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連載

私たちはいつからこんなに結論を急ぎ、人を敵・味方に分け、堪え性がなくなったのか

雨宮処凛(作家、活動家)

 鈴木邦男氏が亡くなって、この1月でもう3年となった。

 三島由紀夫とともに自決した森田必勝(まさかつ)を活動に誘った人であり、新右翼団体「一水会」を作った人であり、右翼でありながらネトウヨなどには「左翼」と罵倒された人。誰にでも優しくて、びっくりするほど寛容だった人。享年79。

 鈴木さんと出会ったのは私が20歳くらいの頃で、以降、亡くなるまでの二十数年間、交流を続けた。数えきれないくらい一緒にトークライブハウス「ロフトプラスワン」(東京・新宿歌舞伎町)なんかでイベントをし、安居酒屋で安酒をあおり、2003年にはイラク戦争直前のイラクにも一緒に行った。18歳でたった一人上京してきた私にいろんな人を紹介してくれた、私にとっては恩人のような、「東京の父親」のような人。

 そんな鈴木さんがいなくなってからのこの3年、どれほど鈴木さんの不在を痛感しただろう。「鈴木さんが生きていたら」、ことあるごとに、そう思った。

 最初に強く思ったのは、24年1月、東アジア反日武装戦線の桐島聡氏が逃亡から約半世紀を経て名乗り出た時。

 東アジア反日武装戦線に並々ならぬ関心を寄せ、『腹腹時計と〈狼〉』(三一新書、1975年)という本まで書いた鈴木さんが、メンバーの一人が生きて潜伏していたことを知ったらどんなに驚いただろう――。危篤の状態だったとしても、それを聞いたら自力で起き上がったんじゃないだろうかと思うほど、あの出来事は鈴木さんと語り合いたいものだった。

 だからこそ、桐島氏の死後に作られた映画『逃走』(桐島聡の人生を描いたもので、監督は元日本赤軍の足立正生氏/配給太秦、2025年)を観た時も、「鈴木さんに観せてあげたかった」「感想を聞きたかった」と悶えるように、思った。

 昨年、「日本人ファースト」という言葉が出てきて以降、排外的な空気が日本を覆い、「移民政策反対デモ」などが全国一斉で開催されるようになってからはさらに強く「今、鈴木さんがいたらなんて言っただろう」と思った。「国旗損壊罪」なんて、その名前を聞いた瞬間、鈴木さんの顔が浮かんだ。

 鈴木さんは一応右翼だというのに、「我こそが愛国者」と大声でがなりたてるような人を警戒していた。そして日の丸を掲げ、君が代を歌い、「国旗や国歌を大切にしろ」と言いながらも街宣車の後ろにつけた日の丸を車道に引き摺る右翼を見たと言っては怒り、軽蔑を隠さなかった。愛国はがなり立てるものでもことさらに強調するものでもない、とことあるごとに強調していた。

 そんな鈴木さんは、私が出会った50代の頃、すでに好々爺然としていてひたすらに穏やかだったのだが、若かりし頃は相当な「武闘派」で知られたらしい。が、武闘派だった頃の自分自身を恥じている節があった。警戒や軽蔑は、過去の自分にこそ向けられていた。

 そうして時々、過去の自分がなぜ「暴れていた」のか話してくれた。

 例えばある演劇を見ていた時のこと。舞台上で天皇をいじるような、右翼が見たら「不敬」と思うような表現があったという。それを見た鈴木さんは激昂して舞台に上がって大暴れ。その演劇を台無しにしたらしいのだが、その時の気持ちを「許せない」というものではなかったと語っていた。

 では、なぜ暴れたのか。それは、「右翼である自分がそこにいて、何もしなかったとバレたら他の右翼に何を言われるかわからないから」。要は体面やメンツを保つためのパフォーマンスだったと率直に語るのだった。

 自分の怒りより、仲間・身内にどう見られるかを気にしての、自己防衛的な「大暴れ」。「あの時あいつは何もしなかった」「弱虫だ」と言われないための、身内に「よくやった」と称賛されるための振る舞い。

