なぜ「弱いロボット」を研究するのか
岡田美智男(豊橋技術科学大学情報・知能工学系教授)
皆さんは「ロボット」と聞くと何を期待するでしょうか。高度な機能を持ち、便利な社会を実現する未来志向の存在。人間にはできないことをかなえてくれる夢の機械。そんなイメージが一般的かもしれません。一方、ここで紹介するのは、“自分ではゴミを拾うことのできないゴミ箱ロボット”など、どうにも世話のやける「弱いロボット」たちです。はたして、こうした研究からは何が見えてくるのでしょう。
「引き算」で発想したロボット
介護や医療の現場にロボットが導入され始め、アメリカでもGoogleがロボット開発に本腰を入れて関連企業をいくつも買収するなど、近ごろ世界的にロボットブームが到来しているようです。今後、ロボットがいっそう社会に進出してくるのは間違いありません。そこで問題になるのは、人とロボットとの共生はどうあるべきかという、古くて新しい課題です。
私たちの研究室では、人とロボットのかかわり、さらには人間同士のコミュニケーションや人間の知性を議論するための道具として、ロボットを研究しています。コミュニケーションの本質を理解するためには、いちど人から離れて、ロボットという「異邦人」を通して考えたほうが見えるものがあるのではないかという発想です。したがって、私たちが作るロボットは、必ずしも今すぐ世の中のためになるような「役に立つロボット」ではありません。むしろ一人では何もできない「他力本願なロボット」、言い換えれば「弱いロボット」たちばかりです。
ロボットのデザインには大きく分けて二つのアプローチが考えられます。一つは「足し算としてのデザイン」。すなわち、ロボットの内部にすべての機能を集約し、個体として自己完結を目指したデザインです。多くの人が「ロボット」という言葉でイメージするのはこちらだと思います。一方、それとは反対に「引き算としてのデザイン」があってもいいはずです。これは簡単そうに見えて、実はけっこう難しい。引き算をするということは、余分な機能をそぎ落とし本質をえぐり出す作業でもあるからです。
結果として、一人では何もできない奇妙なロボットたちが誕生しました。いずれも、自分の中にすべての機能を抱え込むのではなく、半ば周囲に委ねてしまう、すなわち常に他者の存在を予定し、人間が手助けすることで新たな価値が生まれることを目指したデザインです。こうした存在を「関係論的ロボット」と呼びます。もっと一般的には、「ソーシャルロボット(社会的ロボット)」と呼ばれています。
これらの発想の根本にあるのは、私たち人間も実は単体で完結しているわけではなく、むしろ周囲の環境との相互関係の中で一つのシステムを作っているという考え方です。ここでいう環境とは、地面や障害物というもののほかに、親や友人、すれ違った見知らぬ人間など、社会的環境も含まれます。
私たちの身体は基本的に不完全なものです。ところが、不完全なりに周囲に依存しながら賢くやっている。同様に、周囲の支えがあって初めて自立するという発想でロボットを作ってもいいのではないか。そう考えると、こういうロボットたちが生まれてくるのです。次に具体的な例をいくつか紹介しましょう。
自分ではゴミを集められないゴミ箱ロボット
(1)ゴミ箱ロボット(Sociable Trash Box)
「引き算としてのデザイン」で生まれたロボットの一つが「ゴミ箱ロボット」です
。たとえば、自分でゴミを認識し、分別しながら拾い集めるというロボットは「足し算としてのデザイン」です。一方、このゴミ箱の形をしたロボットは、車輪がついていて動き回ることはできるものの、ゴミを拾うアームなど、ゴミ収集に必須と思われる機能がついていません。その代わりに、周囲の人間の“支え”を上手に引き出すことで、結果としてゴミを拾い集めます。
具体的にはこうです。このロボットはゴミを認識すると、人のいるほうにヨタヨタとすり寄って、ある程度の距離に近づいたらペコっとおじぎをします。そうすると、人は「ゴミを集めたがっているのかな?」と解釈するわけです。またゴミ箱の頭部にはセンサーがついていて、ゴミが頭部を通過するともう一度ペコリとおじぎをします。この2度目のおじぎを、私たちは「お礼」と受け取ります。とてもローテクで、先端のロボットを開発している研究者から見ると、「こんなものロボットじゃない」と言われてしまうような他力本願なロボットですが、結果としてゴミを集めることに成功しています。
