ハエとの距離感に悩む
葛西真治(国立感染症研究所 昆虫医科学部第三室 室長)
「五月蠅い」と書いて何と読むかご存じでしょうか? そう、「うるさい」と読みます。旧暦の5月といえば、今でいう6月中旬から7月中旬ごろ、多くの昆虫が活発に活動を始める時期に当たります。中でも毎秒200回という、とてつもない速さで翅(はね)を動かし飛び回るハエの仲間は、特にその羽音が耳に障ることから、「うるさい」状況を表現する言葉として使われるようになったようです。
では、ハエは本当に五月蠅いと形容されるほど迷惑な存在なのでしょうか?
ハエとは何者か?
昆虫は分類学上、鱗翅目(りんしもく)や鞘翅目(しょうしもく)など29の目(もく)に分けられます。ハエの仲間はその中の双翅目(そうしもく)と呼ばれるグループに分類されます。この目の中にはハエの他にアブや蚊の仲間も含まれていますが、これらの昆虫には翅を2枚のみもつという共通点があります。
小学校の理科の授業で、昆虫とは、脚が6本、翅が4枚ある生物のことを指すと習った方が多いと思いますが、例外もあるのです。ただし、よくよく双翅目昆虫の翅を見ると、大きな翅の後ろにとても小さな突起状の構造物を1対見つけることができます。これは平均棍(へいきんこん)と呼ばれ、正確な飛翔姿勢を制御する働きをしているのではないかと考えられています。
双翅目の中でハエの仲間として分類される昆虫は、2014年現在、国内では3626種類が記載されており、その数は毎年増え続けています。この中には、なじみがあるイエバエやキンバエ、ショウジョウバエなどのほか、ハナアブのように「アブ」と呼ばれながらハエに分類される昆虫も含まれます。逆に、チョウバエやキノコバエのように「ハエ」と呼ばれながら分類上はハエではない昆虫は含まれません。
病原菌の運び屋
筆者らが特定のハエの存在を問題視するのは、時として人間に多大な健康被害をもたらす場合があるためです。中でも、注目すべきはイエバエです。腸管出血性大腸菌O157が原因で起こる食中毒が問題になった1990年代、発生場所の周囲には高い確率で牛舎がありました。そこで、国立感染症研究所昆虫医科学部が中心になって、全国の畜舎などで採集したハエ類の保菌状況について調査が行われました。
その結果、捕獲した0.5%のハエからO157菌が検出されたのです。多くはイエバエで、牛の糞便を介してO157を伝播している可能性が強く疑われました。口から取り込んだ大腸菌は消化器系内で分裂・増殖しますが、イエバエはこれらを約6分おきに体外へ排泄します。そのうえ、イエバエは他のハエに比べて屋内侵入性が非常に強く、食物にたかるなどして、食中毒菌を媒介しやすいのです。
かつて夢の島と呼ばれ、東京都内で出された生ゴミを埋め立てていた中央防波堤埋立処分場では、1990年代後半まで生ゴミをそのまま廃棄していたため、イエバエを中心として非常に多くのハエが発生しました。イエバエ対策のために色々な種類の殺虫剤が使われましたが、抵抗性を獲得するために殺虫剤が効かなくなる問題に直面し、効果的に防除することが困難となっていました。もうこれ以上使える殺虫剤がないかと思われたころ、都内のゴミ処理場では生ゴミを高温で焼却処分する方式に変更されたことから、幸い、夢の島でのハエの問題は解消しました。
寄生したり、寄生虫を媒介したり
おもに中南米に生息するヒトヒフバエやアフリカに生息するヒトクイバエなどは、幼虫が人体の皮下に寄生し、蛹(さなぎ)になるまで生活します。ヒトヒフバエの場合、まずは蚊やダニに卵を産み付け、それらの虫が人を吸血する際に幼虫が移動して人への寄生が成立するような、巧みな生存戦略をもっています。日本でも、キンバエやニクバエの仲間が、寝たきりになっている人の床ずれや壊死(えし)した外傷患部に卵を産み付け、そこで幼虫が発育してしまうことがあります。
アフリカの睡眠病という病気はツェツェバエと呼ばれる吸血性のハエによって感染が成立します。余談ですが、最近、アフリカのシマウマがなぜ縞模様をしているのかという長年の論争に決着を付けるような発表がなされました。その論文によると、ツェツェバエは通常の馬に比べてシマウマの縞模様から吸血することを明らかに嫌う傾向があるというのです。シマウマの縞模様は、ツェツェバエによる吸血にともなう睡眠病の被害を避けるように進化してきた結果だというのです。
ウイルスの運び屋でもある
ハエはウイルスの運び屋としても問題です。1960年代、まだ我が国にポリオが存在していた時代にさまざまなハエ類を採集してウイルス分離を試みた結果、キンバエの仲間からポリオウイルスが高い率で検出されています。 また、2004年に京都府内の養鶏場で鳥インフルエンザが発生した際には、現場周辺で捕獲された、大型で冬に活発に活動するオオクロバエから感染力を有したウイルスが検出されました。また、ニワトリは目の前のオオクロバエをとても積極的に摂食することも観察されたことから、このハエが鶏舎間の鳥インフルエンザの伝播に関与していることが強く疑われました。