 それほどに、自分は弱くチンケな人間だったことをさらりと言ってのけるところに鈴木邦男の潔さ、カッコ良さがあったとつくづく思う。誰だって、武闘派だった過去があれば武勇伝のように語りたい。自分はあれが許せなかったからああいう行動をしたんだと、正当化して胸を張りたい。しかし、鈴木さんは自らのもっともみっともないところを晒し、だから暴力は良くない、言論で闘うべきと言い続けた。だからこそ、説得力があった。そしてだからこそ、他の右翼にも嫌われた。

 そんな鈴木さんを思い出しつつ、ふと思った。

 あれ、この「身内に見せるための大暴れ」って、今のSNSでもよく見られるものではないか? と。

 思えばSNSは、もう何年も前から「心理的安全性」という言葉が裸足で逃げ出すほどの無法地帯、地雷だらけの戦場となっている。そこではたった一言で揚げ足を取られたが最後、集団リンチの餌食となる。一度ターゲットとなってしまったら執拗に叩かれ、場合によっては個人情報を晒され、職場や関係先にまで連絡が行き、仕事を失うなどの公開処刑が行われる。

 見ず知らずの誰かへの集団リンチが行われることもあれば、中には「仲間・身内だったっぽい人が、仲間・身内だったっぽい人を袋叩きにする」こともある。

 あらゆる業界、界隈で起きていることだが、そういうものを目にすると、「ああこの人、むちゃくちゃ怒ってる感じで書いてるけど、よりコアな身内に対して『私はこんなに潔白です』『これほど意識が高いです』というアピールをしたくて、『今叩いてもいい誰か』を叩いてるんだな」と思えることもある。

 身内に「承認される術」としての、そして仲間への忠誠を誓うパフォーマンスとしての、誰か・何かへの苛烈なバッシング。

 その業界の熱量が高めであればあるほど、「反○○のくせに」「普段○○についてあれだけ発信してるくせに」、なぜこれについては黙っているんだと自分が攻撃される恐怖からあらゆる「叩き」に参戦するような光景も散見される。これは政治的な立場や思想の有無を問わず、ファンダムでもよく見るものだ。そういうものを見るたびに、「攻撃は最大の防御なり」という言葉を思い出す。

 その一方、SNSで積極的に発信する人は、「沈黙」する人を責めることもある。

 私自身も過去、「なぜこの件(その時に旬な政治的トピック)について意見を表明しないのか」「なぜ今SNS上でやられているデモ(特定の政党・政治家への異議やある法案への反対など。ハッシュタグをつけて何か書き込むみたいなやつ)に参加しないのか」などと言われたことがある。

 まず前者については「私はSNS上で話題になっているあらゆる事柄に対して意見表明するという契約を誰とも結んでいない上、年5億円支払われてもそのような契約は結びません」と心の中で唱える。唱えるだけなのは、SNSで突然話しかけてくる人に回答する契約も誰とも結んでないからだ。

 また、「なぜXデモなどに参加しないのか」については、私には反貧困の活動をはじめとするリアルな現場があるということに尽きる。そこで自分のできることをすればいいと思っているからだ。

 付け加えると、どこの誰がどのような目的でやっているか完全に理解していないムーブメントに乗るのは、何かあった時に責任が取れないということもある。私の影響で「乗った」という人に、のちのち説明できないようなことは最初からしない。とにかく、自分が言い出しっぺだったり、自分が最初から関わっていない活動には参加しない。これは20年間リアルな活動をしているからこそ、自分の中で決めているルールだ。

 一方で、上記のような「なぜSNSでこれをやらないのか」という問い自体も暴力的だと思っている。なぜなら、人によってはSNSをドクターストップされている場合もあるからだ。そこまででなくとも、メンタルの危険を感じて見ないという時期は私にもある。何しろ、22年から24年の3年間でSNSでの誹謗中傷やトラブルを原因とした自殺者は101人。命を奪われるほど危険な場なのだ。そんなところで「何かを表明しろ」と赤の他人に要求するなんて、どうかしているとしか思えない。

 しかし、SNSでは何かの事態が生じると、「沈黙」自体が罪とされるような空気があるのも事実だ。なんらかの事象に積極的な発信をしている人の中には、そうしない人、黙っている人を責めるだけでなく、そのことを「加害」と言う人もいる。

 私自身も、自分と全く関係ない出来事についての沈黙を結構なテンションでなじられたことがある。もちろん、どこの誰かも知らない人に。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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