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常識を疑え!

原発問題はなぜこれほどまでに深刻なのか?

香山リカ(医師)

 なかなか収束に向かわず、むしろ生活への影響が深刻化している福島第一原発の事故。

 周辺住民が避難を余儀なくされているが、それ以外でも子どもを連れて関東を離れる人、機能を関西に移転させる企業や大使館なども出てきた。さらに診察室にも、「原発はどうなるのでしょう」と不安のあまり眠れない、動悸(どうき)やめまいがする、家から出られないという人や、原発のニュースを見るとパニック状態に陥る人、仕事への意欲がなくなってしまったと訴える人まで訪れている。

 また、「放射能で汚染されているのでは」と気になって手洗いをいつまでも続けたり、洗濯物や食器を何度も洗ったり、と新たに強迫性障害を発症する人もいた。「なんだかからだが調子悪い、もう放射能にやられていると思う」と軽い被害妄想状態を呈する人にも会った。

 もちろん、今回の原発事故は世界的な大問題であるのは確かだ。避難を勧告されている地域や地元の農業関係者らにとってのダメージは、はかり知れないものがある。しかし、少なくとも東京の住民にまでもう健康被害が出るとは、考えにくい。政府や学識経験者も何度も「ただちに健康に影響はない」と繰り返しており、ある程度はそれを信用してもよいはずだ。

 それにもかかわらず、多くの人が「放射能恐怖症」「放射能に対する強迫性障害」などに陥っているのは、なぜなのか。原因はいくつもあろうが、被害をもたらす放射能が「目に見えない」というのも大きいと思う。原発で放水活動を行った東京消防庁の職員も「目に見えない敵との戦い」という言い方をしていたが、このはっきりと見ることができないものに恐怖を感じることほど、人間にとってストレスになることはないのだ。ほかにも「ハウスダスト」「ダニ」「アスベスト」「花粉」など“目に見えない敵”の恐怖にとりつかれ、心理的にダメージを受ける人も少なくないが、そういった“敵”の中でも放射能は格段に人に与える恐怖のレベルが高いこともたしかだ。

 私は、今回の震災後、仙台周辺で甚大な津波被害にあった地区を訪れる機会を得たのだが、そこで避難生活をする人、救援にあたる人たちは、放射能の恐怖についてはまったく口にしていなかった。ある人に「気にならないのですか?」と尋ねると、「こっちは水道水が出るか出ないか、ということで頭がいっぱいだから、どこの浄水場に放射性ヨウ素がいくら、などということまで考えられない」という答えが返ってきた。被災した人たちは、現在のところ、具体的な“目に見える敵”との戦いに追われているのだ。別の人には、「どうして東京の人たちはそこまで原発の被害を恐れているのか、理解できない。家もあって避難もしなくていいなら、あとは解決を待つしかないじゃないですか」とも言われた。

 幾分、語弊のある言い方になるかもしれないが、必要以上に原発の恐怖を感じて動けなくなったりすでに体調が悪くなったりしている人は、現在のところは“目に見える敵”と戦う必要がない人、ということかもしれない。被災地の人たちに比べてまだ残っている心や生活の余裕に、その“見えない敵”が入り込んでしまっているのだ。

 もちろん、情報をまめにチェックし、公式発表を疑うべきところは疑う姿勢は大切だ。とはいえ、感じなくてもいい恐怖までを感じて、過度のストレスで心身の健康を損ねてしまうような事態は、なるべく避けるべきだろう。

“目に見えない敵”は、たしかに恐ろしく、私たちをただならぬ不安に陥れる。しかし、それに翻弄(ほんろう)されるだけではなく、なんとか冷静さを保ち続けるだけの客観性は、誰でも心の中に兼ね備えているはずなのだ。今こそ自分を落ち着かせたい。

著者情報

医師

香山リカ

かやま りか

1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。学生時代より雑誌等に寄稿。その後、精神科医として臨床に携わりながら、一般読者向けの著作活動を行う。著書に『女は男のどこを見抜くべきか』(集英社)、『執着 生きづらさの正体』(集英社クリエイティブ)、『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』(ちくまプリマー新書)、『61歳で大学教授やめて、北海道で「へき地のお医者さん」はじめました』(集英社クリエイティブ)など多数。

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