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「若者たるものクリスマスには高級ホテルでセックスしなければならない」と法律で義務づけられていた(かのような)時代 〜恋愛に「全員強制参加」ハラスメント

雨宮処凛(作家、活動家)

 気がつけば世の中は、美少女キャラの「萌え絵」に満ちている。

 私が20代だった1990年代、それらにはまだあまり市民権もなく、アニメオタク界隈のみに存在するものだった。

 が、そんな美少女キャラたちは気がつけば一般書籍のみならず、あらゆるグッズのキャラクターとなって子どもたちにも人気を博し、果ては自衛隊や自治体にまで起用されるようになっている。今や1日の中で、その手のイラストを目にしない方が難しいくらいだ。

 そんな美少女キャラだが、この数年、何度も「炎上」してきた。ご存知の通り、肉体を強調するイラストが公共の場に掲示されることが問題視されてきたわけである。これについては多くの識者が賛否を表明しているが、今回はいわゆる「萌え絵」系ではない「エロ」「性的表現」について考えたい。

 というのも、最近驚くことがあったからだ。

 それはある雑誌で取材を受けたことによる。内容は私がメインテーマとする貧困問題だったのだが、掲載誌が送られてきてページを開いた瞬間、思わずのけぞった。

 その雑誌はいわゆる男性向けのもので、女性のヌードグラビアがあり、また特集記事では男女の絡み写真などが掲載されていたからだ。

 なんの心の準備もなく、日常に飛び込んできた赤の他人の裸体。

 それに私は、びっくりするほど衝撃を受けた。ダメージを食らったと言ってもいいほどに。

 同時に、そんな自分に驚き、そして、思った。

 ああ、私は20年以上前、毎日のようにこういうものを目にしていたな、と。

 遠い目になった後に気づいたのは、そういうものを目にするたびに、当時の私はどこか傷ついていたということだ。そのようなコンテンツを目にしなくなって久しく経って、どれほど自分が影響を受けていたか、改めて思い知った。

 それではなぜ、20年以上前の私は毎日のように「女性の裸体」写真を目にしていたのか。

 その理由には、自発的なものとそうでないものがある。

 自発的なものとしては、10代後半から20代なかば、サブカルクソ女だったことによる。

 当時のサブカル(90年代)はエロと親和性が高く、よく読んでいたサブカル雑誌には必ずと言っていいほど女性の裸があった。普通のヌードグラビアっぽいものもあれば、いわゆる鬼畜系AV系もあった。

 当時の私にとって、それらは積極的には目にしたくないものだった。けれど、そういうものを見たくないと思うこと自体が「PTAのおばさん仕草」のように思えて、「こういうの見てもなんとも思わない私」を気取ってた。

 自発的でないものとしては、25歳で物書きデビューしたということがある。インタビューを受けたり、連載している媒体のものとして我が家にはひっきりなしに男性誌が送られてきたのだ。私がデビューしたのは2000年。まだまだ雑誌に元気があり、またコンビニでエロ本が普通に売られていた時代。掲載誌を開けば、読み物よりずっと多くのページを「女の裸」が占めていた。

 そんな中には、複数の女性の身体のパーツを比較するような企画などもあり、そんなふうに商品化され、消費される女性の性にモヤモヤすることもあった。そうして20代だった自分自身も、外に出れば知らないおじさんに露骨に身体のパーツに言及されながら声をかけられることもあり、気持ち悪いのと胸糞悪いのとでどうにかなりそうなこともあった。また、グラビアの写真に勝手にコンプレックスを刺激されることもあった。

 もうひとつ、苦しかったのは、当時のその手の雑誌には、「みんなセックスしてるんだからお前らもしろ」というような圧力が満ち溢れていたことだ。

 いや、そんなにストレートな呼びかけではないものの、雑誌を開くたびに「こんなセックスが最高」「女はここが感じる」みたいな言葉が目に飛び込んでくると、何か毎日のように「セックス」をしていない人間はものすごく損をしているように感じさせられてしまうのだ。

