも言えるのだろう。

ラカイン州で見たもう一つの差別

 一方で、翌日に渡ったラカイン州で予想外の出会いもあった。筆者は現場取材を手伝ってくれる運転手兼助手を探していた。先述した通り、ロヒンギャは移動の自由が制限されているので身動きが取れない。それでも伝手を辿っていくとひとりの人物がラカイン州北部のシットウェ空港まで迎えに来てくれた。ゾウと名乗った。熱心に取材をサポートしてくれるゾウに背景を聞くと、「俺は(ロヒンギャではなく)アラカンだ」という。ラカイン州ではムスリムのロヒンギャと仏教徒のアラカンという民族が激しく対立しているという報道がなされており、実際にアラカンの右派民兵組織が焼き討ちなどを行っているとも聞いている。そんな民族がロヒンギャに対する取材に協力をするはずなどない、という先入観で見ていたが、実際に車を操り、ロヒンギャのエンクレイブ(飛び地の異民族居留地)を案内し、淡々とその迫害の歴史を語る彼はまぎれもなく仏教徒であった。現在は政府による分断が進んでしまったが、2012年になるまではムスリム(それでもやはり「ロヒンギャ」とは呼ばなかった)とも同じ学校で学んでいて、仲の良い友人もたくさんいたという。そして、アラカンもまたミャンマー中央政府からは厳しい弾圧を受けていると指摘する。「見せたいものがある」と川に連れていかれた。停泊する幾多の小さな漁船に家族が鈴なりになって暮らしているのが見えた。いわゆる土地を追われた水上生活者たちであった。「皆、アラカンだ」と言う。船底に向けて目を凝らすと、砂や泥がこびりついた壁に老婆や子どもがもたれかかってじっとしている。不衛生な状態が一目瞭然であった。

ラカイン州シットウェで見た、水上での生活を強いられるアラカン族。

 この問題は宗教差別だけではなく、ラカイン州に対する地域差別でもあるのだ。その中でも無国籍者のロヒンギャは最下層に置かれる。ゾウが言うには現在、ロヒンギャはアラカンとの交流も含めた外部との接触を絶たれている。
 分断された現場はシットウェ市内の至るところで見ることが出来た。破壊されたモスク、ピンポイントで燃やされたロヒンギャがかつて生活していた住居、そして隔離され警察に監視されるコミュニティ。

当事者が語る迫害と分断の実態

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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