コンピューター将棋(1)
松原仁(公立はこだて未来大学システム情報科学部教授)
将棋のトッププロと将棋ソフトのトップによる、公式の場における、四つに組んだ初めての真剣勝負。勝敗は、トッププロの勝利に終わったが、日進月歩するコンピューターの進歩ぶりを、目にも鮮やかに印象づけるイベントとなった。早晩、コンピューターが人間をしのぐ日が来ようとしている。人間とコンピューター(人工知能)は、今後どのようなかかわり方をして行くのだろうか。
将棋トッププロとコンピューターの対戦
2007年3月21日に、将棋のトッププロである渡辺明竜王と、コンピューター将棋ソフト世界一の「ボナンザ(Bonanza)」が対戦して、渡辺竜王が勝利した。
プロとコンピューターが、公式の場で対戦したのは、初めてのことであった。最終的には人間が勝ったが、中盤まで両者は見ごたえのある勝負を演じ、むしろコンピューターの方が優勢という評判であった。
対戦前には、まだ人間(プロ)の方が圧倒的に強くて、時期尚早と言われていたが、観戦しているプロ棋士が驚くほどの接戦になった。早指しの10秒将棋ではなく、持ち時間2時間の、人間に有利な条件でよく戦ったということで、大きな話題になっている。
コンピューター将棋の始まり
コンピューター将棋の開発が始まったのは1974年で、最初に対戦ができるようになったのは、70年代終わりのことであった。
80年代には市販の将棋ソフトが発売されたが、まだとても弱いレベルだった。80年代の後半に、コンピューター将棋に興味を持つ研究者や技術者が集まって、コンピューター将棋協会を発足させ、90年からは、毎年コンピューター同士の将棋大会を開催するようになった。ようやくアマ初段レベルになったのが、95年ぐらいで、それからは2年に一段程度の割合で強くなっていった。
2005年にはアマ五段のレベルに達し、当時の世界一の「激指」というソフトが、アマの日本一を決めるアマ竜王戦に特別出場し、ベスト16になった。ようやくアマのトップクラスに近づいたことになる。
プロ組織である日本将棋連盟は、2005年の秋に、許可なくプロがコンピューターと対戦することを禁止した。いわば、コンピューターが対戦相手として認めてもらえたということになる。その後は何度かアマのトップと対戦をしたが、どれもコンピューターの負けだった。
アマトップに負けているので、まだプロにはかなわないと思われていたのである。
急成長したコンピューターソフト
アマトップに負けたコンピューターは、普通のパソコンであった。速いコンピューターを使えば、コンピューターが行う計算速度は速くなり、それだけ強くなる。経験的には5~6倍速いコンピューターを使うと、毎回一手深く先読みできるようになる。一手深く読むと、将棋の段で言うと、これも経験的に一段前後強くなる。
渡辺竜王と対戦したボナンザは、インターネットに無償で提供されている普及版で、技術的に改良しているが、普通のパソコンよりも5~6倍速いコンピューターを使っていた。それが予想以上に強くなった理由であろう。渡辺竜王によれば、飛車・角相当の大駒一枚分強くなっていたそうである。
ここまで来ると、コンピューターがトッププロに勝つようになるのも、もはや時間の問題である。1回だけ勝つのであれば、数年以内と思われる。今回より100倍速いコンピューターは、お金と人手の問題はあるにしても、専用のハードウエアなどを工夫すれば、十分に実現可能だ。そうするだけで、もしかすると、トッププロに勝てるかもしれない。1回ではなく、勝ち越すとなると、まだもう少しかかるだろうが、2015年までには達成可能である。
「人間対コンピューター」の始まり
世界的にもっとも盛んだったのは、コンピューター・チェスである。
1950年後半に、シャノンやチューリングという情報科学のパイオニアたちによって、最初に提唱されてから、情報科学のシンボル的な目標として、「人間の世界チャンピオンに勝つコンピューター・チェスを開発する」を掲げて、研究が進められてきた。
50年代では、コンピューターの能力を楽観視して、10年前後で世界チャンピオンに追いつくと思われていたのだが、60年代ではアマの初級者のレベル程度がせいぜいであった。
このころまでは人間のまねをして、数多くの候補手の中から、見込みの高い手だけを選ぶ手法をとっていたが、70年代になってハードの進歩に伴い、ルール上指せる手を全部読むという手法に変わった。後に力任せ法と言われるものである。
世界が注目した「カスパロフ対ディープブルー」
力任せ法であれば、できるだけ速くて、記憶容量が大きいコンピューターがいいのは確かである。1980年代になって、アメリカを中心にスーパーコンピューターや、チェス専用コンピューターを使ったものが、数多く開発された。
プロのレベルにまで達したのが、このころである。90年代に、IBMでディープブルーというスーパーコンピューターと、専用コンピューターを併用したシステムの開発が進められた。そしてとうとう、97年に当時の世界チャンピオンのカスパロフに勝利した。その勝利は、人間のミスに救われたもので、まだ実力的には負けていたと思われるが、勝ちは勝ちなので、情報科学の大きな目標が、達成されたことになる。
スパコンではなく、パソコンで人間に勝つ
その後は、マスコミに取り上げられる機会は少なくなったが、毎年のようにチェスの世界チャンピオンとコンピューターの対戦が行われており、最新の対戦では、完膚なきまでにコンピューターが打ち破っている。それがスーパーコンピューターではなく、パソコンの単なるソフトというのが、衝撃的である。
将棋も目標を達成しつつあるので、次の目標となるゲームは、囲碁である。囲碁はルール上、指せる(打てる)手が非常に多いので、チェスや将棋で成功した手法が、そのままでは通用しない。
今のコンピューター囲碁の実力は、アマ初段以下であり、トッププロに勝つまでには、まだかなりかかるだろう。
今回のコンピューター将棋の「事件」は、単にゲームにとどまらず、今後の人間とコンピューター(ロボット)との付き合い方に大きくかかわっている。
次回は、そのことについて論じる。
著者情報
公立はこだて未来大学システム情報科学部教授
松原仁
まつばら ひとし
1959年生まれ。東京大学理学部卒。同大学院工学系博士課程修了。工学博士。ロボカップ日本委員会会長。著書に『コンピュータ将棋の進歩』(1~6巻、編著、共立出版)、『鉄腕アトムは実現できるか?』(99年、河出書房新社)、『先を読む頭脳』(羽生善治らとの共著、2009年、新潮社)、『コンピュータ囲碁』(編集、12年、共立出版)、『AIに心は宿るのか』(2018年、集英社インターナショナル)など。本誌「AI&ロボティクス」分野の執筆者。