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常識を疑え!

受験がなぜいまも“一生の問題”なのか?

香山リカ(医師)

 いよいよ始まった受験シーズン。私も大学教員なので、センター試験に始まり、自分の大学や大学院の入試など監督業務が続く。

 とくにセンター試験では、全国50万人以上の受験生に「完全に同じ条件で試験を実施する」という至上命題のもと、監督者もたいへんな緊張を強いられる。今年は、昨年度のカンニング事件、そして大震災を受けて「不正行為の扱い」と「震災など災害発生時の対応」が手厚くなり、さらに社会や理科で受験する科目が「事前登録制」となったため、いくつかの会場で混乱が生じたようだ。

 また例年のことながら、英語のリスニング試験では全員に音声再生用の精密な機器を配って操作してもらうため、「もし機器が動かなかったら」といった技術的なトラブルの心配もしなくてはならない。これも「昔のように教室のスピーカーからいっせいに問題を流せば、余計なトラブルも減るのに」と思わないでもないが、「一律に同じ条件で」のためにはそういうわけにはいかないらしい。

 それにしても、なぜここまで厳密さ、公正さにこだわらなければならないのか。それはもちろん「それだけ受験が本人や家族にとっては重大なことだから」なのだが、そもそも「入学試験はその人の人生にとって最重要問題」という事態が何十年も変わらずに続いていることじたいが、大きな問題なのではないだろうか。

 学力は、その人の個性や特徴を考える上でのものさしのひとつにはなるかもしれないが、決してすべてではない。このことには、すでに多くの人が同意していると思う。いちばんわかりやすいのが、医師の例だと思う。偏差値が高いというだけで医大に進学した人の中で、患者さんや家族の気持ちが想像できない医師、人間への配慮よりも治療成績を上げることに熱心な医師などがいることが、大きな社会問題となっている。

 私がいる診察室にも、からだをこわして受診した内科や外科で医師から心ない対応をされて、心まで傷ついて病んでしまった、という気の毒な患者さんが毎月のように受診する。そういう人たちの話を聞いていると、自分も同業者ながら「余命は3カ月。打つ手は何もないね」などとデータを見せつつ平気で告知する医師には、とても同情できない。また、もしその医師が学力的にどれほど優秀であっても、自分はそんな人にはかかりたくない、とつくづく思う。

「学歴偏重社会」の構図はだいぶ崩れてきたとは言われているが、このようにまだまだ日本では、「受験を制するものが人生の勝者」のような風潮、システムが根強い。テレビで「高学歴タレント」がもてはやされているのを見ると、学歴主義はむしろ肯定されつつあるのでは、とも思ってしまう。

 もちろん、中学、高校の一定期間、勉強に集中し、いろいろな知識や考え方を身につけることじたい、否定するつもりは毛頭ない。しかし、「受験だけがすべてではない」という他の選択肢、評価のものさしを生徒も保護者や教員などのおとなたちも持っていなければ、社会は硬直化し、子どもはますます委縮してしまうだろう。

「受験に偏るな、だと? 何をいまさら。50年前に議論されたことだろう」という声も聞こえてきそうだが、本当に問題なのは、これだけ長期間、学歴主義、受験偏重主義が批判的に議論されてきたにもかかわらず、実際にはそれがほとんど修正されていないこと、いまだに受験生にとっては大きなプレッシャーとなり続けていることなのである。10代の生徒たちが本当の意味で学ぶ喜び、楽しさをかみしめながら、「実力を発揮する機会だ」という前向きな気分で受験し、万が一、失敗しても他の選択肢も用意されているような社会…というのは、理想論にしかすぎないのだろうか。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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