第31回 武田一義「戦争と想像力」
武田一義(マンガ家)
(構成・文/朴順梨)
日本軍の戦死者1万人以上、最後に生還した兵士はわずか34人。
日本から約3000キロ離れたパラオ共和国のペリリュー島では、1944年9月から11月にかけて、日本軍とアメリカ軍が激しい死闘を繰り広げた。その「ペリリュー島の戦い」を軸に、若くして苛酷な戦場に送り込まれた兵士たちの壮絶なサバイバルの日々を、3頭身のコミカルなテイストで描いたマンガがある。『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』(白泉社)だ。
2016年から現在も『ヤングアニマル』誌上で連載されているこの作品は、一人の男性が海岸に立ち「ここに祖父がいた」と独白するシーンから始まる。しかし作者であるマンガ家の武田一義さん(44歳)は、「これは自分の祖父のことではない」と語る。史実を元にしたフィクションというわけだが、なぜペリリューの戦いをテーマにしたのか。武田さんに話を聞いた。

戦いの中にある、兵士たちの日常を描きたかった
武田一義さん(以下、武田)「僕はそれまで、ペリリュー島を知らなかったんです」
武田さんがこの作品を手掛けるきっかけになったのは2015年4月、現在の上皇夫妻がペリリュー島へ慰霊訪問に向かったニュースを見たことだった。戦後70周年の2015年、マンガ誌の「ヤングアニマル」編集部では戦争をテーマにした読み切りムックを手掛けることが決まっていた。そこで武田さんにも、執筆の依頼があったそうだ。
武田「担当編集から“戦争ものの読み切りを描きませんか”と声をかけてもらったんです。確たる理由があったわけではないのですが、昔から戦争を題材にした作品を1回は描いておきたいという気持ちが漠然とあって。だから“じゃあこの機会に”と思って引き受けました」
なぜペリリュー島の戦いを描くことになったか。それは担当編集が「ペリリュー島というのがありまして」と切り出した際に、「あ! 天皇陛下(当時)の行かれたところだ!」と繋がったからだと武田さんは言う。
武田「このムック全体の監修者が、のちの連載でも原案協力をしていただいている戦史研究者の平塚柾緒さんで、ペリリュー島関連にとても詳しい方だったんです。ちょうど慰霊訪問もあったし、専門家にお話を聞けるいいチャンスなので、‟じゃあペリリュー島を描こう”と決めました」
武田さんは、このムックで読み切りマンガ『ペリリュー 玉砕のあと』を発表。これは、のちの連載と同じキャラクターたちが登場するものだが、設定などは違っていて、いわば連載とはパラレルワールドの物語となっている。
武田「この読み切りを書く上でペリリュー島について、たくさんの資料を調べました。その時は現地に行ったりとか、生還者のお話を聞いたりとかはしていなくて、ただ本を読んだりドキュメンタリー映像を見たりしていました。でもそれだけでも読み切りではとても描き切れないというか、描きたいことがたくさんあったので、僕の方から担当編集に“できれば連載も描いてみたいです”と打診したんです。それでOKが出たので、連載用にストーリーや設定を組み直しました」
読み切りを描いていた時から武田さんは、戦いそのものではなく戦いの中における兵士たちの日常を描きたいと思っていたそうだ。
武田「戦場って僕たちには非日常だけど、そこにいる当事者にとっては日常ですよね。現代の僕らにとっての非日常である誰かの日常を描きたいという思いが、ずっとありました。だから“勝った/負けた”や“作戦が成功した/失敗した”ということとは違う部分を掘り下げたかったんです。僕、取材前は元兵士の方って、厳しい方が多いのではないかと勝手に想像していたんですよ。でも平塚さんが元兵士から聞いた話を伺っていたら、ドキュメンタリー作品ではこぼれ落ちてしまうような、それこそ人間味があふれる話がたくさんある。『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』にもたまに下ネタが出てきますが、それよりもっとどぎついものとかを聞きました(笑)。あとは“将棋をして遊んでいた”というお話も聞きましたが、それって戦争のさなかのことなんです。彼らは四六時中戦っていたのではなく、お手製の将棋の駒や花札とかを使って遊んでいたこともあったそうです。なんとなく予感してはいましたが、平塚さんからお話を聞いたことで“70年前の若者も僕らと変わらない”と確信できました」

