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「知的創造」としてのキュレーション 〜情報過多社会でいかに新たな価値を生み出すか

対談 吉見俊哉×暮沢剛巳

吉見俊哉(東京大学大学院情報学環教授)

暮沢剛巳(東京工科大学デザイン学部教授)

モノや情報が溢れかえるいま、それらをいかに取捨選択し、再構築して創造的に生きるか。知的生産技術としてのキュレーションの実践を読み解いた『拡張するキュレーション』(集英社新書)の著者で美術評論家の暮沢剛巳さんと、AI社会における知的創造の方法と原理を論じた『知的創造の条件』(筑摩選書)の著者で社会学者の吉見俊哉さんが対談した。

 

左:暮沢剛巳著『拡張するキュレーション 価値を生み出す技術』(集英社新書、2021年)
右:吉見俊哉著『知的創造の条件 AI的思考を超えるヒント』(筑摩選書、2020年)

暮沢 「キュレーション」という言葉は、展覧会企画・展示に関する仕事全般を指します。ところがこの言葉は、現代美術に限って使われる印象が強い。他の分野、たとえば古美術や仏像、郷土史の展覧会を企画することには「キュレーション」という言葉はほとんど使われません。私は美術やデザインを専門としてきましたが、業界内のそうした慣例に対して強い違和感を抱いていました。また一方、最近ではインターネットによる情報収集が「キュレーション」と呼ばれることも増えてきました。私は、この二つの「キュレーション(展覧会企画とネット上の情報収集)」というのは、情報の編集・加工によって新しい価値をつくるという面で共通するのではないか。拙著『拡張するキュレーション』では、そうした問題意識に即して、民藝や博物館、ツーリズムなどさまざまなキュレーションの実践事例を集めて構成しました。
 こうした問題意識は、美術業界の内部ではなかなか共有してもらえないのですが、吉見さんが昨年刊行された『知的創造の条件』を読んだとき、私の問題意識に近いのではないかと思いました。本や論文などで創造的な言葉をどのように成立させていくのかを説明した吉見さんの同書は、基本的に言語情報を扱っています。一方、私が取り上げた展覧会などは、「モノ」、つまり非言語を扱っているのですが、どちらも「情報」ということでは共通しています。

吉見 私も同感です。20世紀末以降、ミュージアム(美術館・博物館)も図書館も、インターネットの発達によって、情報空間の中に“溶けだして”います。こうした大きな変化の中で、何が起きているのか。私は資料庫や文書館などで培われてきた「アーカイブ」の概念を使ってそれを考え、暮沢さんはミュージアムの中で培われてきた「キュレーション」の概念を拡張してそれを捉えようとしたのだと思います。さらに暮沢さんの言うキュレーションは、松岡正剛さんの「編集工学」という概念とも重なるところがあるように感じました。いままでバラバラだった「知的創造」や「キュレーション」あるいは「編集工学」といった技術が、デジタル技術の発達による情報革命の中で融合しているように感じています。

暮沢 「キュレーション」と「編集工学」が重なるという指摘は興味深いですね。情報の加工という点ではたしかに似ています。違いがあるとすれば、「キュレーション」では空間が、一方の「編集工学」ではエディトリアルが重要であるというデザインの部分かもしれません。

 

アーカイブとキュレーション

吉見 展覧会を企画するキュレーションの手前には、まず物や情報などを、膨大に蓄積していく、アーカイブのプロセスがあります。ミュージアムにおいて、このアーカイブとキュレーションの関係を、暮沢さんはどのように考えていますか。

暮沢 歴史的に見ると、ミュージアムのルーツは、王侯貴族などの戦利品を集めた「珍奇な陳列室(キャビネ・ド・キュリオジテ)」や「驚異の部屋(ヴンダー・カンマー)」などと呼ばれたものです。つまりミュージアムの形成には、権力を誇示するために宝物を集めるというプロセスが最初にありました。そして、大量に収集されたものを整理するには、分類しなければいけない。その分類の基準や序列を形成するときに、キュレーションが関わってきます。

吉見 まずアーカイブがあり、次にキュレーションがある。さらにその先には、キュレーションされたある一つの世界からそれぞれの来訪者が何かを学んだりするような、社会的なプロセスがありますよね。

