「ストリートチルドレン」と呼ばれて 1 「路上の子どもたち」は今も闘っている
工藤律子(ジャーナリスト)
「ストリートチルドレン」。日本でも90年代、この言葉がユニセフ(国連児童基金)によって広められ、メディアでも途上国の都市の路上やマンホールなどで生活する子どもの姿が、頻繁に報道された。ところが現在、そうした動きは影をひそめ、日本人は以前ほど路上の子どもたちに関心を持たなくなったように感じる。それでもこの35年、メキシコの首都メキシコシティでそうした子どもや若者たちと関わり続けてきた私と篠田有史(フォトジャーナリスト)にとって、その姿は、今もこの世界について多くのことを問いかけてくる。
1990年、私(左端)は初めてメキシコシティの路上に暮らす子どもたちと出会った。予想に反し、彼らは人懐っこく、見知らぬ外国人である私たちとの会話を楽しんでいるようだった。写真:篠田有史
呼び名変われど
私たちが初めて「ストリートチルドレン」と呼ばれる子どもたちと出会ってから、すでに35年の年月がすぎた。路上の子どもたちの存在が、世界的に問題視されるようになったのは、今から40年ほど前、1980年代後半のことだ。それは、中南米やアジアなどの「途上国」の都市部の人口が急速に増加したことと、深く関係していた。
「先進国」と呼ばれる地域では、都市部の産業の発展とともに、徐々に都市の人口が増えていったが、途上国ではその変化が急激で、1950年には総人口の17パーセント程度だった都市人口が、1985年には33.7パーセントを占めるようになったという。それは、途上国の政府が経済発展を急ぎ、農業を犠牲にして工業化を進めた結果、農村部が疲弊し、収入を失った人々が、都市に新たな就業機会を求めて移住していったからだった。
しかし、そもそも十分な教育を受けてこられなかった農民が、農村よりも物価が高く、農村と違って衣食住のすべてに「お金」を必要とする都市に来ても、仕事はおろか、住む場所を手に入れることも容易ではなかった。貧困に喘(あえ)いでいた人々は、都市に来てますます貧しくなり、大人たちは追い詰められ、悩み、家庭そのものの状況が悪化し、居場所をなくした子どもたちが、路上へ飛び出していった。そんな子どもたちのことを、ユニセフが「ストリートチルドレン」と呼び、国連の求めで設置された国際人道問題独立委員会が1986年、「ストリートチルドレン――悪化する都市の悲劇」と題する報告書を発表して、増え続ける路上の子どもたちに対する世界の関心の高まりと、支援の拡大を目指した。
その頃、「ストリートチルドレン」とはどんな子どもたちのことを指すのかについて、共通の定義はまだ定まっていなかったが、大きく分ければ、「路上にいても家族と何らかのつながりのある場合」と、「完全に子どもだけで路上に暮らしている場合」があるという理解がなされていた。前者の場合は、大抵、路上で長時間働き、家計を助けながら自宅で生活している子どもたちを指し、後者は路上で寝起きしている子どもたち、あるいは家族がいたとしても全員が路上暮らしの場合を指した。私と篠田が追い続けているのは、後者のケースだ。このケース、「路上が生活の場そのものになっている」という意味合いで、英語ではchildren of the streetと表現されていた。路上に暮らしているわけではない前者は、children on the streetだ。
それが2017年頃から、「ストリートチルドレン」という言葉には差別的な響きがあるなどの理由で、children in street situation (CISS)=路上状況にある子どもたち、に表現が変えられた。日本でも、大学生が論文などで触れる際は、「CISSは」といった書き方をしているようだ。そして、そのCISSは「世界に1億人くらいいる」と、話が続く。この「1億人くらい」というのは、私が「ストリートチルドレン」という言葉に出合った1990年代前半にユニセフが語っていたことと、まったく変わっていない。
