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連載

一部おじさんの「俺のこと誘ってる?」的勘違いはどこからくるのか

雨宮処凛(作家、活動家)

 少し前、なんだかすごい光景を見た。

 それは都内を走る電車の中でのこと。座席はすべて埋まり、つり革もほぼ埋まる車内に、爽やかな風が吹き抜けるような光景が広がった。ちょうど空いた私の隣に座ろうとした2人の外国人女性(推定20代、ラテン系な感じ)が、近くの日本人高齢男性に席を譲ったのだ。

 日本語ができないと思われる2人は、満面の笑みで男性たちに座席を示し、座るようジェスチャーで伝える。

「あ、ああ……」と戸惑う様子の高齢男性3人。見れば、3人ともかなり困惑した顔をしている。その顔を見た瞬間、「ヤバ」と思った。座席を譲られて「そんな年寄りじゃない!」と逆ギレするパターンかと思ったのだ。しかし、男性3人は互いにバツが悪そうに顔を見合わせると、私の隣の席に並んで座った。

 ほっと胸を撫で下ろした瞬間、一人が言った。

「いや、俺、初めてだよ席譲られたの……」

 他の2人も戸惑ったような声を出す。

「ほんと、こういう気持ちなんだな……」

「俺、若く見えるって言われるんだけどな〜」

「そんなこと言ったって俺ら75だぜ?」

 ほほう、「後期高齢者」と呼ばれる年なのか……。それで人生初の「座席譲られ」を経験したというわけだ。自分の身に置き換えると、それは戸惑うものだろう、とちょっと同情していると、一人が言った。

「いい身体だな」

 男性の視線の先には、さきほど席を譲ってくれた2人の女性の後ろ姿。つり革に捕まる2人の下半身を覆うのは、どちらもぴったりとしたパンツ。

「いじってみたいな」

 もう一人も呟いた。相手に聞こえるほどの声の大きさだが、日本語がわからないと踏んでいるのだろう。

「どこの国かな」「若いな」「ピチピチしてる」

 言葉がわからないと見て、男性たちから次々と無遠慮に発される言葉。席を譲った2人は、「親切心から席をゆずったおじいさん」がまさか性欲全開で自分たちの品評会をしているとは思わないだろう。どうかあの2人が本当に日本語がわからない人でありますように。祈るようにそう思っていると、一人が信じられない言葉を口にした。

「もしかしてあの子ら、俺たちと遊びたいから話しかけたんじゃないか?」

 何をどうしてどうやったらそんな理解になるのか本当に不明だが、一人のそんな言葉に他の2人が俄然色めき立つのがわかった。

「そうなのか?」

「だから、きっかけっていうか」

「それで話しかけたっていうのか?」

「俺たちに誘われるの狙ってってことじゃないのか?」

 なんというポジティブさ。呆れつつも耳をすましていると、一人がとんでもないことを口にした。

「誘ってみるか?」

 手にじわりと汗が滲むような言い方だった。覚悟、という表現がぴったりな空気が3人を包む。久々の出動にビビるように、「俺、もう何年もそんなのご無沙汰だからよぅ……」と弱気な台詞を吐く爺さんに、「声かけるだけだからよ!」と励ます爺さん。

 本当に声をかけるのだろうか……。

 緊張からか無言になった3人は、ある駅が迫ると降りる準備を始めた。と、彼女たちも同じ駅で降りようとしているではないか。

「よし」と目線を合わせた3人は、女性2人よりも先に電車を降りていった。あのあと、3人が声をかけたのかかけなかったのか、それは永遠の謎である。

 さて、そんな光景を見て久々に思ったことがある。

 それは「なぜ、この国の一部男性は自己評価が異常に高いのか」ということだ。

 高齢男性3人は、年相応の「お爺さん」たちだった。日本昔ばなしに出てくるような腰の曲がったお爺さんではなく、「おじさん」とカテゴライズされてもいい感じだったけれど、2人の女性が席を譲ったのは私からも理解できた。

 しかし、彼らの自己認識は決してそうではなく、「電車の中で若い外国人女性に逆ナンされてもおかしくない俺たち」なのである。

 この「根拠不明な前向きさ」、私は多くの年配男性たちからビシビシと感じてきた。世代でいうと、団塊世代とそれ以上に顕著な気がする。いや、別に逆ナン云々ではなく、私はこの世代の男性たちに対してずっと思っていたことがある。