さらに厄介なのは、その行動範囲の広さです。筆者らは腐った魚でオオクロバエをおびき寄せて捕獲し、修正ペンで背中にマーキングをした後リリースし、別の地点で再捕獲をするという調査を行いました。すると、4時間後に1キロメートル離れている場所で再捕獲されたことから、このハエは高速で飛翔し、短時間のうちに広範囲にわたって活動していることが分かりました。
ハエを見る目が変わるかも
ハエをよくよく観察してみると、意外にきれい好きであることが分かります。目、触覚、口器といった重要なセンサーが集積している感覚器に付いた汚れを、前脚を使ってしきりに掃除します。この行動はグルーミングといい、皆さんもご存じの、前脚を互いにこすりつける行動は、グルーミングの結果集められたゴミを最後にふり落とす役割があるように見えます。
実は、ハエはけっこう人の役にも立っています。
ハエの触覚にあるセンサーにはさまざまな特殊能力があることが分かってきています。例えば、人間のがん細胞が出す特殊な匂い物質を感じ取ることができるといい、将来、高感度の検査機器の開発に結びつく可能性があるのです。
ヒロズキンバエというハエの幼虫は、糖尿病の治療に用いられています。といっても、血糖値を下げるわけではありません。糖尿病によって壊死した足に無菌飼育されたウジ虫(幼虫)を放つことで、彼らは消化酵素を出しながら壊死した組織を食べ、治療を促進してくれるのです。ハエの幼虫は健康な組織には害を及ぼしませんし、抗菌物質を分泌することで新たな壊死を防ぐ効果もあり、実際に足の切断を逃れたという例が多くあります。
マゴットセラピーと呼ばれるこの治療法は、日本ではまだ保険適用されておらず、一部の病院のみでの保険外診療にとどまっているのが現状です。
被災地での隠れた大活躍
有機物の分解者としてのハエの役割も重要です。2011年の東日本大震災の際に起こった大津波では、沿岸にあった水産加工場や冷凍施設から大量の魚介類が流出・散乱しました。気温の上昇とともにそれらが腐敗し、強烈な臭いが地域全体を覆い尽くしましたが、4月下旬ごろにはオオクロバエやケブカクロバエが、5月中旬以降にはクロキンバエが大発生し、幼虫がこれらの有機物をものすごいスピードで消化していきました。それと同時に無数のハエ成虫が発生し、この地域の住宅や避難所で生活する方々に多大なストレスを与えました。
筆者らは衛生害虫の調査のために、この年何度か東北地方を訪れました。そして、ハエがもつ分解者としての偉大な能力と、不快害虫としての負の部分、これらの両側面に直面することになりました。果たして彼らを、殺虫剤を用いて積極的に駆除すべきかどうなのか、私たちが最もハエとの距離感に悩んだ瞬間でもありました。
幸い、被災地域では人間が出す汚物の処理が適切になされ、赤痢やコレラといった感染症が流行する要因もなかったことから、積極的にはハエの防除は行われませんでした。この判断が正しかったのかどうか、今でも考えることがありますが、結果として、その後幼虫たちの働きによって有機物の分解は急速に進みました。さらに、餌の減少とともにハエの発生も少なくなり、同年秋には腐敗臭の問題もハエの問題も終息しました。
影ながら私たちの助けになっている
実は、ハエの有機物分解能力に着目した事業がすでに展開されています。畜舎から出た排泄物(糞)をイエバエの幼虫に分解させ、その分解物を作物の肥料として用いたり、大量に得られる終齢幼虫や蛹を再度家畜の餌として用いることで、効率的にエネルギーを再利用しようというものです。ズーコンポスト(Zoo compost)と呼ばれるこの仕組みは、微生物を用いた発酵処理とは異なり、二酸化炭素の排出量が少ないことや、排泄物の分解速度が速いことなどから、新たな農業の形態として注目されています。
さらに、時にハエは殺人事件を解決することさえあります。被害者の体で発育したニクバエやキンバエの幼虫の種類、齢期や数から死亡日時や殺害場所などを推定できることがあり、それが容疑者を絞り込んだり、アリバイを否定することにつながる場合があるのです。アメリカでは法医昆虫学として一分野を確立しています。
その他、最近ではハエを受粉昆虫として利用しようとする動きもあります。世界的に数が減少し農業への影響が心配されているミツバチですが、これに代わり、無菌培養したヒロズキンバエをマンゴーやイチゴの農場に放ち、受粉を手助けする研究が行われ、成果が上がりつつあります。
実験動物として人間に貢献
著者情報
国立感染症研究所 昆虫医科学部第三室 室長
葛西真治
かさい しんじ
1970年生まれ。筑波大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。アメリカ・コーネル大学博士研究員を経て2000年から国立感染症研究所研究員となり、主任研究官を経てコーネル大学客員研究員を務めたのち、現職。蚊、ハエ、ゴキブリ、シラミのように病気を媒介する衛生害虫の防除対策や、殺虫剤抵抗性分子機構の解明と抵抗性のモニタリング、殺虫剤の新規作用点の探索などを研究。著書に『分子昆虫学 ポストゲノムの昆虫研究』(共著、共立出版、2009年)、『招かれない虫たちの話』(共著、東海大学出版部、2017年)などがある。