つまり、世界は、この40年近く、子どもたちが路上で生きざるを得ないような状況を、事実上、放置してきたということだ。その間、路上の子どもたちは、様々な運命をたどっていく。そして、今もメキシコシティの街なかには、35年前とはまた違う形ではあるが、路上に生きる子どもや若者、家族がいる。呼び名は変わっても、彼らが抱える問題の本質は、変わらないのだ。
地方の町から家出をしてきた少年たちは、しばしばバスに潜り込んで到着したメキシコシティの長距離ターミナルをねぐらにしていた。(1992年)写真:篠田有史
80年前の東京で見た光景
そもそも私たちは、なぜメキシコシティの路上の子どもたちのことを取材しはじめたのか。それは、小さな印刷会社を営む、ある男性の一言が始まりだった。
今年でちょうど80年となる、第二次世界大戦での日本の敗戦。その時、東京などの大都市の路上には、親を失い、あるいは家族と生き別れになった大勢の「浮浪児」がいた。物乞い、スリやひったくり、できることを何でもやって、自力で生き延びる子どもたち。まさに、「ストリートチルドレン」。当時の日本には、そんな子どもが4万人近くいたとも言われる。
破壊され尽くした東京を、母親やきょうだいとともに歩きながら、自分と同じくらいの年齢の「浮浪児」たちの姿を見たある少年は、45年後、56歳になった時、世界の途上国には今も同じような暮らしを強いられる子どもがとてつもなく大勢いると知り、驚愕する。
「テレビで観たんだよ。あんな子どもたちは、戦後の復興とともにもういなくなったと思い込んでいた。でも、世界にはまだ大勢いたんだ」
その男性、故相川民蔵さんは、敗戦当時子どもだった自分には何もできなかったが、今ならできる、何かしなければ、という強い思いに駆られたという。そして、1990年、たまたま訪れた写真展(篠田の中米ニカラグアをテーマにした写真展)で出会った篠田に、「ストリートチルドレンと呼ばれる子どもたちのことを、もっと知りたいし、伝えたい。取材してくれないか」と、声をかける。印刷会社社長として付き合いのあった出版社や日本ユニセフ協会などの協力を得て、「ストリートチルドレン」に関する本などを出版しようと考えたのだ。
1996年、私たちが企画した初めてのスタディツアー(相川さんと共に1993年12月に設立したNGO「ストリートチルドレンを考える会」主催)で、メキシコシティの路上や現地のストリートチルドレン支援NGOを訪ねた相川民蔵さん(左端)。写真:篠田有史
知り合ったばかりだった篠田にその話を聞いた私は、自分が学生時代からスラム研究で通い続けていたメキシコシティでの取材を提案した。歩き慣れた街で、たまに見かける路上の子どもたちのことをきちんと知る、いい機会だと思ったからだ。路上に暮らしているのは貧困家庭出身の子どもが多いと聞いていたが、スラムで相互扶助により自分たちの暮らしを改善し続けていた私の友人たちの家庭からは、家が貧しくても路上に出ていく子どもはいなかった。その違いにも興味があった。
そうして、私と篠田は1990年8月、メキシコシティで路上の子どもたちの状況を取材しはじめる。それから12年間の経験の一部は、『ストリートチルドレン メキシコシティの路上に生きる』(岩波ジュニア新書)に記した。
自ら路上を選ぶ子どもたち
最初の12年間の取材ではっきりしたのは、メキシコシティの路上に寝起きし生活している子どもたちは、80年前の東京の路上にいた子どもたちの大半がそうであったように、家族がいない、あるいはどこにいるかわからないからそうしているわけではない、ということだ。
街で出会った子どもたちが話してくれた「路上にいる理由」。それは簡単に表現すれば、「家出」だった。子どもたちは、自ら家を飛び出し、路上へ来ていた。路上に生きる子どもたちにとって、家庭は居づらい、居たくない場所になっていたからだ。その根底には、大抵、親による虐待や養育放棄、あるいは家庭内でほかの家族に対して振るわれる暴力などが存在していた。自分が受ける痛みや苦しみ、あるいは目の前で展開する母親やきょうだいへの暴力や虐待行為にいたたまれなくなった子どもたちは、そんな状況から逃れるために家を出てきた。