たとえばこんな例を考えてみましょう。赤ん坊は一人では何もできない弱い存在です。しかし、「泣く」という手段によって、おなかがすけばミルクを手に入れ、おしめが気持ち悪くなれば交換してもらうことができます。こうした振る舞いは完全に他力本願である一方、自分でできないのであれば他者に頼る、他者のアシストを引き出すことで結果として目的を達成するという、ある意味で優れた戦略でもあると思うのです。
ゴミを拾う機能がないなら他者に頼ればいい。このように他者を志向すると、自己完結的なロボットでは必須と思われる機能がそぎ落とされていきます。そこで最後に残るのは、他者との関係性を築くこと、すなわちソーシャル(社会的)なスキルということになります。
お掃除ロボットといえば、アイロボット社の「ルンバ」が有名です。ルンバもじつは「弱いロボット」の一種であるように思います。ルンバは実際に動かしてみると室内のコードに引っかかったり、部屋の中の袋小路に入り込んで出られなくなったりするという弱点があります。そのため、私たちはルンバを動かす前に床にちらばったコードを整理したり、イスをきちんと並べ直したりしなくてはなりません。すると部屋は整理整頓され、掃除もされるわけですが、それは私一人でやったわけでもないし、ルンバだけの仕事でもない。ルンバは私を味方に引き入れながら、結果として部屋をきれいにすることに成功しているというわけです。
聞き手を想定した発話ロボット
(2)トーキング・アリー(Talking-Ally)
音声合成技術が発達して、ロボットがニュースを読み上げることも可能になりました。でも、テキストを流暢(りゅうちょう)に読むだけで人とロボットとのコミュニケーションが成り立っているとはいえません。どうすれば私たち人間の関心を引くような会話ができるのでしょうか。そうした疑問を出発点に作られた「トーキング・アリー」は、学校から帰ってきたばかりの子どもが母親に今日の出来事を話すようなイメージの卓上ロボットです
。
たとえば「サッカーのワールドカップに向けて日本代表が合宿を始めた」というニュースを、「サッカーのね、ワールドカップにむけてね、あのね、にほんだいひょうがね、がっしゅくをはじめたよ」というように、たどたどしい言葉で音声化します。また、対面する人の視線を追跡する機能や、測位センサーによって頭の動きを認識する機能がついていて、聞く人の意識がこちらに向いていないと判断したときは黙り込んでしまったり、「あのね」「ねえねえ」「聞いてる?」と言いながら関心を誘うような働きかけをするようプログラミングされています。
そうすることで何が起こるかというと、聞き手側が思わず視線を向けたり、傾聴する姿勢を取ったりするわけです。つまり、こうした語りかけは、一方的に流暢な言葉で話しかけた場合よりも他者を揺り動かす力を持っている。技術的には流暢な言葉にすることも可能だし、普通に考えればわざわざ非流暢な発話にする必要はありません。しかし、聞き手の存在を予定したデザインにすると話は変わってきます。非流暢な発話は聞き取りにくいようにも思えますが、聞き手の状態に合わせて言葉を紡ぎ出したり、一生懸命話しかけたりする様子というのは、聞き手側に自発的な“支え”を促すようです。聞き手はついつい会話という「場」に思わず引き寄せられてしまう、その結果として、一緒に会話という「場」を作り上げていくということになります。
人とロボットが共生する社会のヒント
著者情報
豊橋技術科学大学情報・知能工学系教授
岡田美智男
おかだ みちお
1960年、福島県生まれ。東北大学大学院工学研究科博士課程修了。NTT基礎研究所情報科学研究部、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)などを経て現職。専門は、コミュニケーションの認知科学、社会的・関係論的ロボティクス、ヒューマン‐ロボットインタラクション、次世代ヒューマンインターフェースなど。主な著者に、『弱いロボット』(2012年、医学書院)、『ロボットの悲しみ』(共著、14年、新曜社)など。