「社会的連帯経済」への誘い 8「だんだん」 子ども食堂を超えた「地域力」の中心地
工藤律子(ジャーナリスト)
この連載をもとに再構成した書籍『働くことの小さな革命 ルポ 日本の「社会的連帯経済」』が、集英社新書より2025年2月に刊行されました!
国内の子どもの貧困問題が語られるようになって、久しい。現在、子どもの7人に1人が、平均的な手取り収入の半分以下の所得しかない家庭で暮らしている。そんな中、子どもに食事や居場所を提供する「子ども食堂」が次々と生まれ、現在は全国に6000以上あるという。コロナ禍では特に増え、その活動内容も多様化している。「子ども食堂」の生みの親である近藤博子さん(62)が、東京都大田区で運営する「だんだん(島根の言葉で“ありがとう”の意)」を通して、その本質を探ってみる。
〈だんだん〉の外観。通りかかる誰もが立ち止まりたくなる温かみがある。撮影:篠田有史
「給食以外のご飯はバナナ1本」
カラフルな花や動物などの絵が描かれた壁の前にベンチや植木鉢が置かれ、入り口には暖簾が下がっている。近藤さんが店長を務める〈気まぐれ八百屋だんだん〉。中へ入ると、右手のカウンターの奥に厨房があり、前には自然食品や無農薬野菜などが並ぶ。左手には、テーブルと椅子が置かれた食堂スペース。2020年3月にパンデミックが始まるまで、ここでは毎週木曜日に子ども食堂が開かれ、近所の人たちが賑やかに食事を楽しんでいた。
近藤さんが〈だんだん〉で子ども食堂を始めようと思ったのは、2010年、野菜を買いに来た近所の小学校の副校長からこんな話を聞いてからだ。
「家庭の事情で、給食以外のご飯はバナナ1本という子もいると言うんです。そこで、元は居酒屋の建物でキッチンがある〈だんだん〉に、子どもたちが温かいご飯と具沢山の味噌汁を食べられる場所をつくろうと思いました」
近藤さんは、近所の仲間とどうしたら実現できるかを話し合い、食品衛生責任者の資格を取って、飲食店の営業許可を取得する。そして、2012年8月、ついに子ども食堂をオープンすることに。実はそれ以前から、〈だんだん〉では、地域の人たちが参加する様々な活動が展開されていた。
島根の農家で育ち、東京で歯科衛生士になった近藤さんは、45歳の時、仕事をパートタイムにして、友人の自然食品店の手伝いをするようになる。その後、週末に有機野菜の宅配事業を始めると、しぜんと地域とのつながりが広がっていった。
「ある時、お客さんに“元気な葉っぱのついた大根が買いたい”と言われ、野菜の仕分けに使っていたこの場所で、八百屋を始めることにしたんです」
店内は、やがて買い物客の溜まり場となり、子どもたちが勉強を手伝ってもらえる「ワンコイン寺子屋」や、学校帰りに気軽に立ち寄れる「みちくさ寺子屋」も誕生。近所の大人が英語や習字など、いろいろなことを学び直す機会も創られる。そうした活動の中で生まれた人間関係や問題意識が、子ども食堂の開設を後押しした。
近藤さんは言う。
「子ども食堂は、単に貧困家庭の子どもに食事を届けるためにあるのではないんです。貧困の救済は国がすべきでしょ? 私たちは地域の子どもを皆で見守り、寄り添い、育てようと思うんです」
〈だんだん〉の子ども食堂は、木曜日の午後5時半から8時まで開店し、6人のボランティアが栄養バランスのとれた家庭料理を作って、子どもは上限100円の「ワンコイン」、大人は500円で提供してきた。無料にしないのは、「施しにはしたくない」(近藤さん)からだ。子どもたちの面倒を見る大学生のボランティアもおり、毎回、子どもと大人、合わせて50〜60人が訪れていた。
「“ひとりで食べにきてもいいんだよ”、“あなたを歓迎している場所なんだよ”という、子どもたちへの思いを込めてやってきました。近所のおばちゃんに晩ご飯をよばれるイメージです」
そう話す近藤さんは、この活動を通して、地域には貧困だけでなく、親の病気や夫婦関係など、様々な問題を抱える家庭があり、子どもの悩みもそれだけ多様だと知る。また、歯科衛生士として「健康と食と歯」を結びつけて考える中、忙しい大人と共に食卓を囲むことがないために、いろいろな食材を食べる経験がなく、食べ物を噛むことを知らない子どもが多いことにも気づく。
