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連載

「失われた30年」、働かずに遊んでたら一周回ってトップランナーになっていた「だめ連」

雨宮処凛(作家、活動家)

 30年間、なるべく働かず遊んで暮らしていたら、時代の最先端になってた人たちがいる。

 それは「だめ連」。

 今から32年前の1992年、当時20代だった神長恒一さんとぺぺ長谷川さんによって結成された。

 世の中がまだまだバブルに浮かれていた中、当時は当たり前と思われていた就職や結婚をせずに生きていく道を模索したムーブメントで、モテない、職がない、なんの取り柄もないなど「だめ」な人たちが、「だめ」をこじらせないための場として機能してきた。

 主な活動は「交流」。「うだつ問題」(どうやってうだつを上げるかにこだわることなど)や「ハク問題」(箔をつけることにこだわること)などが大いに議論されてきた。

 そんなだめ連、90年代から2000年代にかけてテレビや雑誌などでも大きく取り上げられたので40代以上の中には覚えている人も多いだろう。

 が、気がつけば日本は「格差社会」などと言われるようになり、それまで当たり前にできると思ってた「就職」や「結婚」が、恵まれた層にしか叶わないものになっていった。

 そんな中、だめ連の名をメディアで目にすることは減っていった。

 しかし、彼らはこの30年、まったくブレることなく、最低限しか働かずに交流をメインとして生きてきた。そうして平成のほぼ丸ごとと令和の時代を、二度寝や遊び、交流に費やして駆け抜けてきた。

 そうしたら、どうしたことだろう。2020年頃には中国で「だめ連」を彷彿とさせる「寝そべり族」が大ブームとなり、「中国版・だめ連!」と注目を集めるようになる(寝そべり族については、『「競争、疲れた……」中国・寝そべり族出現について、日本の「だめ連」に聞く 』として、この連載でも紹介。そこには神長さんが登場している)。

 そんなこともあってなのだろう、今、だめ連が再び脚光を浴びつつある。「多様性」が良しとされ、「SDGs」(持続可能な開発目標)に世が沸く中、だめ連の生き方はまさに時代を先取りしていたことが再評価されつつあるのだ。

 翻って、この30年間、日本は先進国で唯一賃金が上がらないなど停滞と衰退の中でくすぶってきた。そんな「失われた30年」では、猛烈な勢いで雇用の非正規化と不安定化が進んだり、成果主義が導入されたり、そのせいで職場の全員が敵・ライバルとなり孤独な戦いを強いられる果てに心を病む人が続出するなどした。

 それだけではない。「自己責任」という嫌な言葉が定着し、「助け合い」などは死語となり、「自分より少しでも楽して得して怠けてるように見える人」に盛大なバッシングがなされるようになった30年でもある。ざっと振り返っても、公務員バッシングや生活保護バッシング、障害者ヘイトや高齢者ヘイト、子連れヘイトなど枚挙にいとまがない。

 バブル崩壊により、幸せになれる方法どころか、最低限、野垂れ死しない方法すらわからなくなった30年。経済が停滞し、社会に余裕がなくなる中で「弱いものがさらに弱いものを叩く」ような光景があちこちで見られるようになった年月。

 そんな中、今、私たちの前には愕然とするような回答が提示されている。

 それは、この30年、遊んで寝てた者が一番の勝者だったのでは? という信じがたい事実だ。

 もしかして、人々はこれほどまでに傷つけ合い、奪い合い、いがみ合う必要なんてなかったのではないか――?

 そんなことを私に突きつけたのは、24年1月に出版された『だめ連の 資本主義よりたのしく生きる』(神長恒一/ぺぺ長谷川著、現代書館)。だめ連の24年ぶりの書籍である。本の巻末では、「だめ連」と20年ほどの付き合いがある私も鼎談に登場している。

 この本の出版こそが、「だめ連再評価」の流れを決定的なものとしたと言えるのだが、本書では、だめ連結成のきっかけにも少し触れられている。

 例えば神長さんは大学卒業後、百貨店に就職しているのだが、わずか10カ月で会社を辞めてぺぺ長谷川さんとだめ連を始める。なぜ辞めたのかと言えば、デパートで服を売ることに疑問を感じたからだという。