 それは、「なんであの人たちはむっちゃナチュラルな自己肯定感を搭載しているのだろう?」ということだ。

 うまく言えないが、自虐したりことさら自分を卑下することなく、「まっすぐな自信」みたいなものがあるのだ。その自己肯定感の高さはいいことばかりではなく、先ほどのエピソードのような勘違いも多々生み出し、職場でのセクハラ(本人は恋愛だと思っていて、既婚男性のおじさんに独身女性がなびくと本気で思っている)などにも繋がってきたのだが、とにかく常々、「なんで一部年配男性って、あんなに自己肯定感高めなんだろう?」と思ってきた。

 翻って団塊ジュニアの40代である私は物心ついた時からずーっと「生きてちゃいけないんじゃないか」とうっすら思っている。同世代や下の世代にも「こんなんで申し訳ない」といった存在への不安を感じる。持って生まれた自己肯定感を、比較され、競争させられ、日々ダメ出しされることによって義務教育課程を終える頃にはすっかり奪われていたという感覚だ。また、同世代とそれより下の一部男性には「非モテ」「インセル(不本意な禁欲主義者)」「弱者男性」といった言葉がつきまとう。「あの女、俺ら狙ってるかも」(by75歳)どころか、「すべての女性は自分を相手にするはずがない」という強固な自己否定に囚われている男性も珍しくない。

 2021年8月には、それを象徴するような事件が起きた。小田急線で36歳の男が乗客を切りつけ、10人が重軽傷を負ったのだ。逮捕された男は「幸せそうな女性を見ると殺したくなった」と供述。事件を「フェミサイド」(女性であることを理由とした殺人)と指摘する声も多く聞かれた。

 そんなふうに「暴発」する若い世代がいる一方で、なぜ、多くの年配男性たちは自らを自然に肯定できているのか。

 最近、複数の団塊世代とそんなテーマで話す機会があったのだが、返ってきたのは「日本経済が右肩上がりだったから」というものだ。

 明日は今日より良くなる。未来は今よりきっと良くなる。そんな確信を、彼らは若かりし日々から壮年期に至るまで共有していたというのだ。特に1960年には池田勇人内閣が「10年間で所得を2倍にする」という「所得倍増計画」をぶち上げ、10年後には本当に一人あたりの消費支出が2.3倍に拡大。30年間賃金が上がらない「失われた30年」と社会人生活がほぼかぶっている団塊ジュニアには、想像もつかない世界を生きてきたのである。

 そんな高度経済成長の右肩上がりと人生が完全に一致したとしたら。

 それはマジョリティ男性にとって、生きづらさを極限まで感じずに済む世界ではないだろうか。もちろんそれは「24時間戦えますか」的な世界で、企業社会になじまない人間にとっては地獄だったろう。が、雇用の安定が人生の安定につながるという面では「ザ・盤石」な世界である。

 なぜなら、男性であれば正規職が当然。ちなみに60年の生涯未婚率は男性1.26%、女性1.87%。75年で男性2.12%、女性4.32%と一億総結婚の時代である。定職さえあれば、なかば自動的に結婚や子ども、ローンを組んだ家などがついてきたと言えるだろう。実際、親世代の多くはそれを手に入れている。レールから外れるとキツいが、レールにさえ乗ってしまえばおそらくいろいろと悩まなくてよかった時代。

 その上、給料もどんどん上がっていく。「ニッポンすごい」なんてメディアが煽らなくとも、「ジャパンアズナンバーワン」なんて言われていた頃。

 それでは、団塊ジュニアとそれより下の世代はどうか。

 ロスジェネでもある私の子ども時代はバブル。が、自分が社会に出る直前にもろくも崩壊。少し上の世代が「超売り手市場」と言われる中、企業社会に歓迎される姿を見ていたのに、自分たちの番が来た途端、扉は突然閉ざされた。そうして「100社落ちる」なんてことが当たり前の世界線に放り出されたのだ。同時にバイトの時給は下がり、不況はどんどん深刻になり、98年には年間自殺者が3万人を突破。

 気がつけば世の中は「格差社会」なんて呼ばれるようになっていて、それは「どんなに頑張っても絶対に報われない層」を膨大に生み出した。その背景にあるのは、労働者派遣法の改正による不安定雇用の拡大だ。雇用の調整弁となった非正規は使い捨てられるのが当たり前になっていく。雇用が細切れだと、当然、「結婚」に二の足を踏む人々が増えることになる。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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