戦争の美化も、当事者も貶めることもしたくない
サンゴが隆起してできた小さな島ペリリリューが舞台だが、死と戦闘という要素を除けば、登場人物が思うことや起きることは、現代とそう変わらないような印象を受ける。武田さんはそれぞれのキャラクターに、一体どんな思いを込めたのか?
武田「今、世の中的になんとなく“これが正しい”と言われているものってあるじゃないですか。実はそれに対する意見って一人ひとり違ったりするけれど、普段はいちいち主張することなく生活していますよね。そういう感覚を描きたかったので、なるべく違った考え方や性質を持ったキャラクターを登場させました。主人公の田丸のように徴兵されたから戦地に行ったけれど、人生のプランに戦争があったわけではなくて、たまたま来てしまった人も多かったはず。だからそんな“たまたまそこにいた人たち”を描きたいとも思ったんです。
作品に取り掛かる際に、やってはいけないことを自分の中でいくつか決めていました。その一番は、戦争を美しく描いてしまうことです。戦争のために自己を犠牲にするというところも、自分の中では美しく描かないようにしようと。メインキャラクターの田丸と吉敷の二人は生き延びたいという願望がとても強い。その二人を話のメインに置くことで、美化しないようにできているのではないかと思います。そして、同時に当事者たちを汚してもいけないと思いました。だから元兵士たちの人生には、できる限りの敬意を払う。この二つを両立させるのが、僕が目指すところです。
戦争物を描く際にやってしまいがちなのが、軍人個人を悪人にしてしまうことだと思うんです。でも戦争を否定するために“こいつは悪い奴だ”みたいな描き方をするのは、僕としては違うなと。もちろん生還者の方も全て話されているわけではないし、証言が真実のすべてではないことは分かっています。そのことを念頭に置きつつも、戦争を否定するために誰かを貶めることはしたくないんです」
死屍累々(ししるいるい)の状況の中、田丸も吉敷も2019年5月現在の連載回では、すんでのところで命を繋ぎ続けることができている。主人公が死ぬと話の展開が難しくなるのは事実だが、不死身過ぎると逆に嘘臭くなってしまわないだろうか。
武田「主人公が死ぬと話が終わってしまうので、そこはなんとか乗り切ろうと(笑)。ただ、不公平にならないようには気をつけています。“主人公だから助かったんでしょ”みたいな感じにはしたくないので、英雄的な行為をしつつ生き延びるというミッションは、メインキャラクターには課さないようにしています。
生き残るべくして残っていることが読者に伝わるように、田丸も吉敷も生きることを優先した行動を取るように描いているつもりです」

抗がん剤の副作用から、現在の絵柄に辿り着く
武田さんは『変[HEN]』『GANTZ』などを手掛ける奥浩哉さんのアシスタントを足掛け7年していたこともあり、アマチュア時代はシリアスな絵柄を描いていた。しかしデビュー作となった『さよならタマちゃん』(講談社)以降は、現在のコミカルなテイストになったという。
武田「『さよならタマちゃん』は僕自身の睾丸がんの闘病を描いた作品。苦しくてしんどいシーンもあるので、絵をかわいくして読者の辛さを和らげようということが一番でした。あとは抗がん剤の副作用による手のしびれが、今も続いていることがあります。描き込みの多いタッチは手に負担が大きくて。マンガの連載は時間との戦いだし、描くという作業は肉体労働の要素が強いので、以前のような精密な絵は厳しいだろうなと。だから両方の意味合いで、今の絵柄が一番良い選択だったんです。
『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』って徐々に徐々に、表現的には残酷度が増していく造りになっているんです。でも実際の戦闘は1巻が描いた1944年頃が一番酷かった。その頃に何千もの人が一気に戦死してますから。でもそれをいきなり描いてしまうと、おそらく多くの読者が脱落してしまうので、1巻では死体にフォーカスしない演出をしました。以降は読んでいる人が残酷な場面に慣れてきたと思うタイミングで、少しずつ残酷度を上げるようにしています。なので巻が増すごとに、えぐみも増しているんですよね」
1944年11月24日、ペリリュー島の日本軍は玉砕した。しかし物語は1945年に突入し、現在も連載は続いている。
負傷しながらも九死に一生を得たある者はただ生きたいと願い、ある者は生きるために米軍の物資を盗もうとして殺される。田丸や吉敷たちも逃げては隠れを繰り返しながら、必死に生きることを求めている。この戦いの行く末はわかっているはずだが、4巻の帯に重松清さんが寄せた「『奇跡』を望みながら頁をめくってしまう」という言葉の通り、読者としては登場人物たちが一人でも多く生き延びて欲しいと願うし、同時にこれ以上アメリカ兵を殺さないで欲しいと感じている。そして戦後も長く生き続け、戦争を美化することなく受けとめ続けて欲しいと、この作品の読み手である私は思ってしまう。……我ながらワガママだと鼻白んでしまうが、そんな結末を願ってやまないのだ。