「大人を見ながら体験を通して生活の基本を学ぶ、という機会が減っているんです」
そんな機会を生み出すことも、〈だんだん〉の役割となっていった。
近藤さんは、中3の時に母親を亡くし、家族や友人など、様々な人に支えられてきたと話す。今は自身が地域の人たちに寄り添い続ける。撮影:篠田有史
2015年1月、東京都内で第1回の「子ども食堂サミット」が開催され、近藤さんたちの取り組みがメディアで紹介されると、「子ども食堂」は全国へと広がっていく。ところが、2020年3月、新型コロナの感染拡大により、食堂を開くことが困難に。多くの子ども食堂同様、〈だんだん〉も予約制で弁当を販売する形にせざるを得なくなった。
お弁当でコミュニケーション
ある祝日の木曜日。お昼前の〈だんだん〉では、弁当作りが進んでいた。
「今日は40人分くらい、作ります」
食堂スペースのテーブルにニョッキ(団子状のパスタ)の生地が入ったボウルを置いて、イスラエル人のアイザックさんが言う。通常は毎週木曜日の午後5時半から7時まで販売される弁当が、この日は祝日のため、正午から午後1時まで売られる。メニューも特別版。休日ボランティアに来ているアイザックさんが作る、じゃがいものパスタ“ニョッキ”だ。
「テレビで子ども食堂を知って、日本にもこんなニーズがあるんだと驚きました」と話すアイザックさんは、6年ほど前から〈だんだん〉を訪れている。そんな彼を中心に、テーブルでは子どもの頃から〈だんだん〉に通う20歳の青年と、区のボランティア情報で探してきた高校1年生の少女が、ニョッキ作りに励む。近藤さんは、女性2人(子ども食堂のボランティアスタッフ)とミートソースとサラダ作りを進める。女性たちは、手伝うはずだった人が来られなくなり、「近くに住んでいるので」助っ人に入った。
ニョッキは、生地をテーブルの上で長細く伸ばしてから、3〜4センチにちぎっては丸め、真ん中にフォークでくぼみを作ってバットに並べていく。
「あ、ドラえもん」、「お弁当買う人の誰に当たるかな?」
青年が作ったドラえもん形のニョッキを見た高校生とアイザックさんが、楽しげに言う。ニョッキの形は作り手により微妙に異なるが、「サイズが同じくらいなら、形は違ってもいいですよ」と、アイザックさん。その言葉に、作り手の遊び心が刺激される。
厨房では、女性たちが野菜を刻んだり、ミートソースを煮込んだり、ニョッキが茹で上がった時の準備に忙しい。バットいっぱいに並んだニョッキは、鍋で茹でてソースと絡め、紙製の弁当箱に入れて、サラダやご飯とセットにする。出来上がった弁当は、保温箱に詰め、販売に備える。
ニョッキ弁当の仕上げにかかるボランティアと近藤さん(左)。撮影:篠田有史
「アイザックさんのお弁当が食べたくて、予約してきた子たちもいるのよ」
と、近藤さん。アイザックさんは笑顔だ。
12時を過ぎると、1人、2人、と弁当を取りにくる人が現れ始めた。1人目は、小学校低学年の少年で、母親と自分の2人分を買っていく。次は小さな子とベビーカーの赤ん坊を連れた母親。一人暮らしの高齢者も。「食堂には来てたんですが、お弁当は今日が初めて」と話す女性2人組もいる。「おばあちゃんが来ているので、予約数より多くもらってもいい?」と尋ねる母娘連れには、「いいわよー、多めに作ってるから」と近藤さん。受け渡しの際は、会話が弾む。
弁当販売がほぼ終わったところで、弁当作りをしたメンバーも、距離をとってテーブル席に着き、ニョッキを味わった。近藤さんが、「さっきの少年、(ここへ来ることが)外出のきっかけになればいいね」などと、気づいたことを口にする。手伝いの青年にも、「ご飯はどうするの? ガリガリになっちゃわない? バナナ持ってく?」などと、しきりに話しかける。連休のため、会社の食堂で食べる機会がなくなる青年のことが、心配なのだ。
「コロナでお弁当販売になってから、かえって一人ひとりと話す時間が増えて、状況がよりよくわかるようになりました。その分、必要なことが増えて忙しくもなりましたけどね」
近藤さんはそう微笑む。
