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変革への闘い

「ラテンギャング・ストーリー」11 穏やかになったギャング

工藤律子(ジャーナリスト)

 凶悪な若者ギャング団=マラスを抜けるために、世界一危険な町、中米ホンジュラスのサン・ペドロ・スーラからメキシコにたどり着いたアンドレス(18歳)は、紆余曲折の末に難民認定を受けることができ、今はNGO施設で生活している。そんな彼へのインタビューの後、私たちはいよいよサン・ペドロ・スーラを目指した。

 サン・ペドロ・スーラに行く前に、会っておきたい人物がいた。2014年9月に首都テグシガルパで取材をした時に出会った、エルネスト・バルダーレス(47歳)だ。

 長い睫毛とハンティング帽。芸術家のような雰囲気のエルネストは、子どもや若者のために活動する複数のNGOを結びつける役割を担う団体で働く社会学者だ。2014年、マラスについて取材をしようと考えた私たちは、メキシコのNGOの友人に、テグシガルパにある子ども・若者関係のNGOを紹介してもらった。その際、ある現地団体のスタッフが、「マラスのことなら、エルネストに聞くのが良い」と、彼を紹介してくれたのだ。
 そして9月中旬、私たちは彼のオフィスで、マラスに関するインタビューをした。話は、ホンジュラスにマラスが入ってきた経緯から現状にまで及んだ。
「90年代のはじめ、アメリカのカリフォルニア州において犯罪で捕まったホンジュラス出身のマラスメンバーが大勢、国外退去になり、サン・ペドロ・スーラに戻ってきました。それから若者の間に、ダブダブのTシャツに腰ではくジーンズといったファッション、ラップミュージックといったマラスの文化が広がりました。ホンジュラスの伝統的な社会の中では特殊だったため、若者たちには魅力的だったのです」
 ところが2000年代に入り、メキシコの麻薬カルテルがサン・ペドロ・スーラを麻薬密輸の通り道として頻繁に利用するようになり、また政府が警察や軍を使ってマラスを弾圧するようになると、彼らはしだいに凶悪になっていく。カルテルから武器と大金を与えられ、犯罪組織へと変質していったのだ。メキシコで会ったアンドレス少年のように「殺しまではやりたくない」と思う者も、一旦組織に入ると抜け出せない状況になってしまった。
 エルネストは1999年から2009年まで、そうしたマラスメンバーを救おうと、故郷であるサン・ペドロ・スーラで「ホンジュラスの若者よ、共に前進しよう(JHA-JA)」というNGOを運営し、マラスに支配されているスラムの若者たちにアートやスポーツ活動、職業訓練などを提供して、ギャングから足を洗うための支援をしていた。
「しかし、私が関わった1000人ほどのマラスメンバーの中で、マラスを抜け出せたのは、わずかに60人でした。しかもその大半がその後、殺されました」
 彼の奮闘にも関わらず、先述のような社会状況が、若者たちを出口のない闇の世界へと追い込んでいった。そして彼自身も、光の見えない活動を続けることと、マラスと政府関係者、両方のブラックリストに載っている状況に、強いストレスを抱くようになる。そのためJHA-JAを離れて、テグシガルパでの仕事に転職したのだった。
 この時のインタビューの最後に、マラスの現役メンバーにインタビューできないかと、彼に尋ねてみた。すると、「私が多くのコンタクトを持つサン・ペドロ・スーラでなら、可能だと思います」という返事だった。だから今回は、サン・ペドロ・スーラに入る前に彼と会い、取材の段取りを整えようと考えたのだ。

