寿命30歳も夢じゃない!?「猫の腎臓病治療薬」の開発に寄せられた飼い主たちの大きな期待
宮崎徹(東京大学大学院医学系研究科教授)
(構成・文/宮村美帆)

今や猫は飼い主にとって家族の一員であり、その大切な家族が健康で長生きしてほしいと願うのは当然のこと。猫の平均寿命は15歳まで延び、最近は20歳を超えることもめずらしくはない。しかし、一方で、ある程度の年齢になると腎臓病にかかって苦しむ猫も多い。根治は望めず、死亡率も高いため、飼い主たちは「うちのコもいつか発症するかもしれない」と不安を抱えながら愛猫との日々を過ごしている。
そんな飼い主の元に、猫の腎臓病のメカニズムを解明し、治療薬を開発中だという希望の光のような朗報が届いた。そして、その開発を支援するために1億円を超える寄付金が集まり、さらに大きな注目を浴びることとなった。
広がり続ける善意の輪の中で、猫の腎臓病治療薬の研究・開発に奔走する、東京大学大学院医学系研究科の宮崎徹教授に話をうかがった。

宮崎徹教授
東大基金史上前代未聞! SNSで広がった寄付の輪
「宮崎先生、大変なことになっていますよ!」
2021年7月12日の朝、私がいつものように研究室に行くと、東京大学基金の事務局から、慌てふためいた様子で連絡が入りました。東京大学基金とは東京大学内の学術研究プロジェクトなどへの寄付を受け付ける窓口ですが、そこに「宮崎先生の猫の腎臓病治療薬の研究を支援したい」という問い合わせがたった1日で3000件以上寄せられ、ウェブサイトにつながりにくい状態になっているというのです。
そう言われても、私自身は寄付を募集していなかったので、身に覚えのないこの事態にただただ驚き、戸惑っていました。けれども、この寄付の発端が、前日に配信された私のインタビュー記事にあったことが徐々にわかってきました。その中で私は、猫の腎臓病の治療薬の開発を行っていること、それがコロナ禍で資金難に陥り中断していることをお話ししました。これを読んだ全国の猫の飼い主さんたちの間で「支援したい」「東大の研究者には東大基金を通じて寄付できるらしい」という情報がSNSで拡散され、自主的に寄付してくださっていたのです。わずか数日後には約1万件、総額1億円を超える寄付が集まっていました。東京大学基金全体に集まる寄付件数が年間だいたい1万数千件ということですから、前代未聞の事態です。皆さんの寄付の輪は今も広がっており、10月現在で2億2000万円近くにもなっています。
寄付とともに「我が家も腎臓病で猫を亡くしたので他人事ではありません」「うちの猫は今、まさに腎臓病と闘っています」「すべての猫たちと猫を愛する人にとって夢の薬です」「一日も早く腎臓病で苦しむ猫がいなくなりますように」などたくさんのメッセージが寄せられていました。
研究者は学会や論文などで評価を得ることがあっても、こんなふうに一般の方の思いを直接受け取ることはほとんどありません。感謝の気持ちと同時に、猫の腎臓病が飼い主の皆さんにとって切実な問題で、治療薬への期待度がとても高いことを痛感しました。
気づいた時にはすでに悪化。早期発見が難しい猫の腎臓病
これほどまでに猫の飼い主さんたちが応援してくださる背景には、「猫の宿命」とも呼ばれる、猫と腎臓病の深い関係があります。猫は他の動物に比べて腎臓病にかかりやすく、死因の上位になっているものの、なぜ猫に多いのか、そのメカニズムはよくわかっていませんでした。そして、腎臓病を発症すると完治は望めないため、だんだん弱っていく愛猫の姿を見ながら、症状の悪化を少しでも遅らせるための対症療法を続けるしかないのが現状です。
また、腎臓病は早期発見が難しいという厄介な一面もあります。猫も人と同じで腎臓が2つあり、腎機能が5割低下しても目に見える症状が現れないためです。獣医学では猫の腎臓病の進行度をIRIS(the International Renal Interest Society)という国際獣医腎臓病研究グループのガイドラインに従って4つのステージに分類していますが、多飲多尿などの症状が現れて飼い主さんが気づく頃には、すでにステージ3あたりまで進行しています。ステージ4になると体重減少、食欲の減退、貧血、全身性の炎症など尿毒症に伴うさまざまな症候が現れて、急激に悪化していきます。

