大学でマンガを学ぶということ
中野晴行(ノンフィクション・ライター、編集者)
アニメと並び、日本を代表するポップカルチャーとして世界的評価が定着した日本のマンガ。マンガを独立した学科、専攻として取り上げる大学も増え、多くの学生がマンガを学んでいる。そこで、自らも大学で教鞭(きょうべん)を執る著者に、マンガ教育の実際を語ってもらう。
マンガを教えている大学は100以上?
日本で学部、学科、専攻に「マンガ」の名を冠し、カリキュラムとしてマンガを教えている大学は21校(2018年3月末現在)。正式のカリキュラムには掲げられていなくても、個々の教員が授業の中でマンガを取り上げているものも加えると、おそらくは100校以上の大学で何らかの形でマンガに関する講義が行われているはずだ。
01年には、マンガに関わる教員や研究者たちの集まりとして日本マンガ学会が設立され、メンバーには、竹内オサム(同志社大学教授)、夏目房之介(学習院大学大学院教授)、藤本由香里(明治大学教授)、吉村和真(京都精華大学教授)、笹本純(筑波大学名誉教授)ら大学で教鞭を執る人たちが多数名を連ねた(肩書は現在)。毎年1回大会が開催されているほか、原則年1回研究誌『マンガ研究』を発行。他にも、地方の部会や分科会などで活発な活動が行われている。
一方では、ちばてつや、里中満智子、竹宮惠子、すがやみつる、さそうあきら、モンキー・パンチといった日本を代表するマンガ家たちや、マンガ誌で活躍した編集者たちが大学の教員として招請されるケースも増えている。
マンガやアニメが日本を代表するポップカルチャーとして世界からも認められる中で、マンガを教え、研究する大学はこれからも増えていくだろう。ほんの半世紀前には、マンガは子どものための娯楽とされて、「勉強の妨げになる」とまで言われていたことを考えると隔世の感がある。

そんな中、「なぜ大学でマンガを教えるのか」を再検証しようという声は、当事者である研究者やマンガ家からも上がっている。
16年6月に、東京工芸大学中野キャンパスで開催された日本マンガ学会第16回大会では、シンポジウムのテーマに「学校とマンガ」を掲げ、「マンガで教える」「マンガを教える」ということについてマンガ家と研究者たちがそれぞれの立場から発表し、意見交換が行われた。
私は日本マンガ学会のメンバーではなく、学会でのこの議論を要約して報告出来る立場にはない。ここでは、自分自身が大学の講義を8年以上やってきた中で見聞したことなどを元に、一個人の立場から学生が「大学でマンガを学ぶ」ことの意味を考えてみたい。あくまでも私見であることはお断りするまでもない。
マンガの描き方をどう教えるのか
大学でのマンガのカリキュラムは大きく二つのカテゴリーに分けることが出来る。マンガの描き方を教える実作の授業と、マンガ史やマンガ表現論、海外のマンガとの比較文化論などの座学の授業だ。
06年に日本で唯一のマンガ学部を開設し、私も教鞭を執る京都精華大学を始め、大阪芸術大学、東京工芸大学などは実作を中心に据えている大学。これに対して、明治大学や学習院大学などは研究と座学を中心とした大学。この他に、メディア論やマスコミ論の中にマンガに関する講義を交えている大学もあって、数としては三つ目の方が主流を占めているのかもしれない。
マンガ史に関する研究は1960年代半ばから、美術評論家石子順造や文芸評論家尾崎秀樹(ほつき)らによって本格化し、70年代に米沢嘉博(コミックマーケット創始者の一人)、村上知彦(編集者)、竹内オサム(児童文学研究者)ら若きマンガ評論家の手で同時代史としてのマンガ史を研究するベースがほぼ完成された。一方で描線やコマなど「絵」を中心とするマンガ表現論は、マンガコラムニスト夏目房之介の『手塚治虫はどこにいる』(92年)が書かれたことで90年代に本格的な研究がスタート。夏目自身の他に夏目チルドレンと呼ばれる若手研究者の手によっても継承され、発展してきた。比較文化論的な研究も、アメリカ出身のフレデリック・L・ショット、ドイツ出身のジャクリーヌ・ベルントといった海外文化で育った目で日本マンガに接した人々の手により80~90年代から優れた研究成果が発表されるようになっている。
