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サイエンス

深海という未知の生物圏の神秘に迫る

謎はどこまで解明されているのか?

藤倉克則(独立行政法人海洋研究開発機構 海洋生物多様性研究プログラム 上席研究員)

(構成・文/山田久美)

 2012年7月、日本の研究者らが伝説の巨大イカ「ダイオウイカ」の動画撮影に世界で初めて成功したのを機に深海ブームが起こった。宇宙とともに「人類に残された最後のフロンティア」と言われる深海の謎と深海生物の生態についてご紹介しよう。

深海有人調査の先駆けは日本

 地球上、最も深い海はマリアナ海溝チャレンジャー海淵で、水深約1万900メートルにも及ぶ。はるか遠い海の底だが、深海と呼ばれる領域は「水深200メートルよりも深い場所」と定義され、実は意外と身近である。水深200メートルとは届く太陽光が少なく植物が光合成できなくなる深さであり、暗黒の世界の入り口となる。海の水深は平均約3800メートルで、海の全体積の約95%が深海なのである。
 深海はほんの少し前までは未知の領域だった。深海の本格的な調査が始まったのは、今から約140年前。1872~76年にかけてイギリスの「チャレンジャー号」が行った探検航海が始まりだ。同号は網などを使って深海の生物や岩石を採取し、大きな発見を数多くもたらした。
 しかし、せっかく捕らえた生物の多くは、網を引きあげる際に死んでしまう。また、微細な生物や岩と岩の間など複雑な地形に生息している生物は採取することができず、無人調査には限界があった。そこで、人間が直接深海の様子を見に行こうと、有人潜水船による調査が始まった。
 世界で最初に深海の科学的有人潜水調査船を作ったのは日本人だ。1929年のことで、水深200メートルまで潜ることができた。海外でも潜水船の開発が進められ、34年にアメリカの生物学者が水深923メートルを達成。60年には、アメリカ海軍の「トリエステ号」がチャレンジャー海淵に到達し、深さへの挑戦という点では一段落した。その後、有人潜水調査船の小型化が進み、深海調査が行われるようになった。
 現在、4000メートルよりも深く潜水できる有人潜水調査船は世界に7隻。そのうちの1つが、89年に建造された海洋研究開発機構の「しんかい6500」である。その名の通り、水深6500メートルまで潜ることができる。水深6500メートルよりも深い海は海の全体積の2%なので、これを使えばほとんどの深海を網羅できることになる。
 

「光合成」と「化学合成」という2つの生態系

 これまでの深海調査による最大の発見は、深海には独自の生態系があるということだ。
 陸地や浅い海では、植物や藻類が太陽光を使って有機物を作る「光合成」を中心に生態系が成り立っている。しかし、水深200メートル以上になると太陽光が少なくなり、光合成を行う生物がほとんど存在しなくなる。
 一方で、深海には海底火山や海底の亀裂によって300度を超える熱水と、硫化水素やメタンといったガスが勢いよく噴出している熱水噴出域という特殊な環境があることがわかった。
 多くの生物にとって硫化水素やメタンは有毒だが、これらのガスが酸化する時に発生するエネルギーを使って有機物を作り出す微生物が、熱水噴出域に数多く生息していた。さらに周辺には、その微生物を体に共生させてエネルギーを作らせたり、食糧として利用したりするエビや貝が群がっており、パラダイスを形成していたのだ。
 このように、硫化水素などの無機物をもとに有機物を作ることを「化学合成」と呼ぶ。深海の研究によって、地球には光合成を中心とする生態系と化学合成を中心とする生態系の2つが存在していたことが明らかになったのである。

