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経済万華鏡

ヒト資本比率を高めよう

浜矩子(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)

 我々は、何を頼りに生きて行けばいいのか。新しい年が近づく中で、この問いかけを受ける機会が多くなっています。一介のエコノミストが、答えられるようなテーマではありません。解答を出そうとすること自体が、不遜だとも思われます。ですが、こう問いかけたくなる気持ち、実によく分かります。

 国々の財政はどんどん追い詰められて行く。デフレは深まる一方です。政治は統治能力を失っています。為替市場は大荒れで、通商の世界では、TPPだFTAだと、誰もが市場の囲い込みに大わらわになっています。経済環境は、実にギクシャク度が高まる一方だ。そうした中で、我々はどうすれば生き延びて行くことができるのか。誰か教えてくれ。そう叫びたくなる毎日です。

 ここで、ふと思い起こすのが、自己資本比率という言葉です。
 ご承知の通り、企業の自己資本とは、株主からの出資金や剰余金・準備金等々、返済負担を伴わない資金のことです。要は、返す必要のないカネです。
 金融機関には、総資産に対するこの自己資本の比率を、一定水準以上に保つ義務が課せられています。貸し倒れの多発や取り付け騒ぎなど、一朝有事のための備えとして、自由になる資金をしっかり蓄えておきなさい。そういうことです。
 これはカネの世界の備蓄の話です。モノの世界でも、一寸先の闇に対する備蓄は重要ですね。アリとキリギリスの物語はご存知の通りです。日頃からモノの備蓄に励んだアリさんたちが、勝利する話です。常夏を信じて、遊びほうけていたキリギリスは、最終的にアリさんたちの情けにすがるしかありませんでした。

 モノについてもカネについても、備えあれば憂いなし。これはあまりにも当たり前のことだ。まずは、誰もがそう思います。
 ですが、本当に当たり前でしょうか。今のような世の中で、モノとカネさえ潤沢に蓄積されていれば、それで本当に事足りるのでしょうか。そもそも、モノもカネも、備蓄などしているユトリのない人々は、どうすればいいのでしょうか。

 こんな時、やっぱり最終的に頼りになるのは、第三の要素であるヒトでしょう。
 キリギリスが救われたのは、よく考えれば、アリさんが蓄えていたモノの力によってではありません。実を言えば、アリさんたちの情けと優しさが、それこそモノを言ったのです。彼らが見向きもしてくれなければ、キリギリスにとって、アリさんたちの蓄えには、何ら救済効果はなかったわけです。

 こうしてみれば、本当に重要なのはヒトとの関係の備蓄なのではないでしょうか。むろん、金脈につながる人脈を開拓すべし、などと言いたいわけではありません。
 いざという時に、温かく抱擁してくれる仲間たち。そういう意味での自己資本比率が高ければ、どんな暗闇の中にも光明がさします。ヒト資本比率をどれだけ高くできるか。そのために、自分もまた、隣人に対してどれだけ良質のヒト資本となれるか。ヒト資本比率こそ、グローバル時代を生きる我らの寄る辺なのだと思います。

著者情報

同志社大学大学院ビジネス研究科教授

浜矩子

はま のりこ

1952年生まれ。一橋大学経済学部卒。三菱総合研究所ロンドン駐在員事務所長等を経て、現在に至る。『グローバル恐慌』『スラム化する日本経済』『ユニクロ型デフレと国家破産』『浜矩子の「新しい経済学」~グローバル市民主義の薦め~』など多数の著書がある。

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