病原体媒介マダニとの攻防
葛西真治(国立感染症研究所 昆虫医科学部第三室 室長)
2013年に国内で初めて患者が発生したマダニ媒介性感染症SFTS(重症熱性血小板減少症候群)。「殺人ダニの恐怖」などと新聞で大きく報道されたため、記憶に新しい方もおられるかもしれません。当時はまだ中国からしか見つかっておらず、致死率30%とも言われたこの新たなウイルス病の国内発生に、関係者の間に緊張が走りました。この恐ろしい病気をうつすマダニという生物について、みなさんはどれくらいご存知でしょうか。
マダニという生物
みなさんは、マダニを見たことがありますか? 通常体長数ミリ程度ですが、吸血すると体重が100倍ほどにまで膨れ上がる不思議な生物です。犬を飼ったことがある方なら、体に付いて大きくなったマダニを見かけたことがあるかもしれません。幼虫が吸血して若虫に、さらにもう一回吸血して成虫になりますが、若虫以降は8本脚で、昆虫ではなくクモの仲間に分類されます。日頃なかなか意識しない生物ですが、実はちょっとした山林や草原に普通に生息しており、東京都内ですら見かけることがあります。
彼らはさまざまな病原体を媒介する
私たち衛生昆虫研究者がマダニの存在を警戒するのは、この生物がヒトをはじめとしたさまざまな動物に密かに忍び寄り、血液を吸うだけならまだしも、厄介な病原体を唾液とともに注入し、感染症を引き起こす恐れがあるからです。国内ではSFTS以外にも、昨年(2016年)初めて死亡例が報告されたマダニ媒介性脳炎、年々報告患者数が増えている日本紅斑熱、欧米でも問題となっているライム病、そのほか野兎病(やとびょう)やQ熱などの感染症が知られています。海外に目を向けると、エボラ出血熱と同じ四大出血熱の一つに数えられるクリミア・コンゴ出血熱はアフリカから西アジアにかけて分布し、さらにオーストラリアの特殊なマダニは唾液に神経毒をもっており、咬まれると呼吸困難になるほど危険なマダニ麻痺症をもたらすことが知られています。欧米では、野山に入ると「マダニ注意」の立て看板が普通に立てられているほどです。
動物が来たら乗り移り、時には自ら近寄る
マダニは日本では47種が知られています。種によって発生ピークが異なりますが、主に4月から10月の暖かい季節に活発に活動します。草の先端や落ち葉の上などで動物がやってくるのをじっと待ち、植物の種のように脚の先にあるかぎ爪を引っかけて乗り移ります。また、意外にも未吸血個体は結構なスピードで歩くことができます。野生動物が休息しているときには、呼吸によって出される二酸化炭素と熱を頼りに素早く忍び寄り、体の柔らかい部分を探して吸血を開始するのです。
私たち研究者が野外でマダニの調査を行う場合は、このかぎ爪による引っかけを利用して、白い布を地面の上で引きずり、くっ付いてきたマダニを捕獲します。これは「旗ずり法」といって、特に4月から5月にかけて野生動物が多くいる地域で行うと、10メートルほど引きずるだけで100匹以上のマダニがくっ付いてくることもあります。
SFTSとは
この病気は6~14日の潜伏期間を経たのちに発症し、高熱とともに嘔吐、腹痛、下痢などの症状、さらに血小板や白血球数の減少などが生じます。2013年1月に原因不明の疾患を患った方の血液から初めて原因ウイルスが見つかりました。その2年前に中国で発見されたものとは遺伝子配列が異なっていたことから、最近海外から渡ってきたものではなく、ある程度以前から日本に土着していたものであろうと推測されました。保健所への報告が義務付けられている4類感染症に指定され、17年4月26日までに53名の死者を含む232名の感染者が報告されています。単純計算で致死率約23%は、わが国の季節性インフルエンザの致死率とされる0.05%と比べると桁違いに高いことがわかると思います。
現在のところフタトゲチマダニやタカサゴキララマダニのようにSFTSの媒介マダニとして疑わしい種はいくつか挙げられていますが、確定までには至っていません。それはマダニが保有するウイルス量が非常に少なく、感染性を保ったまま病原体を培養することが難しいからです。逆に言えば、検出できないほどに極微量のウイルス量であってもヒトの体内で増殖し、発症させる恐ろしい病気であるともいえるのです。
西日本からのみ発生
これまでに報告されたSFTS患者の推定感染地域は、石川、滋賀、三重の各県より西の21府県に偏っており、東日本では確認されていません。マダニが活発に活動する5~10月に患者が多く発生し、60~80歳代が中心ですが、そのほかの世代からも患者が報告されています。