深海を調査し、生命の起源・進化を探る

 熱水噴出域で発見された深海生物の中で話題を集めているものは、2001年にアメリカのチームが発見したスケーリーフットだろう。真っ黒なうろこを足にもつ巻貝で、うろこは硫化鉄でおおわれている。この硫化鉄がどのように作られているのかわかっていない。
 発見当初、このうろこは肉食の生物から身を守る鎧(よろい)の役割を果たしているのではないかと考えられた。しかし、まわりには今のところ天敵となるような生物は見られない。09年には「しんかい6500」に乗った日本の研究チームが、硫化鉄に覆われていない白色の足を持つスケーリーフットの採取に成功した。しかも、白色の足の方が硬かった。スケーリーフットが足をうろこで覆っている理由は現在も解明されていない。
 熱水噴出域に生息する生物に共生する微生物を調べることは、生物の進化のメカニズムの解明にとっても意義深い。例えば、シロウリガイの体に共生している微生物のゲノムは非常に小さく、そのゲノムサイズはミトコンドリアと大腸菌の中間くらいだ。ミトコンドリアはもともと独立した生物だったが、他の生物の細胞内に取り込まれ体の一部となった。シロウリガイに共生している微生物も細胞内小器官になっていく途中の段階だという可能性がある。
 熱水噴出域には、水素を使って生きる原始的な微生物も見つかっており、生命起源の解明にも結びつくのではないかと期待されている。また、メタンをエネルギー源として生きる微生物は、地球外生命体の存在の可能性を後押しするものでもある。
 このように、熱水噴出域を中心とする深海の調査・研究は、生物の進化のメカニズム、生命の起源、地球外生命体、そして、地球そのものの歴史を解き明かす上で非常に意義深いものなのだ。

深海で生きるための体の工夫

 一口に深海生物といっても生態は千差万別で、一生を海底で過ごすものから、海面近くと深海を往復するもの、幼生の頃はプランクトンとして水中を漂い、成長してから深海で生活するものまで幅広い。
 深海生物の体には、暗黒で高圧という特殊な環境に適応するためのさまざまな工夫がある。まずは「発光」だ。ほとんどの深海生物が発光するが、理由として(1)獲物をおびき寄せるため、(2)光る物質を噴射して敵を威嚇するため、(3)わずかに海面から降り注ぐ光と同じくらいの光を下方に照射し、自らの影を消すため(カウンターイルミネーション)、(4)パートナーや仲間を認識するため、の主に4つが考えられる。
 次に、「目」の工夫がある。深海には光がほとんど届かないため、より多くの光を取り込もうと目を巨大化させたものがいる一方で、目を完全に退化させてしまったものもいる。さらに、感覚毛を生やしたものや、嗅覚や聴覚を発達させたものも少なくない。
 また、深海生物には体色が赤みを帯びているものも多い。陸上では色鮮やかに見える赤い光は、水中ではすぐに吸収されてしまい見えにくいのである。
 高圧や圧力の変化に耐えるための工夫としては、体の細胞膜が柔軟なことや、魚の浮袋などのように容積が変化しやすい器官をもたないこと、浮袋にガスの代わりに容積変化の少ない油を充満させていることなどが挙げられる。
 とはいえ、深海生物は決して奇妙キテレツな生物ではない。環境への適応という点では生物は皆同じであり、深海生物だけが特別な存在というわけではないということを強調しておきたい。

東日本大震災後の日本海溝の生態系の変化

 これまでの深海調査で私が一番印象に残っていることは、東日本大震災後の日本海溝の調査だ。2011年8月1日、余震が心配されるなか、「しんかい6500」を使って震源の日本海溝に潜った。すると、そこは、崖崩れによって流されて堆積したウニやヒトデの死骸が微生物によって分解され、辺り一面が真っ白になっていた。また、地震によって海底に大きな亀裂が入り、硫化水素やメタンが大量にわき出している場所も確認した。
 1年後にも同じ場所に潜った。すると、白くなっていた場所は跡形もなく消えていた。硫化水素やメタンがわき出していた場所にも変化は見られなかったが、今後、この場所には新たな化学合成生態系が形成されることが予想される。
 生態系の形成過程を観察し見守ることも含めて、今後も定期的に調査を続けていきたい。

著者情報

独立行政法人海洋研究開発機構 海洋生物多様性研究プログラム 上席研究員

藤倉克則

ふじくらかつのり

1964年生まれ。東京水産大学(現・東京海洋大学)修士課程修了。博士(水産学)。専門は深海生物学。2013年7月から開催された国立科学博物館の特別展「深海 -挑戦の歩みと驚異の生きものたち-」の共同監修を行った。主な著書に『潜水調査船が観た深海生物 -深海生物研究の現在』(共著、2012年、東海大学出版会)、監修に『深海のフシギな生きもの』(2009年、幻冬舎)、『子どもの科学サイエンスブック 深海の不思議な生物』(2010年、誠文堂新光社)ほか。

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