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スピリチュアルに癒される現代人

既成の宗教より「マイ宗教」を探し求める時代

川村邦光(大阪大学名誉教授)

 テノール歌手・秋川雅史が歌う、作者不詳の英詩「THOUSAND WINDS」の日本語訳「千の風になって」(新井満訳)が、日本でもモニュメントの場などで歌われ、多くの支持を受けた。この詩が人びとの琴線に触れたのは、スピリチュアルなものに惹(ひ)かれる、現代の渇き切った世界において、閉塞状況にある日本人の心情と共感するからだろう。

「千の風になって」とスピリチュアル文化

 「千の風になって」が、“癒し”の歌として、はやっている。

  私のお墓の前で 泣かないでください
  そこに私はいません 眠ってなんかいません
  千の風に 千の風になって
    あの大きな空を 吹きわたっています
   (「THOUSAND WINDS」新井満訳より)
 
という歌詞である。
 風、光、雪、鳥、星になって、生者を見守っているという、死者から届けられたメッセージである。この歌には、“精神世界”と呼ばれた潮流が行き着いた地平を示唆し、現在、トレンドになっているスピリチュアル文化の、大きな特徴が凝縮されているように思われる。

「ニューエイジ運動」と“わたし探し”ブーム

 1960年代の終わりから70年代にかけて、既存の文化に対抗する青年文化(カウンター・カルチャー)が現れ、そこにはヨガや瞑想、神秘主義、アメリカ経由の東洋系宗教など、オカルティズムやスピリチュアリズムも含まれ、雑誌・映画などのマスメディアを通じて流行した。それは教団のように組織化されず、緩やかなネットワーク的な形態をとり、ニューエイジ運動(新霊性運動)と呼ばれた。
 また、真如苑、GLA、真光系教団、阿含宗などの、新新宗教と呼ばれる教団が発展した。80年代へいたり、超能力神秘体験を説くオカルティズムやスピリチュアリズムに関する書籍が“精神世界の本”という用語で一括されて、書店の宗教関連書コーナーに現れている。他方、幸福の科学やオウム真理教が、目立った活動を展開していた。
 新新宗教も精神世界も、教団に属するかしないかは別にして、霊的な世界に覚醒して、超能力の獲得や神秘体験の達成を目指そうとしていた点では共通し、また自分自身を変革したい、本当の自分を探求・確立したい、前世の自分を知りたいといった、自己変革や変身、“わたし探し”の願望が著しいのが大きな特徴である。

既成宗教に反発してスピリチュアルへ

 しかし、1995年のオウム真理教事件は、社会ばかりでなく、宗教界にも多大な衝撃を与えた。宗教界では、オウム真理教は宗教ではないとし、まともな対応をすることなく、仏教を始めとする既成教団への信頼を失わせ、“宗教は恐ろしい”といった雰囲気が広がっていった。
 『読売新聞』の全国世論調査「宗教」(2005年9月2日)に、それがよく示されている。1998年に「何か宗教を信じている」が28%、94年に26.1%だったが、オウム真理教事件の起こった95年には、20.3%と5.8ポイントも減っている。98年には20.5%、2000年に22.8%へとやや盛り返すが、01年には21.5%へと再び減少し、05年には22.9%になっている。
 オウム真理教事件以降、“宗教離れ”になったといわれるが、わずかながら宗教信仰は増えていっているようである。そこにはおそらく1970年代以降のニューエイジ運動、もしくはスピリチュアルなものへの関心が続行していたのである。“宗教離れ”ではなく、“教団離れ”だといえよう。95年以降、「宗教を信じている」は20%台をわずかに超えるだけであり、「宗教を信じていない」は75%前後である。この結果はいかにも信仰心がないことを示している。
 だが、2005年に初詣でに行ったのは69.9%、お盆や彼岸に墓参りをしたのは79.1%にものぼっている。ここには、教団として組織化されたものが宗教としてイメージされ、初詣でや墓参りといった慣習は、宗教とみなされていないことが反映されていよう。神仏や先祖に対して、手を合わせて拝むことも、経験的な日常世界を超えた不可視の存在に祈っているという点で、れっきとした宗教的行為に含めていいだろう。
 同様の調査でも、こうした傾向は現れている。

透明で美しく完結するスピリチュアルな世界

 スピリチュアル文化を担っているのは、若者が多い。しかし、「千の風になって」の歌を愛好しているのは、中高年層だといわれている。1970、80年代にオカルティズムやスピリチュアリズムに出会った人は、現在、40代から60代になっている。
 スピリチュアル文化や「千の風になって」が流行しているのは、決して20代前後の若者だけによるのではなく、この中高年層の支持があってこそ、と考えられる。中高年層、特に団塊の世代の場合、父母や友人を亡くしていることが、かなり多いと推測できる。その弔いは、従来の慣習に従って仏式で行われたであろうが、あまりそれになじめず、あるいはそれを拒もうとする傾向がある一方で、スピリチュアルなものに親近感を抱く心性をもち続けていたといえる。
 また、自然環境の保護、自然との一体感といった、エコロジカルな思想とスピリチュアリズムとともに、自然のものには霊魂が宿るとするアニミズム的心情に基づいて、死者の霊を風や光や雪や星という、いわば美しく透明なものに投影することで癒され、充足しようとしていると思われる。
 「千の風になって」から浮き彫りにされるスピリチュアルな対象とは、自分を超えた不可視の存在というより、自分と親密だった近親者や友人などに限られている。そして、自分の癒しだけを求め、自分の世界だけに著しく閉ざされている。
 このスピリチュアル文化は、社会的・政治的な閉塞感のなかで、自分のみに親密性を抱くだけで充足してしまう心情に適合したものといえる。

著者情報

大阪大学名誉教授

川村邦光

かわむら くにみつ

1950年生まれ。東北大学文学部宗教学科卒。宗教学・民俗学専攻。天理大学教授を経て、97年大阪大学文学部教授、2016年3月退任。著書に『セクシュアリティの近代』(1996年、講談社選書メチエ)、『ヒミコの系譜と祭祀』(2005年、学生社)、『私にとってオウムとは何だったのか』(共著、05年、ポプラ社)、『憑依の近代とポリティクス』(編著、07年、青弓社日本学叢書)、『聖戦のイコノグラフィ』(07年、青弓社)、『セクシュアリティの表象と身体』(編著、10年、臨川書店)、『弔い論』(13年、青弓社)、『弔いの文化史‐日本人の鎮魂の形』(15年、中公新書)、『出口なお・王仁三郎:世界を水晶の世に致すぞよ』(17年、ミネルヴァ書房)など多数ある。

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