ラテンギャング・ストーリー22 マラスと生きる
工藤律子(ジャーナリスト)
ホンジュラス第二の都市サン・ペドロ・スーラには、この国で若者ギャング団「マラス」が最も勢力を持つ地区に挙げられる、リベラ・エルナンデスがある。二大マラスの一つ、「マラ・サルバトゥルーチャ(MS-13)」の女性戦闘員だったジェシカが初めてギャングに関わったのも、この地区でのことだ。そのギャング地帯に、私とフォトジャーナリストの篠田有史は、彼らの更生を助けてきたNGO「ホンジュラスの若者よ、ともに前進しよう(JHA-JA)」のジェニファー(37)とともに、ある女性を訪ねた。

リベラ・エルナンデスの自宅で、メキシコにいるアンドレスからの手紙を読む母、スサーナ。右奥は娘のアビガイル。撮影:篠田有史
触れられなかった真実
「たぶん、私が知っているスサーナでしょう」
リベラ・エルナンデスへ向かう前、ジェニファーは、訪ねる相手の写真を見ながら、その名を口にした。以前、付き合いがあったという。
「昔、地元の牧師がギャングの若者たちのために運営しているコミュニティセンターで、よく見かけたんです。とにかく私の車で行ってみましょう」
訪問相手は、拙著『マラス 暴力に支配される少年たち』(集英社)にも出てくるアンドレス(23)の母親、スサーナ(41)だ。7年前、マラスから逃れるためにメキシコへ向かい、そこで難民認定を受けたアンドレスは、今、メキシコシティにある日本食ファストフード店の厨房で働いている。4年半前には、マラスに脅された一つ年上の兄を、妻子とともに呼び寄せた。そして、最近は故郷にいる母親のことをひどく心配していた。少し前に、自分を「弟の仇(あだ)」と勘違いしている元敵のギャングから、SNSで「お前の母親を殺すぞ」と脅迫されたり、母親から乳がんの治療中だと聞いたりしたからだ。私たちは、そんな彼からメキシコシティで預かった手紙と見舞金を持って、母親を訪ねることにした。彼に聞いていた通りの人なのか、確かめてみたかった。
アンドレスの話では、父親は麻薬の密売人で、彼がまだ9歳の頃に商売敵によって殺され、母親はそれより前に暴力を振るう夫(アンドレスの父親)と別れ、別の家庭を築いていた。自由奔放な性格で、「親としては失格だけど、会うと優しく、大好きだった。僕には大切な存在なんだ」と、アンドレスは言う。
スサーナの住まいは、彼女がかつて通ったコミュニティセンターのすぐそばだった。
「今日はわりと調子がいいんです」
頭にスカーフを巻いて現れたスサーナは、私たちと抱擁を交わし、微笑んだ。アンドレスによく似た美人だ。乳がんの治療で抗がん剤を使っているせいで、体調が安定しないのが辛いとこぼす。家には彼女のほかに、少女が三人。珍客を前に、笑みを浮かべて立っている。
「こっちは娘のアビガイル。そっちの二人は、近所の子です。病気の私の面倒をみてくれているんです」
娘(16)は、彼女の二人目の連れ合いとの子どもで、すでに結婚し妊娠中だ。近所の少女二人は姉妹で、それぞれ中学校と小学校に通っているという。
私たちは自己紹介をした後、さっそく、アンドレスからの手紙と見舞金を手渡した。母親は、手紙を開いて読み始めると、すぐに涙ぐんだ。
「あの子は優しいんです。昔からそうなんです」
そうつぶやくと立ち上がり、奥の部屋から小さなカードを持ってきて、私たちに見せた。
「あの子が幼い頃にくれた、私の宝物です」
それは少年が母親のために作った、母の日のカードだった。
「こういう子だから、いつも心配で。マラスから逃れる時も、メキシコまで送り届けようとしたんです。とにかく向こうで生活できるようになって、良かった」

