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連載

私の中の「優しい人」考

雨宮処凛(作家、活動家)

 あなたが好きなタイプは――?
 そんな質問への、もっとも無難な答えは「優しい人」だろう。
 ここでいきなり外見について細かくあげつらったり、年収や職業など、具体的なことに触れると「自分のことを棚に上げる、ずうずうしい奴」と思われるのが関の山だ。ただ、まったく興味も関心もない人に、下心を匂わせる感じでそう聞かれた場合、その人と正反対のタイプを列挙すると、確実に空気を悪くすることができる。
 さて、優しい人。
 漠然とした、あまりにも広い概念である。が、みんながみんな好きなタイプに「優しい人」と挙げるからには、優しければモテるはずである。
 そう思って私自身、優しい人になるべく、いろいろ努力してきた。なにしろ私のまわりには、バカみたいに優しい人がそろっているのだ。
 私はもう7年ぐらい、この国に広がる格差や貧困をなんとかしよう、という「反貧困運動」というものに関わっているからである。一緒に運動をしている中には、外国人労働者から労働相談を受けたり、何十年もホームレス支援をしていて、貴重な週末を炊き出しに使ったり、寒い冬には温かいスープなどを届けたり、という人がたくさんいる。
 また、孤独死があった現場にかけつけて葬儀までのすべての面倒を見たり、身寄りがない人の遺骨を預かったり、という活動をしている人もいる。
 これらすべて1円の収入にもならない、ボランティア活動なのだからすごい。

 そんな「優しい人」たちを見習って、私もいろいろやってきた。
 例えば、見ず知らずの読者から「自分はネットカフェ難民ですが、お金が1円もないのに店に入ってしまい、それがバレて警察を呼ぶと言われました。なので死にます」などというメールがあった時には、かけつけて支援団体につなげた。年に何度かは、ホームレス支援の人たちとともに、生活相談などのお手伝いをすることもある。
「このNPOはとても大切な活動をしているけど、お金がなさそう」という団体には寄付もしてきたし、人間以外への支援としては、一時期、自分の家の近くのノラの子猫を保護し、地域猫のボランティアさんたちと一緒に里親を探す手伝いなどもしていた。
 が、これだけいろいろ「優しい人」と思われそうなことをしているのに、モテる気配はまったくない。別にモテたいからやってるわけではないのだが、二次災害的に「こんな活動してたらモテちゃった☆」「素敵な彼氏ができちゃった☆」的なことがあってもいいはずだと思うのだ。
 なんで? どうして?
 頭の中が疑問符で一杯になってから数分後、気づいた。私のまわりの「バカみたいに優しい人」たちも、モテている気配がさっぱりないのだ。

 なぜ? 好きなタイプのトップとして君臨している「優しい人」が、どうしてモテていないのだ?
 しばらく考えをめぐらせたところ、ある答えに行きついた。それは彼・彼女らには「出会いがない」ということである。
 なにしろ彼・彼女らが、様々なボランティア活動で出会う人は、ホームレスの人ばかり。もちろん一緒に活動している男女が、カップルになることはあるが、それはとくに「モテ」ではない。
 翻って、私自身にもあまり出会いはない。やっぱり現場で出会う人は、ホームレスやネットカフェ難民状態の人、もしくは猫。そして猫好きなオバサンたちだ。
 モテるためには、おそらく行くべき場所があるのだろう。しかし、どこに行ってどういう風にすればモテるのか、私にはまったくわからない。
 そんな私にも、ほんの時々、出会いの場はある。友達のイベントや、飲み会なんかに呼ばれたりする時だ。
 しかし、ここまで書いてきたような話を、反貧困運動やボランティア活動などとまったく無縁の人にするたびに、「優しい人」ではなく、「おかしい人」「あやしい人」というレッテルを貼られてしまう。人によっては「なんの宗教?」と聞いてくるし、「うーん、よくわかんないけど、寂しいんだね」と慰められてしまうこともある。
「優しい人」をアピールしようと思ったら、「寂しい人」と決めつけられてしまうのだ。また、「そんなことやってなんか意味あんの?」という感じで、なぜか敵がい心をむき出しにされることもある。

 ここまで書いてきて、わかった。
 私が思う「優しい人」と、世間一般の「優しい人」は違うのではないか? ということだ。
 例えば世間では、荷物を持ってくれたり、ドアを開けてくれたり、といった上っ面なことが「優しい」と認識されているのではないだろうか。
 が、私の思う「優しさ」は、例えば社会的弱者と呼ばれる人たちに寄り添う心を持っていたり、自分の時間を割いて具体的になんらかの活動に参加していたり、ということだ。いや、実際に活動はしていなくてもいい。ただ、「社会の矛盾」をスルーするのではなく、ちゃんと様々なことに目を向け、考えていること。
 そういう意味では、私の中での「優しさ」は対人関係の作法ではなく、世界へどんなまなざしを向けているかを基準にしている。「賢さ」と言いかえてもいいかもしれない。
 そこまで言うんなら、わざわざどこかで出会いを探すのではなく、そういう活動をしている人とつき合えばいいのでは、と、たった今、自分から突っ込みが入ったところだ。
 だけど、残念ながらまったくそんな気は起きない。なぜなら、私の好きなタイプは「優しい人」ではなく、「ワケのわからない人」だからだ。
 なんだか今、ここまで「優しい人」について書いてきて、ちょっと損した気分だ。

次回は10月3日(木)、テーマは「得な人、損な人」の予定です。

著者情報

作家、活動家

雨宮処凛

あまみや かりん

1975年、北海道生まれ。作家、活動家。反貧困ネットワーク世話人。バンギャル、右翼活動家を経て、2000年に自伝的エッセー『生き地獄天国』でデビュー。自身の経験から、若者の生きづらさについて著作を発表する傍ら、イラクや北朝鮮へ渡航を重ねる。その後、格差や貧困問題について取材、執筆、運動を続ける。『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』など多数。

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