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常識を疑え!

なぜ「死別の悲しみ」が問題なのか?

香山リカ(医師)

 家族が亡くなって深い悲しみに暮れるのは、うつ病なのか。

 いまそんな議論が精神医療の世界で起きている。よく「精神科の診断って、診る医者によっても変わってくるんでしょう」と言われるが、それでは患者さんも困るだろうし、そうだとしたらそもそも精神医学は科学ではない、ということになる。

 それを避けるために、世界の精神科医はなるべく同じ診断基準で診断を行おうということにしている。その時に使われる基準のひとつが、アメリカ精神医学会が作成した「DSM」と呼ばれるマニュアルだ。「またアメリカ主導か」と思う人もいるかもしれないが、トライアル版を公表して世界の医療関係者からコメントを募集するなど、広く意見を取り入れて作成されることになっている。現在、現場で使用されているのはその第4版で、この春、それが久々に改訂されて「DSM-5」が“デビュー”する予定だ。

 しかし、いよいよ新版が使われる段になって、いくつかの問題点も指摘されている。そのひとつが、「死別反応」の取り扱いである。

 従来の診断基準では、親しい人との死別によって起きるうつにも似た状態(気分の落ち込み、無気力、疲労感など)は、すぐにうつ病とは診断しない、というただし書きが盛り込まれていた。つまり、死別による深い悲しみはうつ病などの治療が必要な病気ではなくて、人間としてごくあたりまえの反応、ということだ。

 ところが新しいバージョンからは、いつの間にかこのただし書きが消えていた。何かが書き加えられていればすぐに目につきやすいが、ただし書きが消えた程度だと「コンパクトに整理したのかな」くらいで見過ごされてしまう。それに対して、「この『死別反応はうつ病に入れない』がなくなるということは、その原因が家族や親しい人との死別によるショックや悲しみだったとしても、その時、うつ病の症状があるならそれはうつ病と診断せよ、ということになる」と気づいた人たちがいた。つまり、「うつ病の範囲が広がった」ということになるのだ。

 もちろん、死別の悲しみが何年も長く続き、そこから本格的なうつ病に移行する人もいないとはいえない。ただ、その数は想像されているより多くないことも最近の研究で明らかになった。アメリカの精神医学者は、親しい人との死別によって一時期、うつ病にも似た状態を呈した人たちのその後をフォローする調査を行ったところ、その人たちがその後、本格的なうつ病に移行する割合は、一般の人がうつ病になる割合と変わらないということがわかったのだ。調査をした学者はこの結果から、「新しくできるDSM-5のうつ病の診断基準にも『死別の悲しみが原因になっているものは除く』というただし書きを残しておくべきだ」と述べている。

 では、なぜ新しい診断基準は、気づかれにくい形でうつ病の範囲を広げようとしたのか。これに関してはより生々しい推測もある。アメリカの新聞は、それを「製薬会社と医学界の癒着」と考えたのだ。うつ病と診断される人が増えればそれだけ抗うつ薬を処方される人が増え、結果的に製薬会社の利益が上がる、というわけだ。もちろんアメリカの精神医学会はその推測を否定しているが、真相は誰にもわからない。

 死別の悲しみに暮れる人の中には、たしかに医療のサポートが必要なくらい、ダメージが大きすぎる人もいる。とはいえ、やみくもに「親が亡くなって食事が喉を通らない? それはうつ病ですよ」などと診断するのはナンセンスだ。新しい診断基準が医療の現場でまっとうに運用されることを望みたい。もちろん私もそう心がけるつもりである。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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