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一語千金

質への逃避

[fly to quality]
安全な場所へ緊急避難

玉手義朗(エコノミスト)

 夏休みも終わりに近くなると、海水浴場の波も次第に荒くなってくる。波に乗りながら泳ぐのも楽しいが、岸から離れすぎると急に不安になり、慌てて波打ち際まで戻ったりする。不安に駆られると、とりあえず安全な場所に移動しようとするのは、人間の当たり前の心理だ。
 株価の暴落などで、金融市場に不安心理が広がった場合にも、同じような行動がとられることがある。「質への逃避」(fly to quality)である。 
 投資には、価格が動くことによって生じる「価格リスク」と、投資した株式や債券などが紙くずになってしまう「信用リスク」という大きな二つのリスクが存在する。また、価格が下落している時に、売ろうと思っても買い手が見つからず、取引が思うに任せないという「流動性リスク」もある。
 こうしたリスクの大きいものの代表が株式で、民間の金融機関や企業が発行した社債や債券の中には、大きなリスクを持つものがある。一方、国が発行している国債などは、主要国であれば紙くずになる恐れは小さく、値動きも株式などに比べれば緩やかで、流動性も高い。最もリスクの小さいのが現金で、価格の変動もなければ、クーデターで政府が転覆でもしない限り、紙くずになる恐れもないだろう。
 株式、国債、現金を海水浴に置き換えるなら、「株式市場」は岸から離れ、足もつかない波の荒い場所、「国債市場」は波打ち際、そして、銀行預金を含む「現金」は、砂浜ということになる。
 今ここで、株式市場の急落などによって、金融不安が広がったとしよう。急に大波が押し寄せ始めたことで、海岸から離れた株式市場で泳いでいた投資家の中には、危険を感じて海岸に向けて戻り始める人が出てくる。彼らが集まってくるのが、「波打ち際」にある国債市場だ。もちろん、最も安全なのは現金か銀行預金だが、金利はゼロか、ついてもごくわずか…。砂浜に上がってしまっては、投資家の名が泣くことから、信用リスクが小さく、利息も現金や銀行預金よりは高い上に、簡単に換金できる国債市場に人気が集中することになる。
 このように、株式市場の暴落に伴って、主に国債市場に資金が急激に流れる現象を、「質への逃避」と呼んでいるのである。
 国債市場に資金が流れ込むと、国債の金利は低下する。金利はお金の価格であり、その水準はお金に対する需要と供給で決まる。国債市場に資金が多く流入すれば、お金の供給が増えたことになり、お金の価格である金利は下落する。
 ここでややこしいのが、「金利の下落」と「国債価格の上昇」の関係だ。
 国債は発行された時点で、例えば10年物の国債なら、10年間の利回りが3%という「表面金利」で発行されるのだ。しかし、ここで国債の人気が高まり、大量の資金が流入したため、金利水準が2.5%になったとしよう。この2.5%という金利は「実質金利」と呼ばれるが、3%という「表面金利」は変わらないことから、誰もが3%の国債を買おうとする。そこで、金利を変える代わりに、価格を引き上げて調整が行われることとなる。これが、実質金利が下がると国債価格が上昇する仕組みなのだ。そして、「質への逃避」が起こると、国債の金利が下落し、価格が上昇するというわけなのだ。
 アメリカの「サブプライムローン問題」に端を発して株価が急落した場面でも、「質への逃避」が明確に見られた。株式市場の荒波に、投資家が恐れをなして、波打ち際に集まってきたのだ。この結果として、国債の実質金利は下がり、価格は大きく上昇することとなった。
 しかし、こうした状況が長い間続くことはまれだ。投資家は基本的にリスクを好み、そこで利益を上げようとする。したがって、波打ち際に戻ったものの、再び沖でのびのびと泳ぐチャンスをうかがっているのだ。株式市場が暴落し、「質への逃避」によって下落した国債の金利が上昇に転じた時、株式市場は反転する可能性が高くなる。国債市場という波打ち際に避難していた投資家たちが、「荒波は収まった」と、株式市場という沖へ向けて、再び泳ぎ始めるからなのだ。
 金融市場の動揺はどの程度で、いつまで続くのか…。「質への逃避」に伴う国債市場の変動は、金融市場の不安定さを計る重要なバロメーターなのである。

著者情報

エコノミスト

玉手義朗

たまて よしろう

1958年生まれ。筑波大学卒。東京銀行、マニュファクチュラース・ハノーバー銀行などで、外国為替取引に携わる。その後、テレビ局で経済部デスクなどを経て、現在はフリー。著書に『円相場の内幕』(1995年、集英社)、『経済入門』(共著、2004年、ダイヤモンド社)がある。

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