アンドレスが子どもの頃、母の日に贈った手作りのカードをみせる母、スサーナ。撮影:篠田有史
スサーナのその言葉に、私たちは戸惑った。アンドレスは、一人で国を脱出したのではなかったか。彼は4年前のインタビューで、一人で家を飛び出し、バスに乗って国境を目指したと語ったからだ。
「あの子、そんなことを言ったんですか? メキシコまで一緒に旅したのに」
母親の言い分は、こうだった。
2013年、所属するマラスのリーダーから殺人の命令を受け、実行をためらったアンドレスは、裏切り者として葬られずにギャングを抜ける方法を必死で考えた。それを知った母親は、実兄からお金を借りて、息子の逃亡の旅に夫と二人で同行する。ところがメキシコ国境を越える手前で、アンドレスは母親たちと離れ、道中知り合った移民少年二人と消えてしまう。その後、Facebookでアンドレスの無事を知った母親は、夫と1年半、メキシコ南東部の農園で働いてから帰国した。その間、夫は畑仕事を、彼女自身は農園主の裏の仕事である麻薬密売の手伝いをしていた。
「マリファナが入った袋を持って、指定された場所に立ち、相手が来たら渡すだけ。1回の仕事につき、1000ペソ(当時およそ7500円)もらえました」
ホンジュラスの貧困層が露天商などをして稼ぐ、1カ月分の収入に相当する額だ。
それにしても、アンドレスの逃避行に母親が付き添い、息子を見失った後もしばらくメキシコで麻薬の密売に関わっていたとは……。想像もしなかった現実に、私は唖然とした。アンドレスは、なぜ母親の関与を私たちに話さなかったのだろう。
その疑問が解かれる前に、さらに驚きの事実が判明する。
語られなかった過去
「私は、あの子の父親と知り合ってからの13年間、バリオ・ディエシオチョ(M-18)にいました。夫はM-18のリーダーでしたから」
それは、アンドレスもはっきりとは知らされていない事実だった。「父親は麻薬密売人」というのは、育ての親となった祖父母に聞かされたことで、二大マラスの一つM-18のリーダーだったとは、伝えられていなかった。彼の両親は、1990年代のM-18の中心にいたのだ。

祖父母の家にあるアンドレスの父親の写真。
スサーナは語る。
「私は11歳で、当時15歳だったアンドレスの父親と出会い、一緒になりました。それからまもなく、M-18のリーダーの妻という立場に。すべては、実家を出たい一心で取った行動がもたらした結果でした」
親に世話をしてもらった記憶のない彼女は、物心ついた時からきょうだいと祖母の家に暮らしていた。極貧生活だった。その息苦しさから抜け出すために、ギャングの恋人になる。
「自分が愛される場所が欲しかったんだと思います。夫の家族は優しい人たちで、まだ子どもだった私にとって、本当の家族以上の存在でした。今でも彼の両親、つまりアンドレスの祖父母は、私を実の娘のように想ってくれています」
11歳だった彼女は、初めて家庭的な空気に包まれた日々を過ごす。だが、夫となった少年は、ギャングとしての地位を築くにつれて、麻薬にハマり、暴力的になっていった。
「息子たちが生まれてからも、暴力は続きました。あの子たちには申し訳ないと感じつつも、私はある日、耐えられなくなって、家を出たんです」
幼かったアンドレスは、父が母に対して暴力を振るったかどうかも、覚えていない。母親がいなくなったことが、ただ寂しかったという。だから、11歳の頃に連絡が取れ、また会えるようになってからは、ずっと母親を大切にしている。
「ギャングがあなたを殺すと脅してきた時、アンドレスは相当に心配したようです」
私は、数週間前の脅迫事件を話題にした。するとスサーナは笑いながら、こう言った。
「あの件は、私が自分で解決しました。昔の仲間に頼んで、誰があんな脅迫メッセージを送ったのか、突き止めたんです。その男は、ターゲットが私だとは知らずに、雇われてSNSで脅迫メッセージを送ったということでした。『知っていたら、やらなかった』と謝ってきました」
組織を離れて17年が経過していても、元M-18リーダーの妻は、それくらい影響力を持つということか。
「M-18のメンバーは、仲間同士の絆が強いんです。だから、私ががんの治療費が必要だとわかった時も、カンパを募ってくれました」
スサーナは、クーポン券のような長方形の紙切れを1枚持ってきて、目の前のテーブルに置いた。紙には彼女の写真とフルネームが印刷され、「乳がん治療を支えよう」と書かれている。
「1週間で5000レンピーラ(約2万2000円)も集めてくれたんですよ」
スラムでは大金だ。名前と顔写真だけでそれだけのお金が集まることが、M-18における彼女の立場と、M-18という組織の性質を表していた。
そばで話を聞いていたジェニファーが、こう付け加える。
「M-18には、メンバーの家族の互助会もあるんですよ。また、スサーナたちは、私が入る前のJHA-JAが職業訓練として初めて行ったTシャツの製作に参加した世代です」
アンドレスの両親は、あのジェシカが愛したホベルの、一つ前の世代のM-18リーダーだったのだ。
「今は、ここで誰と暮らしているんですか」
現在の暮らしを尋ねると、スサーナは隠すことなく、説明してくれた。
「今の夫は、この周辺を縄張りとしているギャング団、テルセレーニョスのメンバーです。でも、私自身は、もうギャングを引退しているので、夫と関係なく、誰の支配地域でも行けます」
それならば、と、私たちはアンドレスの育ての親、彼女のかつての義父母のところへ連れていってほしいと頼んでみた。アンドレスが育った家を見てみたかった。するとスサーナは、「体調がいいので、一緒に行きましょう」と快く引き受けてくれた。
私たちは、彼女と隣人姉妹を連れて、ジェニファーの車に乗り込んだ。

リベラ・エルナンデスにいる頃、アンドレスが暮らしていた父方の祖父母の家。 撮影:篠田有史