「結婚してる?」と聞かれ、「写真で見るよりいい女」と言われた時の正解は?
雨宮処凛(作家、活動家)
2025年12月、TBSテレビ系火曜ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』が最終回を迎えた。
断片的にしか観ていないが周りにはハマっていた人も多く、挑戦的なタイトルと「あるある」を盛り込んだドラマは大きな話題となった。
10年前、20年前だったらそんなタイトルのドラマは企画すら通らなかっただろう。そう思うと隔世の感がある。思えば少し前まで「浮気は男の甲斐性」「家事は女がして当然」なんてことを言うオジサンが幅を利かせていたのだ。そのようなオジサンの肩身がどんどん狭くなり、「昭和の忘れ物」を見るような目で見られるようになったことは大いに寿ぎたいことではないか。現在50歳の私と同世代の男性も10年くらい前までは昭和の価値観を引きずっていたが、今は「昭和と令和のハイブリッド」くらいにはなっている。
さて、それでは私たちの親世代はどうなのか。
私の親はバリバリの団塊世代だが、少なくとも私は「男は外で働き、女は家庭」という価値観を押し付けられたことはない。父親が働き、母親が専業主婦という家庭だったが、子世代に対しては当然「女も社会に出るもの」という前提は共有されていた。また、結婚や出産に対しても、せかすようなことを言われたことはない。
そう思うとそれなりにアップデートしてきたのだろうことが窺えるが、一方で、母親は「見た目」に対してはかなりズケズケとものを言う。「太った」「痩せた」をはじめとして、髪型や服装について否定的なことを言われるたびに、「今時そんなこと言う?」と驚かされる。
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親子ならではの距離感ということもあるのだろう。が、思えば私の周りでは「見た目」について言及する人はこの数年でほぼ絶滅。ジェンダー意識が高まったり、「ルッキズム」という言葉が浸透する中で、容姿に対して口に出すことはタブーとなりつつある。よって私も極力言わないようにしているのだが、少し前、実家に帰省すると母親にまたしても「見た目」のことでダメ出しされ、面食らったのだった。
内容はと言えば、「髪の艶」について。以前より髪全体に艶がなくなったなどと心配するのだが、あなたの娘はとっくに50歳。半世紀も生きていれば、女性ホルモンだってエストロゲンだって 下降する一方、艶などなくなって当たり前である。しかもこの年になれば、もう栄養分は髪の毛よりも骨とか関節とかの方にいってほしい、切実に。
が、母は艶だけでなく「量も減った」などと言い出すではないか。
それはその時の私が非常に気にしていたことだった。その少し前、傷んでいる髪をなんとかしたいと思い、プレミアムストレートというのをかけていたのだ。その結果、髪が不自然なほどまっすぐになりすぎて頭頂部がペタンコに。なんだか急激に「薄毛」になったような髪型になってしまったのだ。要は結構な金と時間 (4時間)をかけて、ハゲ散らかした? みたいな印象になってしまっていたのである。
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こっちが気にしているのに、そのことをズケズケと指摘する母。寝る寸前だったので反論しなかったものの、ベッドに入ってから悶々とし、翌朝、寝起きとともにあまりにも失礼ではということを伝えると、母は謝りつつ、私を見て言った。
「あ、でも今はいいよ。今の感じだったら大丈夫」
その時の私は、偶然にも頭頂部が少しふんわりしていたらしい。が、それを「いいよ」と言われたことに、ものすごくモヤモヤした。母は「褒めてあげたのになぜ喜ばない?」という顔で私を見つめている。だけど、私の胸の内にあるのは「怒り」と言っていい感情だった。
その時は、なぜ腹が立ったのかわからなかった。しかし、あとで考えて、気づいた。
私は自分の見た目について、誰かに勝手に「いい」とか「悪い」とか上から目線でジャッジされることが嫌だったのだと。あの怒りは、勝手に値踏みするなんてお前は何様? という怒りだったのだと。
思えばそれは母親だけでなく、小さな頃からずーっといろんな人にやられていたことだった。思春期以降は知らないおじさんまでもが勝手に値踏みし、点数をつけてきた。その中には明らかな「褒め」もあったものの、そんな時ほど混乱した。なぜなら相手はやはり、「褒めてやってるのになぜ喜ばない?」という顔をしているからだ。
