ウルトラマンはどうして人類を助けるのか?~映画『シン・ウルトラマン』から考える
大澤真幸(社会学者)
2022年5月13日に公開された映画『シン・ウルトラマン』公式パンフレット
『シン・ウルトラマン』は、『ウルトラマン』の物語上の最大の難点を意識し、これを自覚的に克服しようとしている。ここでは、この一点に絞って『シン・ウルトラマン』について論ずる(ネタバレあり)。
が、その前に、まず述べておきたい。『シン・ウルトラマン』は、『ウルトラマン』へのオマージュをこめた参照に満ちており、私のように子どもの頃『ウルトラマン』を楽しんでいた者を失望させない。たとえば私は、ゴメスやペギラといった(『ウルトラマン』に先立つ)『ウルトラQ』に登場した怪獣(禍威獣)、私が最も恐れかつ愛した怪獣たちが、原作のイメージをいささかも壊すことなくいきなり冒頭に登場しているのが嬉しかった。もちろん、『ウルトラマン』をまったく知らなくても、『シン・ウルトラマン』はそれ自体として楽しむことができる。ただ、ひとつ違いがあるとすれば、『ウルトラマン』は主として子ども向けに創られており、『シン・ウルトラマン』は大人を(も)視聴者として想定していることだ。
原作『ウルトラマン』の難点
さて、原作の『ウルトラマン』の物語上の難点とは何か。それは、ウルトラマンがどうして、地球人の味方となり、怪獣たちをやっつけてくれるのか、その理由を説得的に提示できていない、ということである。私は子どもの頃から、このことが気になっていた。『ウルトラマン』の各話は、基本的には、周知のパターンで進行する。まず怪獣が出現する。「人類」は怪獣と戦うが、まったくかなわない。「人類」の代表として実際に戦うのは、主として科学特捜隊(科特隊)である。つまり科特隊は怪獣に勝てない。最後に、ウルトラマンがやってきて、怪獣を倒して(殺して)、去っていく。どうして、ウルトラマンは、人類のために戦い、怪獣を退治してくれるのだろうか。
「地球人」とか「人類」とかと言われているが、それは、『ウルトラマン』では、日本人の隠喩である。物語の中では科特隊は国際組織だということになっており、私たちが見ているのは、その日本支部だ。とはいえ、科特隊日本支部が、パリの本部と連絡をとっている様子はほとんど描かれず、インドとかニューヨークとかにあることになっている他の支部から応援が来ることもない。『ウルトラマン』には、「人類のため」と「日本のため」とが別のものだという自覚はない。ウルトラマンは――そして科特隊も――、事実上は、日本のために戦っているのだが、「人類」や「地球」の名のもとでそれを行なっている。
それに対して、『シン・ウルトラマン』には、「人類」と「日本」との間の区別の意識がある。日本の利益と人類の――あるいは他国の――利益は必ずしも一致しない。科特隊に対応する「禍特対(禍威獣特設対策室)」も国際組織(の支部)ではなく、日本政府に下属する組織である。もっとも、『シン・ウルトラマン』のウルトラマンは、日本政府や日本人のためにがんばっているわけではなさそうだ。彼は、やはり人類を準拠にして自分の戦いを意味づけている。
旧い『ウルトラマン』の方に戻れば、ウルトラマンがどうして人類のために戦ってくれるのか、誰もが納得するような自明性をもって説明されてはいない。当時小学二年生だった私は、次のような疑問をもったものだ。「どうしてみんな、ウルトラマンを見たとたんに、自分たちの味方だとわかるのだろうか?」と。ウルトラマン自身である(科特隊の)ハヤタ隊員(黒部進)以外の人間には、ウルトラマンがどんな意図をもっているのか、本来、わからないはずである。ウルトラマンはなぜか、ほとんど人間とコミュニケーションをとろうとしない。ウルトラマンは自分の意図を説明しないし、人類と契約を結んでいるわけでもない。
想像してみるとよい。一頭の巨大な怪獣が暴れている。そこに、もう一頭、巨人のような「怪獣」がやってきた。一頭でも手をやいていたのに、二頭になってしまい困ったものだ……。このように思うのが普通だろう。ところが、都合のよいことに、二頭目は、最初の怪獣を倒したあと、去っていく。これを繰り返しているうちに、人間たちは理解するようになるだろう。怪獣には二種類があるようだ。害虫と益虫があるように、「害怪獣」と「益怪獣」がある。ウルトラマンは益怪獣である。
と、このように展開するのが普通のはずだが、実際の『ウルトラマン』は、もちろん、こんな筋にはなっていない。ウルトラマンは、たまたま人間にとって都合のよい習性をもった怪獣ではなく、人類(日本)のための救世主である。しかし、なぜ彼は救世主になってくれるのか。
