第21回 柳澤協二「別の道を探す」
柳澤協二(国際地政学研究所理事長、自衛隊を活かす会代表)
(構成・文/加藤直樹)
北朝鮮の核・ミサイル開発や中国との間の尖閣諸島をめぐる対立など、このところ、「戦争」の影が以前より近くに迫って見える。しかし、防衛官僚として小泉・第一次安倍・福田・麻生内閣で官房副長官補として安全保障・危機管理についてのご意見番を務めた柳澤協二さんは、こんなときこそ、不安に流されるのではなく、事態の本質を見極めるべきだと語る。大事なのは「戦争の種」を取り除くことだと。お話を伺ってみた。

グローバル経済時代の危機
今、多くの人が戦争の不安を抱き始めています。昨年来、北朝鮮の核やミサイルへの不安が高まり、政府のJアラートに合わせた避難訓練が行われています。中国との間でも、尖閣諸島をめぐる対立が引き続き不安の種となっています。
不安とは、問題の本質が見えないときに起きる感情です。こういうときこそ、立ち止まって問題の本質を考えなければなりません。今、戦争の危機があるとして、「誰の、何に関わる危機があるのか」「日本にとって何が脅かされているのか」「何を守りたいのか」を、本質に溯って考えるべきです。
まず、今日の世界において、どのような戦争の危機があるのかを検討してみましょう。
そもそも戦争はなぜ起こるのでしょうか。古代ギリシャの歴史家トゥキディデスは、その要因として「富」「名誉」「恐怖」の三つを挙げています。
戦争は「富」あるいは「名誉」を守ったり、得たりするために起きる。あるいは相手の攻撃で国の存立を危うくされるかもという「恐怖」を解決するために起きるというわけです。今日の世界ではどうでしょうか。
冷戦終結以降、世界経済のグローバル化が進みました。世界は国境を超えた一つのマーケットとなり、各国の相互依存関係が深まっています。その結果、相手国を全面的に破壊するような戦争は割に合わなくなっています。とくに冷戦時代に心配されていたような、大国が核を撃ち合う戦争は、ほとんどあり得なくなりました。つまり「富」と、国の存立を危うくするような「恐怖」をめぐって戦争が行われる心配は少なくなったと言えます。
ところが、この状況には「負の面」もあります。一つは、全面戦争の危険性が低いということが、むしろ「ならば少しくらい我を通しても大丈夫だろう」という誘惑につながるということ。例えば南沙諸島(スプラトリー諸島)をめぐる中国の行動なども、そういう面があります。
もう一つは、「富」をめぐる戦争を封じ込めた経済のグローバル化が、一方で「名誉」をめぐる衝突の危機をつくり出すという逆説です。
経済のグローバル化によって、各国で市場原理主義が広がり、その結果、貧富の差が拡大しました。ところが、世界的な経済競争の中では、国家がこうした格差を緩和することが難しい。弱者を救済し、国民をまとめていくという国家の機能が果たせない。そうなると国家は、ナショナリズムや宗教といったある種の「名誉」に訴えることで大衆の不満を外へ、他者へとそらそうとします。
もともと国家がきちんと機能していない地域では、それは例えばイスラム過激派のテロリズムなどのかたちで表れます。日本も含め、多くの国にとってこうしたテロは大きな脅威です。
そして、国家が確立している国では、ナショナリズムが大衆の不満をそらす手段となる。日本、中国、韓国にはこうした傾向が表れています。
こうした国々では、「名誉」をめぐる戦争が起きる可能性があります。例えば尖閣諸島の領有権をめぐる日中両国の対立には、主権の問題である以上に「名誉」の問題であるという面があるでしょう。
覇権の範囲を探り合う米中
さて、こうした今日の世界全体に共通する危機の本質を踏まえた上で、日本の現在の安全保障政策のあり方を具体的に検討してみましょう。
冒頭に触れたように、日本は今、尖閣諸島をめぐる中国との対立や北朝鮮の核・ミサイル開発といった問題に直面しています。中国について言えば、緊張の背景には経済成長を通じて中国の存在感が増大し、周辺への影響力を強めている現実があります。
日本政府は近年、アメリカとの軍事的な一体化をいっそう深めることでこれに対応しようとしています。安保法制をつくり、アメリカの対テロ戦争に協力する姿勢を示して、その見返りとして必要な場合はアメリカが日本のために戦争してくれることを求めるという考えです。しかし、この戦略が有効かというと、私は疑わしいと思っています。世界の状況が、かつての米ソ冷戦時代とは変わったからです。
