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連載

変革への闘い

「ストリートチルドレン」と呼ばれて14 ストリートエデュケーター

工藤律子(ジャーナリスト)

 カルスやオルガのようなメキシコシティの路上に暮らす子どもたちのことを、最もよく知る人は誰か? それは、毎日のように彼らのもとを訪ね、その信頼を勝ち取り、声に耳を傾ける「ストリートエデュケーター」だろう。私と篠田が子どもたちと出会うことができたのも、彼らのおかげだ。時代の移り変わりとともに、その活動スタイルは少しずつ変化してきているものの、この仕事に携わる者の役割の重要性は、変わらない。その重みを感じながら活動し続けるストリートエデュケーターたちの情熱と忍耐は、計り知れない。

色紙を使って、紙飛行機の作り方を教えるストリートエデュケーター(中央) 撮影:篠田有史

 

路上の子どもに寄り添う

 1990年に初めて路上の子どもたちと出会った時から、私たちは、現地NGOのストリートエデュケーターの活動に学んで、取材を続けてきた。最初は、メキシコ連邦区政府(当時)と連携するストリートエデュケーターと路上を回ったが、その後まもなく、NGO「カサ・アリアンサ・メヒコ(Casa Alianza México)」のストリートエデュケーターの専門性の高い活動を知り、彼らに同行することになる。
「カサ・アリアンサ・メヒコ」は、ニューヨークに本部を置く国際NGO「カヴェナント・ハウス(Covenant House)」が、1988年にメキシコシティに開設した、路上の子どもたちを支えるための団体だ。カヴェナント・ハウスは、現在、中米とメキシコにおいて「カサ・アリアンサ(つながりの家、の意)」の名で活動している。
 1990年代、「カサ・アリアンサ・メヒコ」には、路上生活から抜け出す決意をした子どもが最初に入る「避難所」や定住ホームなどの施設と、路上活動を行うチームがあった。チームには、常に2組前後のストリートエデュケーターがいた。「組」と表現するのは、彼らが常に男女一組で路上を回っていたからだ。路上には、少年もいれば少女もいるし、男性との方が話しやすい子もいれば、女性の方がいい子もいる。だから、ストリートエデュケーターのチームは、男女一組と決まっていたのだ。
「ストリートエデュケーター」は、直訳すれば「路上の教育者」という意味を持つが、彼らは路上の子どもたちに何かを教えるというよりも、むしろ「寄り添う者」だと、私は感じる。その役割は、多岐にわたる。
「カサ・アリアンサ・メヒコ」のストリートエデュケーターは、毎朝、事務所に集まり、まずその日に訪ねる場所を確認する。カバーしている地域は、基本的に、NGOの事務所と施設があるメキシコシティ中心部から、地下鉄やバスで30分程度で行ける範囲になっている。あまり遠いと、子どもたちが施設に関心を持っても、なかなか来られないからだ。
 路上に出る際は、必ずリュックに色々な遊び道具と救急セットを入れていく。遊び道具は、子どもたちとのコミュニケーションに、救急セットは、簡単な怪我の手当に役立つ。子どもたちは劣悪な環境に暮らしているため、怪我や皮膚病、呼吸器系の病気が絶えない。医者の診察が必要な場合は、無料で診察を受けられる公立病院へ連れていくが、救急セットで対応できる程度の症状であれば、ストリートエデュケーターがその場で処置を行う。そうしてつながりを築いていく中で、子ども自身が路上での生活を見直し、施設に入るといった別の選択肢に目を向けるよう、導くのだ。

ストリートエデュケーターが、足に怪我をした少年の治療をする 撮影:篠田有史

「カサ・アリアンサ・メヒコ」で知り合ったストリートエデュケーターの中でも、特に印象に残っているのは、フアン・カルロス。長髪を後ろで束ね、いつも白やグレーのシンプルなTシャツとジーンズ姿の爽やかな青年だ。路上の少年少女たちは、彼のことを、そのファーストネームの一部「フアン」を英語にした「ジョン」という愛称で呼び、親しんでいた。姿を見るとすぐ「ジョン!」と声をかけてくる子どもたちに、ジョンは常に笑顔で応じた。彼は、子どもたちの人気者だった。彼が来てくれるのを待ち侘び、彼に会うために「避難所」へ来る子、それをきっかけに施設に入る子もいた。まさに、路上から別の人生への橋渡し役だった。

 