SFTSがなぜ東日本で発生していないかというのは、この病気の最大のミステリーといっていいかもしれません。最も有力な説としては、東西のマダニ相の違いが挙げられます。西日本でヒトが被害に遭うことが多いマダニ種はSFTSの媒介が疑われるフタトゲチマダニやタカサゴキララマダニですが、東日本ではシュルツェマダニやヤマトマダニといったマダニ属に分類されるマダニが主となります。ただ、東日本に媒介が疑われる種が全くいないわけでもありませんし、SFTSウイルスを保有するマダニは北海道を含む東日本からも見つかっていますので、あくまで確率の問題であり、今後東日本からもSFTS患者が発生する可能性がないとはいえません。
一方、ウイルス研究者の中には、このウイルスの起源が西日本であり、現在進行形で濃厚感染地域が西から東へ拡大しているからだと考える人もいます。もしその考えが正しいとすると、現在は石川県と三重県を東端としている患者発生地域が、今後徐々に東へ移動していくことになります。
決定的な治療法がない
残念ながら、現段階ではSFTSに対する特効薬はなく、有効なワクチンもありません。この病気にかかっても、対症療法で症状を和らげるしか手はないのです。ただし、そんな中でもわずかに望みはあります。同じウイルスを原因とするインフルエンザの治療薬の中に、SFTSにも効果が期待されるものがあり、国立感染症研究所によるマウスを用いた実験では、SFTSへの効果が認められました。2016年から30以上の医療機関で臨床研究が進められています。近い将来には、有効な薬が見つかるかもしれません。
完成された吸血ギミックの妙
マダニの口器には、のこぎり状の歯がびっしりと逆向きに生えており、一度刺さったらなかなか抜けない構造になっています。
しかも、時間をかけてセメント様物質を分泌し、口器を皮膚にしっかりと固定するため、特に口器が長い種の成虫がしっかりと食い付いてしまった場合はなかなか外すことが難しくなってしまいます。無理をして引っ張ると、口器が皮膚の中に残って肉芽腫を形成し、異物感が残ったり、長期に痒みが生じたりすることになったり、細菌感染することがあります。
刺されたときはどうすればよい?
もし、体にマダニが食い付いているのを見つけてしまった場合はどうすればよいか? まずは、マダニに咬まれたとしても感染症にかかる確率は低いため、パニックになる必要はないことを理解してください。私たち専門家でさえ、野外で病原体をもったマダニを見つけることは容易ではないのです。医学会では予防的投薬は勧められていません。ただし、2週間ほど継続的に体温測定し、記録することが推奨されています。これは、マダニ媒介性疾患の多くは、症状として「高熱」が報告されているからです。
一方、体に付いたマダニを確実に取り除くには、皮膚科へ行って局所麻酔をしてもらい、外科的に皮膚ごと切除してもらうことです。しかし、病原体は時間とともに体に注入され、感染症を患ってしまう危険性が高まってしまいます。病原体をもっているマダニの確率は非常に低いとはいえ、早く取り除くことが病気の感染リスクを低下させることは間違いありません。
バターがあなたの命を救うかも?
私がもしマダニの被害に気づいたら、まずは「ワセリン法」を試すでしょう。この方法は兵庫医科大学の夏秋優(なつあき・まさる)先生があみ出したもので、マダニ全体にワセリンを塗り、30分ほど放置するだけで、皮膚からマダニを比較的簡単に外せるようになるというものです。ワセリンがない場合はバターや軟膏でも大丈夫だそうです。
そのほか、ペットに付いたマダニを外すために「Tick Twister(フランスのO’TOM社製品)」なる器具が販売されています。これをマダニと皮膚の間に刺し込んで、左右に回すことでマダニが外れやすくなり、ヒトにも効果があるとされています。また、体から外すことができたマダニは決して憎いからといってひねりつぶしてはいけません。病原体を媒介するマダニの種類はだいたい決まっているため、専門家に見てもらうと、種によって感染症のリスクが判定できる場合があるのです。
一方、ワセリン法やTick Twister法が通じるのは、口器が短い種類や幼虫、そして食い付いてまだ時間がたっていない(1~2日以内)場合の話。長い口器をもつマダニ種が奥深く刺し込んで、がっしりと皮膚に固定してしまった場合は、どう頑張っても取り除くことはできません。やはり、皮膚科医に診てもらうしかないでしょう。
感染を防げ!
著者情報
国立感染症研究所 昆虫医科学部第三室 室長
葛西真治
かさい しんじ
1970年生まれ。筑波大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。アメリカ・コーネル大学博士研究員を経て2000年から国立感染症研究所研究員となり、主任研究官を経てコーネル大学客員研究員を務めたのち、現職。蚊、ハエ、ゴキブリ、シラミのように病気を媒介する衛生害虫の防除対策や、殺虫剤抵抗性分子機構の解明と抵抗性のモニタリング、殺虫剤の新規作用点の探索などを研究。著書に『分子昆虫学 ポストゲノムの昆虫研究』(共著、共立出版、2009年)、『招かれない虫たちの話』(共著、東海大学出版部、2017年)などがある。