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常識を疑え!

新しい出生前診断はなぜ問題なのか?

香山リカ(医師)

 従来は妊婦に対する胎児の検査と診断、いわゆる「出生前診断」の代表といえば、おなかの上から行う超音波検査、そして羊水検査だった。

 それがこの4月1日より、日本の一部の医療機関でも、妊婦の血液だけで胎児の染色体異常が高い確率でわかる検査が始まった。母体の血漿中には、胎児由来のDNAも少量存在しているが、それを母体由来のDNAと比較することにより、胎児の染色体の異常が推測されるという仕組みだ。

 現在、診断の対象とされているのは、三つの染色体異常である。いずれも流産の可能性もあるが、出生したとしても知的障害や内臓の障害などその子の一生にかかわる重い障害が起こる可能性が高い。

 妊婦から採取された血液はアメリカの検査会社に送られ、約2週間で「陽性」か「陰性」、または「判定保留」の結果が通知される。しかし、その精度は100%ではなく、たとえばダウン症に関しては、妊婦の年齢が低いほど結果が不正確になる傾向があり、「陽性」と出た妊婦100人のうち、20人の子どもは実際にはダウン症ではないのだそうだ。いずれにしてもこの検査はあくまで染色体異常を持つ可能性が高い、低いを示唆するだけであり、実際には羊水検査などを受けなければはっきりせず、中には出生直前まで判定ができないケースもあるという。

 今のところ、この出生前診断は義務ではなく、あくまで希望する人のうち、年齢が高いなど条件の面で該当する妊婦が、日本医学会の認定した施設でのみ受けられることになっている。また、日本産科婦人科学会は、検査の前後には「遺伝カウンセリング」を受けるようにと勧めている。

 ところが、この遺伝カウンセリングというのは、一般的に考えられるような“心のケア”とはかなり違う。行うのは日本遺伝カウンセリング学会と日本人類遺伝学会が認定した「認定遺伝カウンセラー」という資格を持つ人などだが、その最大の仕事は「正しい情報の提供」だ。たとえば対象となる障害や疾患のくわしい情報、考えられる問題、さらには出生後、受けられる社会サービスまで、できるだけ多くの情報をその夫婦に提供する。そこで万が一、「陽性」と出て、ほかの検査でも異常が確定した場合、出産するかしないかを選択するのは、あくまで当事者である夫婦だ。カウンセラーは「適切な情報を提供しながらその決定を慎重に見守る」とされ、「こうしたほうがいいですよ」などと指示を出すことはない。

 もちろん、中には夫婦の心理的なサポートに力を入れている遺伝カウンセラーもいるようだが、それはあくまでその人の意思にまかせられている。逆に心理的援助を仕事にする臨床心理士の中に遺伝や妊娠に関するカウンセリングをやりたい、と希望する人もいるが、心理職を特別に雇用する専門機関は非常に少ない。

 私が勤務する診療所には婦人科もあるためか、ときどき出生前診断で「陽性」となり人工妊娠中絶を選択した人がやって来る。いくらその時点ではよく考えたつもりでも、後になって「やはり産むべきだったのでは」という後悔や自責の念が押し寄せる。夫婦仲もなんとなく気まずくなる。まわりの人にもその事実を話せず、孤立感がつのり、ついにはうつ状態になり、決意して精神科を受診した、というケースがほとんどだ。その人たちと話をするたびに、診断の技術だけがどんどん進歩しているにもかかわらず、“心のケア”の部分はまったく置き去りにされていることがわかる。そもそも遺伝カウンセラーにしても、学会認定の資格を持つのは全国で約140人だけと言われる。ほかに遺伝カウンセリングを行うことのできる臨床遺伝専門医にしても1000人ほどしかいない。学会が「十分なカウンセリングを受けて」という条件をつけたところで、実際にそれを行える人が十分にいない、というのが現実なのだ。

 技術がどんどん進歩しても、それによって人は恩恵だけを受けるのではなく、必ず新たな心の傷、葛藤が生じる。そのことを忘れないようにしたい。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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