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経済万華鏡

もう一つの経済活動の三角形

浜矩子(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)

 前回のこのコラムでは、経済活動の三角形についてご一緒に考えました。今回はその続編です。前回は、経済活動を成長と競争と分配を三辺とする三角形に見立てました。

 経済政策の担当者や企業経営者たちは、とかく、成長のベクトルの強化ばかりにこだわりたがります。何が何でも、経済活動の規模を大きくしなければいけない。成長しない経済は経済ではない。そのような思い込みが人々を支配しがちです。ですが、前回申し上げた通り、この思い込みは誤りです。これも前回申し上げた通り、いずれの辺が重視されるべきかは、経済活動の発展段階や、当面している局面によって違ってくるのです。

 戦後間もない頃の日本経済は、焼け跡経済と化していました。全てを失ってしまったところから再出発しなければなりませんでした。そのような状態に陥った経済にとっては、確かに成長することが最重要課題です。道路を敷設し直し、橋をかけ直し、工場を再構築して経済活動を再始動させ、雇用機会を作り出していかなければなりません。再建を急がなければ、せっかく平和が戻って来たというのに、人々が飢え死にしてしまうような状況になりました。このような場合、成長政策は待ったなしです。

 ですが、今の日本経済はそのような経済ではありません。このことについても、前回申し上げた通りです。今の日本経済は、とても豊かでとても成熟した経済です。そのような経済において重要なのは、豊かさの巧みな分かち合い、すなわち分配だ。これも前回申し上げた通りです。

 それはそれとして、経済活動の三角形の三辺の見立て方は、ほかにもあると筆者は考えています。具体的には、「成長・競争・分配」に加えて、もう二つの捉え方が成り立つと思うのです。その一つが「地球・国家・地域」です。もう一つの方については次回取り上げたいと思います。

「地球・国家・地域」を三辺とする三角形は、英語で言えば、「グローバル・ナショナル・ローカル」です。今の時代状況の中でこの三者の関係はどうなっているでしょうか。筆者が思うに、今はグローバル辺とナショナル辺の激しいせめぎ合う時代です。グローバルな共生を追求するベクトルが、わが国ファースト主義のベクトルと綱引きしている。それが現状だと言えるでしょう。コロナの襲来で、国家が地球に背を向ける傾向が強まっています。このせめぎ合いは、どう決着するのか。一国主義が蔓延(まんえん)してグローバルな共生の行く手を阻んでしまったら、我々の生活環境は随分と息苦しいものになってしまうでしょう。

 国家の辺があまり出しゃばってくると、地域の辺も肩身の狭い思いを強いられることになりそうです。伸びやかな自治を奪われて、地球と闘う国家の道具として頑張ることを強いられることになりかねません。

 グローバル化はローカルなるものを押し潰す。とかく、そのように考えられがちです。ですが、上手く行けば、地球は地域共同体を国家の枠組みから解放し、伸び伸びと自己展開する舞台となってくれるかもしれません。地球と地域の出会いを、出しゃばり過ぎない国家が橋渡しする。そのような関係が地球・国家・地域の三辺の間に成り立つ時、経済活動の三角形はなかなか麗しいものになりそうです。

 そのような状態が実現された時、本当の「グローカル」時代が到来するのだと思います。グローカルはグローバルとローカルを融合させた造語です。その考案者たちは、グローカルとは、「シンク・グローバル、アクト・ローカル」の心構えを指すと言いました。つまり、ローカルな環境の中で行動する時も、頭の中はグローバルであるべし、というわけです。

 しかしながら、筆者は、これは違うと考えています。本当のグローカルは、「シンク・ローカル、アクト・グローバル」、つまりローカルな独自の発想を引っ提げてグローバルな大舞台で見得を切る。それが本当のグローカルなのだと思うのです。本当のグローカルの実現をアシストすべく、賢いナショナルがしっかり頑張る。そのような経済活動の三角形を目の当たりにしたいものです。

著者情報

同志社大学大学院ビジネス研究科教授

浜矩子

はま のりこ

1952年生まれ。一橋大学経済学部卒。三菱総合研究所ロンドン駐在員事務所長等を経て、現在に至る。『グローバル恐慌』『スラム化する日本経済』『ユニクロ型デフレと国家破産』『浜矩子の「新しい経済学」~グローバル市民主義の薦め~』など多数の著書がある。

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