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常識を疑え!

かつてのサブカル・キッズたちへ~時代は変わった。誤りを認め、謝罪し、おずおずとでも“正論”を語ろう

香山リカ(医師)

 コロナ禍で強行した東京オリンピックが幕を閉じた。
 感染症の影響にとどまらず、このオリンピックは、招致が決まった当初からさまざまな疑惑や不祥事に“伴走”されながら準備が進んできた。そして、開会式直前になって演出チームの作曲担当・小山田圭吾氏、演出担当の小林賢太郎氏がそれぞれ辞任、解任で姿を消すことになった。
 中でも小山田圭吾氏の辞任については、いまでもネットを中心にさまざまな議論が交わされている。今回の辞任の原因になったのは、1994年と95年にそれぞれ音楽誌とサブカル誌に掲載されたインタビューで語った自身のいじめ加害体験だ。さらにそのいじめには、障害のある同級生へのいじめであることも明かされている。
 小山田氏は、80年代末、「フリッパーズ・ギター」という音楽ユニットでその名前を知られるようになり、90年代にはソロユニット「コーネリアス」を結成。69年生まれの小山田氏は当時20代半ばで、音楽にとどまらず、映像、活字、ファッションなどの文化的ムーブメントの象徴的な存在だった。

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 小山田氏の同級生へのいじめ、とくに障害のある同級生へのいじめは、たとえ過去のことであっても許されるものではない。被害者の受けた苦しみは、それから長い時間がたっても決して消えることはないだろう。
 今年、16人の精神科医が分担執筆した1冊の本が出た。そのタイトルは、『大人のトラウマを診るということ――こころの病の背景にある傷みに気づく』(青木省三他編、医学書院、2021年)。本書のあとがきで、編者のひとりである精神科医の村上伸治は言う。

「多くの精神疾患の背景に、トラウマの要素が隠れており、それに気づかないと治療に難渋しやすく、それに気づくと、治療や支援が見えてくる。」

 本書によると、不眠やうつ症状、拒食症状などを訴えて精神科にやって来る人たちの中に、実は若い頃や子ども時代のトラウマが原因になっている、というケースがけっこうあるのだそうだ。

「虐待などの小児期逆境体験は、愛着障害やトラウマ反応を引き起こしやすいだけでなく、さらには成人の不安症、うつ病、統合失調症、物質依存症などを引き起こしやすい。発達障害と愛着障害は、相互に影響しあい、愛着形成・対人関係形成と発達を困難なものとしやすい。」(第1章)

 実際に本書の中には、小学校、中学校時代のいじめがトラウマとなり、20代、30代、中には40代になってから種々の精神症状が出現して精神科を受診したケースも紹介されている。本書では子どもの頃の家族からの虐待や学校でのいじめを「小児期逆境体験」と呼び、「出来事が大きいか小さいかは別にして、当の本人が精神的に大きな恐怖や苦痛を感じれば、その出来事はトラウマとなり、トラウマ反応を起こす」(第1章)とも書いている。
 もちろん、同じような逆境体験を経ても誰もが思春期・成人期にトラウマ反応を起こすわけではなく、何が“起こしやすさ”の要因になっているかは今後の研究をまたなければならないが、いずれにしても「もう昔の話だから」ですまされることではないのだ。
 小山田氏のこのいじめに関するインタビューはこれまでも何度か問題になり、本人も知っていたはずである。だとしたら、たとえ関係者がそのことを知らずに依頼してきたとしても、少なくともオリンピックやパラリンピックの開会式にはかかわるべきではなかった、と考える。

 その上で、今回は小山田氏自身の加害行為から少し離れて、この件がきっかけとなって議論された別の観点について、私のいまの見解を述べてみたい。
 それは。「当時の時代や文化」という問題だ。

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 小山田氏のインタビューに大きな注目が集まり始めてから、同時代を生きてきて現在もそれぞれのフィールドで活躍する、50代を中心にしたクリエイターや編集者らは、「小山田氏のいじめを擁護するつもりはないが」といった前置きをしながら、当時の文化的状況を懸命に解説しようと試みた。そこで私の目に留まったり連想されたりしたのは、「ポストモダン」「脱構築」「浮遊する記号」「80年代、90年代サブカル」「文脈の喪失と相対主義」「スキゾ・キッズと逃走」(※)「悪趣味と鬼畜」「冷笑」といったキーワードであった。
 
 私は1960年生まれだから、小山田氏よりは10歳ほど年長だ。80年代はじめに、大手出版社ではなくいわゆるインディーズ系の出版社から出ていた雑誌で編集や執筆に携わるようになり、20代後半になってようやくもう少し大手の雑誌でも書くようになるまでは、ずっとサブカル的な仕事しかしていなかった。そういう意味では、まさに「80年代サブカルから出てきた人」といえるのである。
 だから、ほかの同世代人たちと同じように、「なぜ小山田氏が雑誌でいじめ体験を自慢げに語ったのか」については、もしかすると誰よりもくわしく語れるのではないかとも思う(実は、漫画家・根本敬論の形を取りながら同じような問題意識を語ったのが、2019年に刊行した自著『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー――根本敬論』〈太田出版〉である)。
 
 しかし、ここでは昔ばなし風にその話を繰り返すつもりはない。もちろん、その“総括”――これまた80年代、90年代サブカルとは対極にある言葉だが――はまた機会を見つけてじっくりしなければならないとは思っているが、この場で私が言いたいのは、「小山田氏がなぜいじめ体験を語ったのか」を文化史的な文脈で説明しようとすることそのものが、無意味というかもっといえば有害でしかない、ということなのだ。
 いきなり「無意味で有害」などと結論づけるのはいささか乱暴なので、もう少しだけ言葉を足しておこう。先ほどキーワードだけをちりばめておいた80年代から90年代にかけてのサブカルとは、私の理解では「すべての表象から文脈や歴史をはぎ取って相対化し、権威や規範にとらわれず、自分はどこにもコミットしないまま、“ひとつの主義主張と距離を置けなくなる人”には冷笑的な態度を取り、ひたすら心地よさやおもしろさを追い求め、それ以上、何かを問われそうになったら、『そんなの何もわからないよ』と未成熟な子どものように逃げ出す」という性質を帯びたものだ。それは、いま思えばどう考えても、間違っていたのである。

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著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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