 2015年9月、テグシガルパのショッピンクセンターにあるカフェで待ち合わせたエルネストは、自信に満ちた表情でこう切り出した。
「ジェニファーをコーディネーターにしてください。そうすれば、必ず良い取材ができます。彼女は私の後を継いで、JHA-JAの代表を務めている若い女性です。あなた方が取材したいことを詳しく伝えてありますから、明後日、彼女が私用でテグシガルパに出てくる際に会って話をし、週末から取材に行けばいいでしょう」
 エルネストには日本を出る前から、マラスの支配地域の訪問やマラスメンバーへのインタビュー、支援者についての取材をしたいと伝えていた。ジェニファーと動けば、それが叶うという。
「詳しい予定が決まったら、彼女から直接、あなたに連絡するように伝えます」
 スマートフォン片手にそう言うエルネスト。私たちは大いに期待を膨らませた。
 そして翌々日の朝、私の携帯電話が鳴った。
「リツコですか? ジェニファーです。エルネストから紹介されて、電話しています」
 電話の向こうで、我らが期待の星が言う。
「昨夜、友人の車でこちらへ着きました。おふたりの取材のための資料を持ってきましたから、今日、都合の良い時間に会えませんか?」
 私たちはさっそくランチタイムに、ショッピングセンターのフードコートで待ち合わせることにした。
 正午すぎ、フードコートのテラスエリアで食事をしていると、胸元が大きくV字に開いた紅いドレスに身を包んだ細身の女性が、こちらに歩いてくるのがみえた。「えっ、あれがジェニファー!?」。ギャング相手に活動するNGOの代表ときいて、ラテン的に丸っこく逞しい女性をイメージしていた私は、意表を突かれた。
「お待たせしてすみません。はじめまして、ジェニファーです」
 そう挨拶をしながら目の前に座った彼女に、「ドレスで現れるとは予想していませんでした」と言うと、こちらの胸中を見透かしたようにこう応じる。
「今朝スペイン大使館に行く用事があったので、フォーマルな服装でなければならなくて。ふだんは着ないんですけどね。それにしても、こんなにか細い女が現われるとは思っていなかったんじゃないですか。いつも言われるんです。もっと逞しそうな女性を想像していたと」
 まさに図星。その率直な話しぶりに好感を覚えた。
 彼女は用意してきた資料を私に手渡し、「これが取材予定です。足りない資料があれば教えてください」と、言った。バイト代を払うとはいえ、ここまできっちりと対応してくれるとは、エルネストのふれこみ通りだ。サン・ペドロ・スーラに滞在する3日間の宿は彼女の家だし、食事も移動用の車も用意してくれるという。
 私たちは翌々日、日曜日の早朝に長距離バスでテグシガルパを発ち、向こうのバスターミナルで彼女と落ち合うことになった。
 
 日曜日の朝10時すぎ、3時間半強のバス旅の後、サン・ペドロ・スーラに降り立つと、じわりと蒸し暑い空気が出迎えてくれた。ここはテグシガルパよりも気温も湿度も高い。この町出身のアンドレスが、故郷ではずっとランニングシャツ一枚で過ごしていたと話した理由が、よくわかる。
 冷房の効いたバスターミナルの待合室で待っていると、30分くらいして、Tシャツにジーンズ姿のジェニファーが、息子(4歳)の手を引いて歩いてくるのが見えた。33歳、シングルマザーの彼女は、息子とふたり、両親とまだ独身の弟がいる実家で暮らしている。私たちはそこにお世話になる。
 外で待っていたジェニファーのお父さんの車に乗り込み、彼らの家へ向かう。バスターミナルは町の南にあり、ジェニファーの家は東にある。この町は、丘と谷のアップダウンで形成されているテグシガルパと異なり、実に平坦だ。町の中心から離れるに従い、風景がどんどん田舎っぽくなっていく。土埃のたつ大地に木造やコンクリート造りの質素な家が並び、その間に緑の木々が生い茂る。
 郊外には、「マキラ」と呼ばれる保税工場(外資系企業が原料・部品、機械などを無税で輸入して生産できる工場形態)が多くあり、この町をホンジュラス一の工業都市にしている。と言っても、メキシコと比べれば、大した規模ではない。
 ジェ二ファーの家は、町の周縁部でも比較的整備された住宅地域にあった。所々に未舗装道もあるが、家が立ち並ぶ通りや乗り合いバスが走る大通りは、きれいに舗装されている。
「ここ自体にはマラスはいません。でも隣りの地区にはいて、この辺りの商店にもみかじめ料を徴収しに来ています」とジェ二ファー。
 正面に小さなテラスがある、平屋の一軒家の前に到着すると、お母さんが「昼食はできていますよ」と、出迎えてくれた。私たちは、案内された寝室に荷物を置き、さっそく広いダイニングキッチンで家庭料理を味わった。

著者情報

ジャーナリスト

工藤律子

くどう りつこ

1963年大阪府生まれ。東京外国語大学地域研究研究科修士課程在籍中より、メキシコの貧困層の生活改善運動を研究するかたわら、フリーのジャーナリストとして取材活動を始める。著書に『仲間と誇りと夢と』(JULA出版局)、『ストリートチルドレン』(岩波ジュニア新書)、『マラス 暴力に支配される少年たち』(集英社、開高健ノンフィクション賞受賞)、『マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』(岩波書店)、『ルポ 雇用なしで生きる スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦』(岩波書店)、『働くことの小さな革命 ルポ 日本の「社会的連帯経済」』(集英社新書)などがある。NGO「ストリートチルドレンを考える会」共同代表。

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