その意味では、マンガを学問として学ぶための下地は21世紀の到来までに出来あがっていたことになる。
問題だったのは、描き方を教える、という実作の部分だ。描き方を教えるというだけなら、専門学校が70年代から行っている。通信制のマンガ教室までたどれば、戦前から既にその原形はあるのだ。
あえて大学で教えるということになって、招請されたマンガ家たちは困惑した。そもそも、マンガ家たちにとってマンガの描き方を教えるメソッドそのものが存在しなかったのだ。唯一、マンガ家たちがよりどころに出来たのは、過去にアシスタントたちを指導した時の経験だった。そこで初期の授業では、マンガ家が作品を描き、ベタ塗りやトーン貼りといったアシスタントの仕事を学生に体験させる、といったスタイルのものが多かった。
ところが、このスタイルではプロが絵を描くテクニックを学ぶことは出来るが、マンガに欠かせないアイデアの練り方や、ストーリー作り、コマ割りといった構成面でのテクニックを学ぶことは難しい。そのため、大学でマンガを学んだ学生の多くが「絵は上手いが、ストーリー作りが出来ない」と言われたものだった。
試行錯誤が繰り返された末に、現在ではシステマチックにマンガの描き方を学べるようなカリキュラムが組まれるようになった。マンガ家自身も教えることによって、自らのマンガの成り立ちを理解し始め、「作品に向かい合う心構えが変わってきた」というマンガ家教授も多い。
編集者出身の教員は、もともとさまざまなマンガ家を育てたという経験から、育てるコツでは一日の長があったが、やはり学生を教えることで、より論理的な指導手法を確立するようになった。
こうした試行錯誤を経て完成された指導手法が、大学の強みと言えるだろう。
一方、学生側にとって大学でマンガを学ぶメリットを挙げるとすれば、教えるフィールドの幅広さだ。
大学では、学生さえその気になれば他学部の先生やゲスト講師からも、さまざまなことを学べるのである。文学や演劇の先生から作劇法を学んだり、心理学の先生から読者をひきつけるコツを学んだり、歴史の先生から作品のベースになる歴史や地理のことを学んだり、解剖学の知識を学んで作品に役立てたという例もある。
教員たちは外部講師の招請にも熱心で、文楽の人形遣いや落語家といった古典芸能の演者を呼んで、学生たちに学ばせているところもある。人形の表情がわずかな動きや角度で変わる文楽など、全く違う視点からマンガの画角やコマ割りのテクニックに気付く学生も少なくない。
学生には右脳タイプが多い?
著者情報
ノンフィクション・ライター、編集者
中野晴行
なかの はるゆき
1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒。7年間の銀行員生活を経て編集プロダクションを設立。主著に『マンガ産業論』(2004年、筑摩書房)、『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(07年、筑摩書房)、『マンガ進化論』(09年、ブルース・インターアクションズ)、『「はとバス」六〇年 昭和、平成の東京を走る』(10年、祥伝社)、『まんがのソムリエ』(14年、小学館クリエイティブ)、『やなせたかし 愛と勇気を子どもたちに』(16年、あかね書房)など。他にも監修で『漫画家たちが描いた日本の歴史(全6巻)』(14年、金の星社)がある。『マンガ産業論』で05年日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞、『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で08年度日本漫画家協会賞特別賞受賞。京都精華大学マンガ学部客員教授、デジタルハリウッド大学客員教授。また、12~17年には手塚治虫文化賞選考委員。