人生の案内人

「カサ・アリアンサ・メヒコ」のストリートエデュケーション活動は、メキシコシティの路上の子ども支援のあり方に、ひとつのモデルを示した。そこで学んだ者たちが、1993年、新たに設立したのが、NGO「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ(Pro Niños de La Calle)」、略して「プロ・ニーニョス」だ。
「プロ・ニーニョス」の特徴は、性別に関係なく路上の子ども全員を対象に活動する「カサ・アリアンサ・メヒコ」とは異なり、路上暮らしの子どもの多数派である「少年」に対象を絞ったこと。定住施設は持たず、ストリートエデュケーターによる路上活動と路上から子どもが毎日通える「デイセンター」の運営を軸にしたこと。それらの活動を通して、少年一人ひとりが、路上とは異なる人生を選択していけるように導いている点だ。特に、ストリートエデュケーターは、路上から異なる人生を考える段階(デイセンターで過ごす時間)へと、子どもを導く役目を担っていた。

ストリートエデュケーター(左)と一緒に、道端でぬり絵をする少年 撮影:篠田有史

 私がよく知る、「プロ・ニーニョス」のベテラン・ストリートエデュケーターだったラウルは、巧みな会話と、サーカス・エンターテインメント集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」が社会貢献事業として行っているサーカス教室のワークショップで覚えた芸を生かし、あっという間に路上の子どもたちを惹きつける術を身につけていた。路上活動のパートナーと街中を歩いて観察し、声をかけようと決めた子どもたちのもとを訪ねると、「ディアブロ(悪魔)」と呼ばれるコマを操りながら、好奇心から近づいてくる少年に、「キミもやってみる?」と、声をかける。2本のスティックを左右の手に1本ずつ持ち、間に渡された糸の上で、ふたつのお椀の底をつないだような形のゴム製のコマを転がし、回す。スティックを上下させながら巧みに操れば、コマはお椀のつなぎ目部分を軸に勢いよく回りながら、糸の上を滑ったり高く投げ上げられて戻ってきたり。サーカスの芸が繰り広げられる。
 コマから目が離せなくなった少年のもとへ、またほかの少年が寄ってきて、一緒に芸を見守る。そんな少年たちに、ラウルが、「キミたちにも教えてあげるよ。ほら、これを持ってみて」と、もうひとつ用意されたディアブロを手渡す。そこからは、少年たちとラウルのミニサーカス教室だ。
 夢中になってコマを動かそうとする少年を手助けしながら、ラウルとパートナーは、何気ない会話を続け、自分たちストリートエデュケーターの仕事について伝えて、少年の名前や年齢、住んでいる所などを聞き出していく。そんな遊びと会話の時間を20〜30分で終えると、翌日にまた会う約束をして、次の場所へと移動する。
 徒歩と地下鉄やバスで、毎日、2〜3カ所をまわり、その場の雰囲気や少年たちの年齢などによってやることを変えながら、子どもたちとの関係性を築いていく。それを繰り返すなかで、彼らを「プロ・ニーニョス」のデイセンターへ誘うのが、狙いだ。

デイセンターで遊ぶ子どもたち。横になった仲間の体の間を、注意深く飛んでいくことで、互いの信頼関係を築く。 撮影:篠田有史

 デイセンターは、定住型の施設とは異なり、あくまでも少年たちが日中、路上以外の場所で子どもらしい時間を過ごす機会を提供することで、自ら路上とは異なる生活を手に入れたいと思い始めるよう導くのを、目的としている。少年たちは、朝、センターに来るとまずシャワーを浴びて着替え、汚れた服を自分で洗濯し、朝食をとり、スポーツやゲームを楽しむ。昼食後は、絵を描いたり、工作をしたり、映画を観たりと、文化活動を楽しむ。そうして夕方4時半には、また路上へ帰っていく。その繰り返しの中で、少年たちはデイセンターのスタッフやほかの子たちと話をしたり、物事に取り組んだりするうちに、もう路上にはもどりたくない、と思い始めるのだ。
 デイセンターのコーディネーターは、こう言う。
「大切なのは、子どもたちを大人の都合で守るのではなく、彼らが自らの意志と力でよりよい人生を選択していけるよう、手助けすること。私たち大人は彼らの心を支え、自主性を引き出し、その成長を導く、人生の案内人であるべきなんだ」

 

路上人生を歌う

著者情報

ジャーナリスト

工藤律子

くどう りつこ

1963年大阪府生まれ。東京外国語大学地域研究研究科修士課程在籍中より、メキシコの貧困層の生活改善運動を研究するかたわら、フリーのジャーナリストとして取材活動を始める。著書に『仲間と誇りと夢と』(JULA出版局)、『ストリートチルドレン』(岩波ジュニア新書)、『マラス 暴力に支配される少年たち』(集英社、開高健ノンフィクション賞受賞)、『マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』(岩波書店)、『ルポ 雇用なしで生きる スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦』(岩波書店)、『働くことの小さな革命 ルポ 日本の「社会的連帯経済」』(集英社新書)などがある。NGO「ストリートチルドレンを考える会」共同代表。

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