頭では、喜んだ方がいいのだとわかっていた。だけどどうしても笑顔など出てこなくて、「憤懣やる方ない」みたいな表情になった。そんな私を見て、「照れなくてもいいよ」と茶化す人もいれば、人の「賞賛」に感謝しないなど性格・人格に問題があるというような言われ方をすることもあった。だけど、私は「自分のことを棚にあげた誰か」に、勝手にジャッジされるのが嫌だったのだ。長年のモヤモヤに、やっと回答がもたらされた気がした。
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見た目への言及に対して、「否定的なものはダメだけど肯定的なものだったらいいのでは」という意見は以前からある。私自身もこれまで、「それはそれで本人が嫌でなければアリかもしれない」とどこかで思っていた。なぜなら、親しい人や好感を持っている人には、見た目でもなんでも褒められると嬉しいからである。
一方、世の中には「見た目褒め」を非常に問題視する人もいる。SNSのタイムラインには、「美人と言われた、許せない」「きれいですねと言われたけど、それはセクハラ」などの告発も溢れている。時には「そこまで怒る?」と思うこともある。しかし、私は母の「今はいいよ」という肯定に意外なほど反発を覚えたことにより、「プラスの意見も控えるべき」という理由がストンと腑に落ちた。一方的なジャッジは、関係性によっては非常に暴力的になるのだ。
さて、それから少し経って、ある地域にイベント出演で行くことになった。
イベントは無事終わり、懇親会に参加した。普段はそのような場は遠慮することが多いのだが、関係者からの依頼もあり参加したのだ。
十数人の出席者はほぼ親と同じ団塊世代で大半は男性だった。
居酒屋の座敷で始まった懇親会で、乾杯の挨拶のために一人の男性がグラスを掲げて挨拶した。
さあ、楽しい宴の始まりだ。と思った瞬間、その男性は私のことを「最初の頃は小娘と思ってましたが」と口にした。
一瞬、場の空気が凍った。それを感じて、私は笑顔で流した。同時に「帰りたい」という言葉が頭をよぎったものの笑顔をキープし(小心者)、宴は始まった。
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そこからは楽しく過ごしたものの、お酒も入って酔いも回り、その勢いでいろんな人が話しかけに来てくれた宴の後半、雲行きというか、治安が怪しくなった。
最初の攻撃は、突然の「結婚してるの?」だった。
普段、個人的なことを聞かれることがないので(友人関係だったらプライベートなことは知っているが、仕事関係では今、そういうことを聞かれることがまったくない上、私も聞かないようにしている)、あまりにもド直球な不意打ちに「してません」と事実を答えると、返ってきたのは「もったいない!」という渾身の嘆き。
それからも「奇襲攻撃」は続いた。
いわく、「写真で見るより美人」「実物の方がいい女」等々。
50歳の中年女性を捕まえて何を言ってるのかと思ったが、団塊世代の男性にまったく悪気はなく、褒め言葉として言ってくれていることは伝わってくる。
が、私は面食らっていた。同時に、自分が生きている東京の出版界隈・社会運動界隈という場所がいかに狭く特殊な世界なのかにも気づかされていた。私が普段会う人はある程度のジェンダー意識があり、ルッキズムはいけないとかの「前提」をクリアしている人たちである。しかし、その小さな小さな村を一歩出れば、まったくの別世界が広がっているのだ。そしておそらく、そちらの方がまだまだずーっと多数派なのだ。
いろいろと得難い体験をして、懇親会もそろそろお開きとなった。
たくさんの人と話したけれど、その中で、一切個人的な詮索をせず、見た目言及もしない団塊男性がいた。
その日のイベントについての感想などを伝えてくれたその男性に、「野生の王国」に放り込まれたような気分でいた私は密かに安心感を覚えていた。が、そろそろお開きという頃、男性は「最後にこれだけは言っておきたくて」と言い、続けた。
「雨宮さん、次に会う時までは、いい人見つけて結婚できてますように」
撃沈した。
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なぜ、結婚してないことで「もったいない」と言われ、「いい人見つけて」などと言われるのだろう。
それは団塊世代の多くが結婚することが当たり前で、それが「良きこと」という価値観があるからだろう。