〈服っていうのはさ、もういっぱいあるじゃん〉

〈もう消費のための消費っていうかね、まだ着られるのに時代遅れみたいなかんじでね、わざと意図的にやってるわけでしょ。むりやり購買意欲あおったり〉

 エシカル(「倫理的な」という意味。「エシカル消費」などの使い方をする)やSDGsなんかが花盛りの今、この感覚に同調する人は多いだろう。が、当時はバブル。「ダサい」ことが最大の罪とされた時代、こんなことを考えてるのはテレビドラマシリーズ『北の国から』の五郎さん(主人公・黒板五郎、田中邦衛氏が演じた)くらいではなかったか。

 本書の前半では、だめ連結成から30年、2人がどうやって「しのいできたのか」が語られるのだが、2人とも基本、バイト暮らし。だいたい月に7万円ほど稼いできたという。

「7万円で生きられるの?」と思う人も多いだろう。が、本書には、お金をかけずに楽しく生きる彼らの実践があますところなく紹介されている。

 例えば家賃が安いところに住むなんてのは基本中の基本。ぺぺさんに至っては長年にわたりアパートを借りず、〈日々居候先が変わる〉生活を続けてきた 。

 だいたい東京に限らず、都会の家賃は高すぎる。だからこそそれを払うためにたくさん働かざるを得ないわけだが、労働時間が長くて疲れると料理も億劫になり外食やコンビニ頼りの生活となるわけだ。そこを根底から見直すことで世界はがらりと変わる。

 例えば神長さん、この数年は週2日労働 。仕事は障害者の介助と学童保育。「デパートで服を売る」のと違い、環境破壊とも資本主義的搾取とも遠い職種だ。そんな彼には同じような生き方をするパートナーがいるのだが、同居しているので家賃は折半。収入が少ないと心配なのは食費だが、アパートの庭でプチトマトやキュウリ、春菊、セロリ、パクチー、バジル、明日葉や山椒、小松菜などを栽培しているという。庭で作る野菜は無農薬とのことで、〈やっぱり採れたての野菜っておいしいね〉 とさらりと口にする神長さん。思わず「セレブかよ?」と突っ込みたくなる暮らしぶりではないか。

 それだけでなく、梅干しや梅酒も作り、野草茶も手作りしているそうだ。

 また、山や海や川でタダで遊ぶノウハウもたくさん紹介されている。

 まず、山はおにぎりを持っていけば電車賃だけで済む。それだけではない。山菜やキノコだって手に入るし、その場でキノコを天ぷらにして食べればご馳走だ。海に行けば魚を釣ってフライにする。なんとも贅沢な時間ではないか。そうして夜になれば、天体観測。

〈星空を見るのも当然タダだから、おすすめです。夜になって星と月が出ると宇宙が見えるという、それをゆっくりとみんなで楽しむっていうのは最高のぜいたくですよ〉 と、なんだか平安時代の貴族みたいなことを言う神長さん。

 空の楽しみ方はそれだけではない。彼らは日頃から金環日食や皆既月食飲み会なんかをしているというではないか。近所の公園で開催するそうだが、ぺぺさんは〈雲はあったほうがいいね〉 などと風流なことを口にする。

 そんな彼らが働くことに疑念を抱くのは、それが環境破壊や人間らしさの喪失につながるからだ。

 本書では、老人施設で働く彼らの友人のエピソードが紹介されている。お年寄りに食事の介助をする際、全員に時間内に食べさせなければならないわけだが、一人ひとりペースは違う。それなのに、どんどんスプーンで口にご飯を運ばないといけない。上司にそのことがつらいと話すと、友人は〈感情は捨ててください〉 と言われたという。

 技術や知識とともに優しさや思いやりが大切とされる場で、同時にそれを「捨てる」ことを強要される仕事。

「仕事なんてどれもそんなもんだ」と思う人もいるだろう。が、そういうひとつひとつにつまずいたり、立ち止まったりしないと、私たちは「仕事のため」に際限なく感情を捨てることができてしまう生き物でもある。仕事でなくたっていい。なんらかの大義のためであれば、人の命を奪うことすら厭わない行動ができてしまうことは嫌というほど歴史が証明しているではないか。

 そんな彼らの周りには、包丁研ぎをする代わりに何かをもらうという物々交換をしている人がいたり、釣った魚をお店や個人に売ってる釣り名人などがいるという。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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