 ちなみに私の好きな漫画に福満しげゆき氏の『僕の小規模な失敗』(青林工藝舎、2005年)、『僕の小規模な生活』(講談社、全6巻)がある。どちらかは忘れたけど、その漫画で一番好きなのは童貞・非モテの権化みたいな主人公が布団に潜って「みんなセックスしてる! みんなセックスしてる!」と叫ぶシーン。

 で、毎日その手の雑誌を見ていると、別に欲求不満なわけでもないのに、あの漫画の主人公のような気持ちに強制的にさせられてしまうのである。

 というようなことを、その手の雑誌をほとんど見なくなって20数年経った最近、思い知らされたのだった。同時に気づいたのは、そういうものが目に入らない環境(青年誌と縁遠くなったりしたことによる)は、随分と私に「心の平安」を与えていたということだ。

 さて、そんなことを考えていて改めて思ったのは、昭和生まれの私にとって、「セックスしろ圧」はずーっと隣にあったということだ。

 思えば10代の頃は、みんながみんな、セックスをせずに20歳を迎えること=「ヤラハタ」(ヤラずにハタチの略)を極度に恐れていた。周囲から嘲笑され侮蔑されることが主な理由だ。それはほとんど「ヤラハタに人権なし」という状況で、だからこそ、なんとかして20歳までには童貞・処女を捨てなければ――。昭和50年生まれの私の周りはほとんどがその価値観を内面化していたと思う。

 大きかったのは、やはりメディアの影響だと思う。

 特に私が小学生の頃に放送開始となった番組・「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系列のバラエティー番組、1985〜87年)の影響は絶大だった。現役女子高生たちによっておニャン子クラブが結成され、あどけない少女たちが「セーラー服を脱がさないで」というあまりにもあまりなタイトルの歌を歌って大ヒット。あのような歌が白昼堂々、子どもの自分も聴けることに対して、小学生だった私は「いいのか?」と心配になったことを覚えている。

 しかし、日本社会はそれを許容した。そうしておニャン子クラブは一世を風靡し、当時の子どもたちに強烈に「性的なもの」を植え付けた。

「友達より早くエッチをしたいけど」とか「ちょっぴり恐いけどバージンじゃつまらない」「おばんになっちゃうその前に おいしいハートを食べて」(秋元康作詞『セーラー服を脱がさないで』)なんて歌詞は当時の小学生にも刷り込まれ、処女=悪、友達より先に性行為をする=善、という図式として焼きついた。

 今思うと、小学生から「ヤラハタ」に怯えるような中で育った自分がかわいそうだと思う。小学生なんだから、もっと鬼ごっことか影踏みとか缶蹴りとかかくれんぼとか、あとスーパーマリオとかに夢中になって子どもらしく生きていればよかったのだ。

 しかし、そうは問屋が卸さないのも昭和の学校。

 私の通う小学校の担任教師は今から思うと完全アウトなセクハラ教師で、女子生徒の胸は触るわプール授業の前は「女子が楽しみだ」と公言するわという、今だったら週刊誌や新聞に登場するような人物だったのである。そんなセクハラのたびに女子生徒たちからは「ギャーッ!!」という悲鳴が上がるものの、当人はそれを「子どもたちが盛り上がり、喜んでいる」と捉えるような感覚の持ち主。そしてそんなセクハラを知りながら問題視する教師は誰一人いなかったのだから、本当に、昭和の学校は無法地帯だったとつくづく思う。

 そんな小学生時代を過ごしたわけだが、中高生の頃はと言えば、世の中はバブルの絶頂。

 当時の日本は「若者たるものクリスマスには高級ホテルでセックスしなければならない」「花金(『花の金曜日』という死語)やサタデーナイトはフィーバーしなければならない」と法律で義務づけられているような社会。高校卒業まで北海道の片田舎で過ごした私も、しっかりその影響を潜在意識下に受けていた。別にディスコでフィーバーなどしていないが(そもそも地元にディスコなどなく、ジャスコすらなかった)、「若者たるものセックスしなければならない」という圧は常に感じていた。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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