スズメバチはなぜヒトを刺すのか!?
小野正人(玉川大学農学部教授)
行楽の秋、食欲の秋…、心地よい秋風に吹かれて野山の散策、栗拾いやキノコ狩りなど、多くの方々が郊外に足を向ける季節でもあります。しかし、そんなとき、人知れぬ場所で“スズメバチの要塞”は最盛期を迎え、近づく者への警戒もマックスになっています。ヒトとの接点が増え、刺傷事故が続発するのもこの季節です。
社会問題化するスズメバチ
今やスズメバチと聞けば、誰しも「怖い」と背筋を震わせ、「何それ?」と言う人はいないほどで、ここ十数年の間にもっとも知名度(悪名)を上げた昆虫の一つです。このハチに刺されて毎年多くの方が命を落とし、社会問題化しています。
日本では、スズメバチなどハチによる刺害(しがい)が頻発するのは、巣が大きくなる8~10月の3カ月間に集中し、特に巣が最も大きくなる9~10月には深刻な被害が頻発します。厚生労働省の人口動態調査によれば、1980年代の初頭から現在に至るまで、平均で年間約20名の方々の死因がハチによる刺傷であり、クマやハブによる犠牲者数を上回っています。
スズメバチの生活史
日本在来のスズメバチは、オオスズメバチ、ヒメスズメバチ、コガタスズメバチ、キイロスズメバチ、モンスズメバチ、チャイロスズメバチ、ツマグロスズメバチの7種です(北海道に生息するケブカスズメバチは種のレベルではキイロスズメバチと同種で亜種の関係)。
スズメバチの営巣、つまり巣作りは4月下旬~5月初旬にかけて開始されます。このとき、前年の秋に誕生してオスと交尾し、受精のうという袋に精子をたくわえて越冬した女王バチ1匹のみで、働きバチはいません。
女王バチは、受精のうの精子を少しずつ使って受精卵を産み、最初の数匹の働きバチを育てますが、それまでの約1カ月間は、巣作り、産卵、エサ採り、育児、外敵防御といった仕事の全てを1匹で行わなければなりません。6月も中旬になると、巣内では最初の働きバチの羽化が始まります。受精卵から生まれる働きバチは、全て雌(めす)にもかかわらず繁殖を行わず、産卵以外の全ての仕事を分担し、7~8月にかけて急増して、9月中旬にもなれば500匹以上に達します。
9月も下旬に入ると、女王バチは精子をかけない卵を産み始め、この無精卵からはオスバチが発生します。同じころ、巣内で育てられる雌の幼虫には多量のエサが与えられ、大きな雌である「新女王バチ」の養育も始まります。秋の繁殖期になると、巣内ではおのおの数百匹のオスバチと新女王バチの生産が開始され、働きバチはこれらの「生殖虫」を捕食者から守るために極めて神経質になっています。
10月も半ば過ぎになると、羽化したオスバチや新女王バチは巣を離れ、他の巣の配偶者と交尾します。オスバチは死んでしまいますが、交尾を終えた新女王バチは、土の中や朽木に潜行して越冬し、翌年の初春に1匹で巣作りを開始します。
働きバチと遺伝子の秘密
雌である働きバチは、文字通り働きずくめで死んでいきます。「子孫を残さない働きバチの性質は、どのようにして遺伝していくのであろうか?」と、進化論で有名なチャールズ・ダーウィンは、著書『種の起源』の中でこの問題に頭を悩ませていました。
この難問の背景には遺伝子の巧妙な戦略が隠されており、解決にはダーウィンの没後、約100年を待たねばなりませんでした。巣の中で暮らす全ての働きバチや無数の幼虫・蛹(さなぎ)は、母親である女王バチ由来の遺伝子と父親であるオスバチ由来の遺伝子の半々で構成されているので、女王バチと働きバチの「母子間」では50%の遺伝子が共通しています。
では、働きバチ同士、あるいは働きバチと新女王バチといった「姉妹間」を見てみましょう。オスバチは無精卵から発生するので、もともとゲノムは1通りしかなく、受精卵から発生する雌の場合、父親の精子から経由してくる遺伝子は100%同じで、母方からくる遺伝子については50%の確率で共通ということになります。すると、姉妹間の遺伝子の共有率は75%となり、母子間よりも姉妹間の方が、同じ遺伝子を共有する確率が25%も高いことになるのです。
働きバチにとって、自ら繁殖するよりも巣にとどまって妹の世話をする方が、自分の遺伝子のコピーをより多く残せることになり、遺伝子の担い手となる血縁者に躊躇(ちゅうちょ)なく自らの命を捧げるのです。
毒液がもつ恐るべき二つの機能
スズメバチの毒液には、たんぱく質を分解する酵素類、セロトニンなどの生体アミン類、低分子ペプチドなど様々な成分がカクテルのように配合され、組織の破壊、激痛などの作用がもたらされます。数ミリ程度の細い針でチクリと刺されただけなのに、真っ赤に焼けた五寸釘を打ち込まれたような衝撃を受けるのは、一滴にも満たない毒液の破壊力の強さを象徴するものです。一度その痛さを味わえば、黄色と黒の縞々の警告色が脳裏に刻まれて、二度と手を出さなくなる効果は十分にあるでしょう。