暮沢 ミュージアムに何を残すか、会場にどのように並べるか、そしてどうやって来館者にその情報を伝えるのか。ミュージアムにとって、その三つはとても大事です。大英博物館のような巨大な施設の場合、アーカイブを担当するアーキビスト、展覧会企画を担当するキュレーター、教育を担当するエデュケーターなど、その三つは徹底的に分業化が進んでいます。ただ、私は、アーカイブや教育に関わるような部分も、キュレーションに含めて考えることができるのではないかと考えています。キュレーターというのは、一般的に学芸員と呼ばれ、これは国家資格の必要な専門職であると認識されているように思います。ただ、キュレーションを情報の加工・編集というもっと拡張した概念に広げて考えられないか、と思ったのが本書を書いた大きな動機です。

 

「事故」や「失敗」をキュレーションする

吉見 『拡張するキュレーション』の中で興味深かったのは、「『事故』のキュレーション」という章です。以前、私はスウェーデンのストックホルムにある「ヴァーサ号博物館」というミュージアムを訪れたことがあります。1628年に、当時強大な権力をもっていたスウェーデン王国の君主グスタフ二世が、ヨーロッパ一巨大な軍艦「ヴァーサ号」をつくらせたのですが、進水後すぐに沈没してしまい、30数人が死亡する事故が起きました。当時、沈没の原因を検証すると、船を巨大化しすぎた君主の計画がそもそも間違っていたことがわかった。ところが、強大な権力をもつ君主の計画に、つくっているときには誰も異を唱えられなかったわけです。それから300年以上がたった20世紀半ばに、あるアマチュア海洋史家によって沈没船が発見され、引き揚げられました。スウェーデンは、この歴史的な大失敗を後世に伝えるために、「ヴァーサ号博物館」をつくり、巨大な沈没船をその真ん中のホールに展示したのです。つまり、国家的大失敗についての見事な博物館を国立で設立したわけです。

ホールの中央に展示されたヴァーサ号の実物。高さ52メートル、長さ69メートル、重量1200トンで、64の大砲が装備されていた。

暮沢 失敗したときに大事なのは、記録をちゃんと残して、責任の所在を明確にし、その責任を取るということ。そして、その失敗から学ぶということです。日本は、そのいずれも欠落しているという気がします。たとえば、大きな原発事故の現場となった福島には、国の予算でつくられた「東日本大震災・原子力災害伝承館」という県の施設があります。震災の記憶を語り継ぐということが目的ではあるのですが、事故については天災の側面が強調され、本格的な事故原因の検証はなされていませんでした。

吉見 近代以降の日本にとって最大の失敗は、アジア太平洋戦争だったと思います。しかし、どのように日本が失敗したのか、何が原因で、その結果、何が起きたのかをしっかりと検証して子どもたちにもわかりやすいように示す国立博物館は、日本にはありません。事故や災害、失敗のミュージアムをつくるという問題意識がキュレーターの側にも必要だし、またそれを国や自治体が支えることができれば、日本はもっと成熟するはずです。実際に実空間でミュージアムを建てるのは、いろいろな制限があってすぐにはできないかもしれませんが、デジタルミュージアムだったら、制度的な規則にもあまり縛られずにできるのではないでしょうか。大失敗のデジタルミュージアム構想は魅力的です。キュレーションを、デジタルやバーチャルのほうに拡張していくと、可能性が広がりますし、そんなミュージアムも現実化できるかもしれない。

暮沢 歴史的な経緯で言うと、ミュージアムというのはモノを展示する施設として発達してきて、ITの発達によって、バーチャルミュージアムという発想が出てきました。吉見さんの提案は、最初にバーチャルで展開していって、そこでうまくいけばリアルに状況を落としていくという逆転の発想ですね。たしかに、いまはそのほうが実現の可能性が高いかもしれません。

 

記憶のキュレーションとしての街歩き

著者情報

東京大学大学院情報学環教授

吉見俊哉

よしみ しゅんや

1957年、東京都生まれ。東京大学副学長、情報学環学環長、大学総合教育研究センター長などを歴任。主な専門は、社会学、都市論、メディア論、文化研究。著書多数。

東京工科大学デザイン学部教授

暮沢剛巳

くれさわ たけみ

1966年、青森県生まれ。美術・デザイン評論。著書に『拡張するキュレーション 価値を生み出す技術』(集英社新書、2021年)『オリンピックと万博』(ちくま新書、2018年)『エクソダス―アートとデザインをめぐる批評』(水声社、2016年)など多数。

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