『シン・ウルトラマン』の方は、小学二年生だった私がもった疑問を、正当なものと認めている。その証拠に、(シン)ウルトラマンが、禍威獣ネロンガを粉砕したからといって、人々はただちに彼をわれわれの味方だとか、救世主だとか思うわけではなく、「あれはわれわれの側にいる者なのか」という疑いをもち続けている。実際、「(シン)ウルトラマン」が忽然と現れ、街を破壊し始め、危険な禍威獣の一種と見なされる局面が訪れる。人々が(シン)ウルトラマンへの疑いを晴らすのは、ほんものの(シン)ウルトラマンが現れ、街を破壊する「(シン)ウルトラマン」は外星人・ザラブが光学偽装装置を使って変装した偽物である、と暴いたあと――そしてほんものの方がにせもの(ザラブ)を八つ裂きにしたあとである。(シン)ウルトラマンは、人類にとって有利な生き物であると、すぐには認められない。
私が、『ウルトラマン』におけるウルトラマンが人類(日本人)の味方である理由にこだわるのは、物語の瑕疵を見つけて、作品を貶(おとし)めたいからではない。ウルトラマンと人類の関係は、この物語を超えた意味を、政治的な影響をもつある願望を表現しているからだ。人類(日本人)とウルトラマンの関係は、日米安全保障条約の隠喩になっているのだ。このことを最初に指摘したのは、評論家の佐藤健志だ【註1】 。ウルトラマンは、日米安保条約のもとでの米軍のようなものである。日本が危なくなったときには、アメリカが助けてくれる(ことになっている)のだ。
この隠喩は、無意識のものである。『ウルトラマン』の製作者たちが、日米安保条約の支持者で、この同盟関係の意義を子どもたちに教えたくてこのテレビ番組を創った……というわけではない。ただ製作者側にも、また享受した側にも、ウルトラマンに託されるような救世主がいて欲しいという願望があるのだ。手に負えないほど強い敵からの侵略を受けたとき、それを排除して、「われわれ(日本人)」の安全や幸福を保障してくれる救世主、「われわれ」に対して無条件の善意をもった、非常に強い救世主がいて欲しい、と。この願望を、子どもにもわかるテレビ番組を通じて表現したとき、結果として、日米安保条約と相似的な関係が、人類(日本人)とウルトラマンの間に構成されたのだ。だから、『ウルトラマン』は日米安保条約を意識的に再現したものではない。しかし、この作品は、日米安保条約に現れているような日本人の対米依存を支えている無意識の欲望の表現になっている。
そうだとすると、ウルトラマンが人類のために戦ってくれる理由を説得的に提示できていない、ということは由々しき意味をもつ。この事実は、強い救世主を欲していながら、自分たちがその救世主によって保護されるに値するのか、ということに日本人が不安を抱いていることを示しているからだ。
過失運転致死からくる罪の意識が……
ちなみに、実際には、『ウルトラマン』(の第一回)は、ウルトラマンが人類を助ける理由をどう説明しているのか。端緒には、一種の交通事故がある。過失運転致死、といったところであろうか。科特隊のハヤタ隊員が操縦していた宇宙船(小型ビートル)に、ウルトラマンが衝突してしまったのだ。宇宙船は墜落し、ハヤタ隊員は死んでしまった。ウルトラマンは、怪獣ベムラーを追跡している最中だったのだが、自分の不注意からハヤタ隊員を死なせてしまったことに罪の意識を覚え、ハヤタ隊員とひとつの命を共有することに決めた。そのため、ハヤタ隊員がウルトラマンに変身する、という話になったのである。
著者情報
社会学者
大澤真幸
おおさわまさち
1958年長野県松本市生まれ。
東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。『ナショナリズムの由来』(講談社)で毎日出版文化賞を受賞。『自由という牢獄』(岩波書店)で河合隼雄学芸賞を受賞。他のそのほかの著書に『世界史の哲学』シリーズ(講談社)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『自由の条件』(講談社文芸文庫)、『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(角川書店)、『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書)、『社会学史』(講談社現代新書)、『経済の起源』(岩波書店)など。現在、月刊個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』を刊行中。