さらに、その怖さを語る上で絶対に落とせないのがアナフィラキシーショックです。毒液が人体に入ると、免疫機構に抗原と認識され、抗体生成の引き金となります。複数回刺されて蜂毒に対して感作状態(同じ抗原の再刺激に過敏な状態)になってしまうと、それ以降に刺されたときに急激なアレルギー反応が発症し、全身にじんましんが出たり、血圧の低下、呼吸困難などの症状が引き起こされます。
毒液には、もう一つの機能があります。そのヒントは次の経験から得られました。九州の熊本県の山中でオオスズメバチの調査をしていたとき、巣に近づきすぎて門番のハチに刺激を与えてしまい、そのハチが空中でホバリングをしながら毒液をスプレーのように噴射してきたのです。次の瞬間、多数のハチが巣から噴き出してきて周囲を取り囲まれ、険悪な雰囲気に急変しました。毒液の中に、「敵が来た!スクランブル発進せよ!」という香りの非常ベル「警報フェロモン」が仕込まれていたのです。
増加する「都市適応型スズメバチ」
近年、スズメバチが都市部で増加し、特にキイロスズメバチの人の住環境への侵入が顕著です。キイロスズメバチは、スズメバチの中でも体のサイズが最も小型で弱い種ですが、巣は時に直径80センチを超え、2000匹もの働きバチを擁することさえあり、木の枝や樹洞に巣を作って昆虫類を捕食したり、樹液や果汁などを吸って生活しています。1980年代に入り、日本経済がバブルの時代に向かい始めたころから、里山が宅地造成されて急激な都市化の波が押し寄せましたが、その波に乗って環境の急変に適応し、勢力を増大させたグループの中にいたのがキイロスズメバチです。
様々な場所に巣を作れるキイロスズメバチにとって、日本家屋は格好の立地条件を満たしており、屋根の軒下、屋根裏、床下、雨戸の戸袋など、いたるところで巣が見つかっています。食べ物についても、家庭から出る生ゴミなどは豊かな栄養源となっており、野山よりも多様な食材にあふれています。
さらに、天敵のオオスズメバチが都市部に適応できないことも好条件で、私たちがキイロスズメバチのために安全安心な生活空間を創造してしまったような皮肉な格好になっているのです。野山では「負け組」だったキイロスズメバチは、高い増殖力をもって生き延びてきましたが、都市部でもその増殖力をセーブするようなことはしません。一つの巣から時に1000匹もの新女王バチを生産する高い生殖能力と、住環境や食環境に制限がかけられず、天敵もいない都市部での増加は驚異的であり、まさに「都市適応型スズメバチ」といわれる所以(ゆえん)です。
生態系におけるスズメバチの立ち位置
スズメバチの幼虫や蛹は、良質なたんぱく源です。自給自足の生活を送っていた私たちの先祖にとって、イノシシやシカなどの肉を手に入れるのに比べれば、たんぱく源としての昆虫には手が届きやすかったはずです。
日本には今でも長野県などを中心にイナゴやザザムシ(ヒゲナガカワトビケラの幼虫)などを食する「昆虫食文化」の名残があります。中でもスズメバチの幼虫や蛹は栄養満点の食材と言え、かつてその巣はハンティングの対象であったと考えられます。現代人にとって恐怖の的となっているスズメバチも、つい数百年前には立場が逆で、ヒトがスズメバチの強力な捕食者であったと考えられ、毒針を使った集団的な防衛行動の進化は、その捕食者に対する適応と考えられるのです。スズメバチの毒液の成分と効果、ヒトの頭や目など急所を狙った攻撃、免疫機構を逆手にとった蜂毒アレルギーの発症など、いずれもがスズメバチが進化の過程で獲得した「ヒトに対して効果的な防衛戦略」と言えます。両者の生態系の中における「食う者と食われる者」のせめぎあいの歴史の深さを感じざるを得ません。
一方、自然界においてスズメバチは主に昆虫類を捕食して生活しており、彼らの獲物は草木や樹木を食い荒らす農業・森林害虫がほとんどです。生態系のバランスを保つ捕食者として重要な機能を担っている側面も理解し、この「怒らせると怖いが、頼りになる緑のパトロール隊」との共存の道をはかるべきとも言えます。
スズメバチから身を守る基礎知識
著者情報
玉川大学農学部教授
小野正人
おの まさと
1983年、玉川大学農学部卒業。88年、同大学大学院農学研究科修了(農学博士)。スズメバチ、ミツバチ、マルハナバチなど社会性ハチ類を対象に基礎と応用の境界で研究を展開している。研究成果は、イギリスの科学誌『ネイチャー』(「ニホンミツバチのスズメバチに対する熱殺蜂球」〈1995年〉、「オオスズメバチの複数成分系警報フェロモン」〈2003年〉)をはじめとし、多数公表されている。アメリカの『ナショナルジオグラフィック』、イギリスのBBC、日本各局のメディアを通じて、スズメバチなどの特徴について啓蒙活動にも尽力している。施設栽培でポリネーター(花粉媒介者)として使用される日本在来種マルハナバチの実用化に関する研究も注目されている。
玉川大学農学部長、総合農学研究センター長、大学院農学研究科長を兼務。日本学術会議連携会員、社会福祉法人こどもの国協会評議員、神奈川県環境影響評価審査会委員。日本応用動物昆虫学会賞、環境賞、井上研究奨励賞などを受賞。
著書に『スズメバチの科学』(海游舎)、『マルハナバチの世界 ―その生物学的基礎と応用―』(社団法人日本植物防疫協会)などがある。