冷戦時代は、米ソが世界を二分していました。両者は厳しい対立関係にあり、戦争も起こりかねなかった。そうなれば、日本は米ソの戦場になります。こうした危機に対して、日本はアメリカの懐に飛び込み、対立の一方の側にいることで安全を得ようとした。同時に、アメリカにとっても日本を失うわけにはいきませんでした。なぜなら、日本を失えば、太平洋を越えてソ連が米本土を攻撃できることになるからです。冷戦とは、国家の生存に関わる非妥協の対決であり、日本の生存とアメリカの生存は一体だったのです。
一方、今の米中関係は、当時の米ソのようなものではありません。両者は相互に存在を否定する絶対的な対立関係にあるのではなく、覇権をめぐる相対的なせめぎ合い、探り合いをしています。
アメリカはもはや、世界全体に覇権を及ぼす力を失っています。一方、成長を続ける中国は勢力を広げつつある。主権と違って覇権は相対的なものです。米中が今、南シナ海でパワーゲームを展開していますが、これはお互いの覇権の均衡を探っているものです。
そうした中、日本はアメリカの覇権をめぐる戦争に貢献することで中国と対峙しようとしている。それにより、「中国が日本を攻撃すればアメリカの報復を受ける」という構図をつくり、中国との間で冷戦時代のような「相互抑止」の関係を作れると考えているようです。しかし今の米中の覇権をめぐる探り合いの時代にはこうした構図は成り立ちません。
例えば尖閣をめぐって日本と中国の間で衝突が起きたとして、アメリカが日本に加勢して参戦するかと言えば、それは確実ではありません。なぜなら、尖閣はアメリカの主権の防衛とは関係ないし、無人の岩をめぐって中国との戦争に巻き込まれるのは危険すぎるからです。
「米中戦争」が起これば戦場は日本
それでもアメリカが日本の側に立って参戦するとすれば、それは日本のためではなく、アメリカにとって中国と戦争する理由がある場合だけです。しかしアメリカが参戦すれば、事は尖閣防衛にとどまらず「米中戦争」となります。
そうなれば、米中の戦場となるのは日本です。なぜなら中国と戦う米軍の基地が日本列島の各地にあり、日本全体が米軍の最前線基地だからです。中国はミサイルを撃ち込んでこれを叩こうとする。そうなった場合、日本の主権や日本人の安全は、果たして守られるのでしょうか。
つまり、日本がアメリカと軍事的に一体化して彼らに貢献したとしても、アメリカが日本の主権防衛のために戦争してくれるとは限らないし、反対にアメリカの戦争が日本の安全を破壊してしまうかもしれないということです。
これは北朝鮮についても同じです。日本と北朝鮮の間には、領土問題のように、戦争に至るほどの大きな対立要因はありません。にもかかわらず北朝鮮の核やミサイルが私たちにとって大きな脅威となるのは、米朝戦争が始まったとき、北朝鮮が在日米軍を叩くことを目的として日本にミサイルを撃ち込もうとすることが確実だからです。
2017年2月14日、安倍晋三首相は衆院予算委員会での答弁で、北朝鮮がミサイルを日本に撃ち込めばアメリカがこれに報復する、それをはっきりさせておけば北朝鮮の攻撃を抑止できる、という主旨のことを言いました。これは「懲罰的抑止」という考え方です。
しかし、北朝鮮が日本にミサイルを撃つとすれば、それはアメリカに攻撃されたときか、あるいは極端に追い詰められたときです。そのとき、報復の恐怖が抑止になりますか。さらに言えば、そのミサイルに核が搭載されていたら報復に何の意味がありますか。つまり、北朝鮮との関係では、米ソのような古典的な相互抑止の構図をつくれるかどうか疑わしいのです。さらに言えば、アメリカの攻撃から身を守るために核武装しようとしている北朝鮮に対して、軍事的圧力をかけることで核を放棄させようというアメリカの長年の試みが、逆効果だったのは明らかです。だからこそ今、手詰まり感が漂っているわけです。
こうして吟味してみると、冷戦時代とは異なり、日本とアメリカの間で安全保障上の利益が一致しなくなっていることが分かります。主権ではなく覇権をめぐる相対的なせめぎ合いの時代に、アメリカが日本の主権や安全にとって有益な軍事的選択をしてくれるかどうかは全く分からない。場合によっては、日本の安全に致命的な結果をもたらす選択をすることがあるかもしれない。つまり、アメリカと軍事的に一体となり、アメリカの戦争に積極的に貢献することが、そのまま日本の安全を高めるという構図は成り立たないのです。
安全保障の目的をよく考えなければなりません。私たちは、何を守りたいのでしょうか。アメリカが戦争を行う最前線基地を守りたいのか。それとも日本自身の安全を守りたいのか。