こんなふうに、今では猫の腎臓病について一通りの説明をすることができますが、私は数年前までは猫の腎臓病の現実をまったく知りませんでした。なぜなら、私は獣医師ではなく、人の病気を治す医師だからです。人の医師である私がなぜ、猫の腎臓病の治療薬の研究・開発に取り組んでいるのか。ここに至るまでには長い道のりと、いくつもの偶然の出会いがありました。
すべては未知のタンパク質分子、AIMの発見から始まった
私は、今は研究生活を送っていますが、もともとは臨床医として患者さんと向き合っていました。その時、いろいろ検査をしてようやく診断がついても治療法は対症療法のみという、「治せない病気」「治らない病気」がまだまだたくさんある現実に直面しました。腎臓病はその代表的な疾患の一つです。そんな病気を解明したい。私は病気の発生や進行のメカニズム自体が解明されていないことが治せない原因の1つであると考え、30年ほど前に臨床の現場を離れて、基礎研究の道に進んだのです。
研究を続けていく中で、1990年代に血液中に含まれる未知のタンパク質の分子を発見しました。人には体内に侵入した病原体や異物から体を守るさまざまな種類の免疫細胞が備わっていますが、その中に、細菌や異物を食べて体内から排除する「マクロファージ」という細胞があります。私が発見した分子は、どうやらこのマクロファージを長生きさせる(死ににくくさせる)役割があることがわかり、「マクロファージの細胞死を抑制する分子」という意味の英語「Apoptosis Inhibitor of Macrophage」の頭文字をとって「AIM」と名づけて、1999年に論文を発表しました。
AIMが実際に体内でなんの役に立っているのか、最初のうちはよくわかりませんでしたが、研究を続けていくうちに、動脈硬化の発生に関与していることや、脂肪細胞の脂肪を分解することなどが判明しました。けれども、私の目標である「治らない病気」の解明にはまだなかなか結びつきません。
そこで、発想を変えて「治らない病気」の共通点について考えてみると、腎臓病やアルツハイマー型認知症などの病気は、体から出た何らかの「ごみ」が溜まった結果、発症するということに気づいたのです。たとえば、腎臓病では腎臓の尿細管に細胞の死骸が溜まって詰まることで腎機能が低下します。アルツハイマー型認知症はアミロイドβというタンパク質の断片が脳内に溜まることが原因だと言われています。つまりは、体内の「ごみ掃除」の機能を高めれば治せるようになるのではないかという結論に至ったものの、手がかりはなかなか見いだせずにいました。
しかし、さらに研究を進めていくと、なんと私が発見したAIMにこそ、「体内のごみ」を掃除する役割があることがわかりました。AIMがごみにくっついて目印になることで、マクロファージに食べられやすくしていたのです。ならば、AIMを増やすことで体のごみ掃除が活性化され、治らない病気を治せるかもしれない! ここにたどり着くまでに、AIMの発見から十数年の歳月が流れていました。
獣医師との運命的な出会いから猫の腎臓病の解明へ
著者情報
東京大学大学院医学系研究科教授
宮崎徹
みやざき とおる
1962年、長崎県生まれ。86年に東京大学医学部卒業後、同大学医学部付属病院第三内科にて研修。92年、熊本大学発生医学研究センターで博士課程修了(医学博士)。同年よりフランスのパスツール大学研究員、95年よりスイスのバーゼル免疫学研究所主任研究員、2000年よりアメリカのテキサス大学准教授を務める。2006年より現職。免疫を研究する中で、1999年に血液中のタンパク質「AIM(Apoptosis Inhibitor of Macrophage)」を発見。AIMの特性に着目し、腎臓病、アルツハイマー型認知症、自己免疫疾患や脳梗塞等、さまざまな疾患に対する治療法の研究・開発に取り組んでいる。著書に『猫が30歳まで生きる日』(2021年、時事通信社)がある。