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社会問題

妻たちと国家~入管法に翻弄される人々③後編

【第3回】なおみさん/入管が正しいのか、私たちが正しいのか

木村友祐(小説家)

 一昨年の改正案から入管の問題を見つめ続けてきた小説家の木村友祐氏が、入管法に翻弄される当事者の実相に迫る第3回目の後編。
 →前編はこちら

   ナヴィーンさんは、これまで3回、収容と仮放免をくりかえしている。スリランカの両親に愛されて育っただろうナヴィーンさんが、収容所の中でも外でもことごとく「お前は不要な人間なのだ」といわんばかりの扱いを受けたとしたら、心が病むのも当然だろう。
 傷を抱えて不安定なナヴィーンさんを、それでもなんとか支えられているのは、なおみさんが明るさを失わず、安定しているからではないか。そう思って素朴に聞くと、なおみさんは首をかしげた。
「外からは安定してるように見えるかもしれませんが、でも、やっぱり自分も『ふつうじゃない』って思ってて。ふつうだったら、何も考えずに話せるはずなのに、相手がうつ病ということで、これまで話せていたことも話せなくなっているので、自分自身もふつうじゃいられない状況なんだなと思ってます」
「あとはやっぱり、夫が苦しんでいると、もちろん私もそばにいてすごく苦しくて、心が沈んでしまうこともあります。月曜から土曜まで仕事をしているので、仕事をしている間はその現実を忘れていたり、あとは支援者の方たちと会ってお話をしたりとか、そういうので気を紛らわせていないと、自分自身もおかしくなりそうで。逆に誰とも会わないで引きこもっちゃうと、きっと私も『死にたい』と思うかもしれないと感じています」

 なおみさんが安定しているとぼくが見たのは、その実際を知らない大馬鹿者の見方だった。月曜から土曜まで働いて一家の家計を1人で背負い、ナヴィーンさんのケアもする。心身に大きな負荷がかかっているその状態に、なおみさんがいつまでも耐えられる保証はないのだった。
 なおみさんが仕事で出かけている間、家でナヴィーンさんと一緒に過ごすのは、家事を担うなおみさんの母(72歳)だった。ナヴィーンさんの気持ちが沈んでいるときは部屋にこもりきりになるが、調子がいいときは母がナヴィーンさんの話し相手になる。妻のなおみさんには話しづらいことも話せる、ほどよい距離にいるのだろう。なおみさんによれば、母はナヴィーンさんのことを息子のように思っているという。
 なおみさんの母は、とくに自分の人生の中で外国人とのかかわりがあったわけではなかった。なおみさんの子どもがフィリピン人の母と日本人の父を持つ同級生と遊ぶのを見たり、なおみさんからナヴィーンさんと交際していることを聞かされるうちに、「外国人」に対する抵抗がどんどんなくなっていったそうだ。素晴らしいお母さんだと思う。
「母は『外国人でもそうじゃなくても人間に変わりはない、同じでしょう』みたいな感じですね。『日本人でも悪いことをする人は悪いことをするし、別に何人とか関係ない。その人本人の問題だから』って」
「母は『娘が幸せになるのが一番の幸せ』だと言ってくれていて。その娘の不憫さを、一緒に住んで近くで見ているわけですから、『なんで入管は配偶者ビザを出さないんだろうね』と疑問に思っています。なぜなら配偶者ビザは、子どもがいる・いないにかかわらず、日本人と結婚した外国人のパートナーに出すビザであるわけだから、『なんでもう6年以上も結婚の事実があって、何も問題ないのに出さないんだろうね』って言ってますね。しかも、ビザを出さない理由は一切、入管は教えてくれない。それもうちの母は『理由を言わないのはおかしい。そんな行政制度ってあるの?』って不信感を募らせています」

 そして、なおみさんたちと一緒に暮らす次男(19歳)もまた、入管の対応には危うさと理不尽を感じているのだった。
「息子は、これまでお父さんのように色々相談に乗ってもらったり、遊んでもらったりしてきたわけで、その夫が苦しむ姿を間近で見ているので『なんでこんなにナヴィーンさんが苦しめられなくちゃいけないの? 日本っておかしいよね。こんなひどい国なんだね』と言っていて。『やっぱり政府も入管も法務省もみんな、方針を変えていかないとダメでしょ』と思っているみたいです」
「それに息子は、ウィシュマさんが亡くなった事件も知っているので。命が失われてるじゃないですか。助けられたのに助けなかったわけじゃないですか。救急車も呼ばないし、医療の問題も色々あって、入管に殺されたようなものだから。それをニュースで息子も見ていて、ナヴィーンさんが収容されたのも知っているから、全然他人事じゃない。『もうとにかく早くどうにかしないと、また犠牲者が出ちゃうでしょ』って思っているんですね」
 人の命を在留資格の有無で線引きする国の姿は、高齢となるなおみさんの母だけでなく、まだ若い次男の目にもくっきりと映り込んでいるのだった。

「こんな状態ですから、夫は今は私の支えがないと生きていけません。そんな夫を国に帰しひとりにし、さらに絶望から夫が自殺をはかり、ほんとうに夫を失ってしまってからでは遅いのです。命は尊いものです。二度と取り戻すことはできません」
   意見陳述の後半、なおみさんはそう訴えた。心が不安定なナヴィーンさんを帰したら命が危ういのは明白である。不安が現実になったら、その責任を入管は取れるのか(取れないし、取らないだろう)。
「今は次男も含め4人家族で支えあいながら、お互いを大切に思い暮らしています。今日も心配して一緒に母も次男も傍聴席のほうに来てくれました。どうか残りの人生、夫と穏やかにふつうの暮らしができるように在留資格を認めてください。よろしくお願い致します」
 すべての言葉に説得力があったなおみさんの意見陳述は、そう締めくくられた。ぼくは大きく息を吐いた。胸が一杯になっていた。
原告側意見陳述の最後に立ったのは、なおみさんの担当弁護士である浦城(うらき)知子弁護士である。浦城弁護士と、もう1人の担当弁護士である桐本裕子弁護士が、なおみさんを原告の1人になるよう提案したのだった。
「今、社会では、どのような婚姻関係でも、差別することなく尊重すべき、という風潮が高まっています。ナヴィーンさんたち夫婦も、もちろん尊重すべき夫婦です。ところが、入管は、2人に実子がいないから、という理由で在留資格を認めませんでした」
「夫婦に子どもがなければ、家族として認められないのでしょうか。子供を生むことだけが結婚の目的ではない、というのが、家族の多様性を重んじる、今の社会の共通認識だと思います。そしてこれは、法律上も正しいといえます」

 浦城弁護士はその根拠を列挙する。婚姻は両性の合意のみに基づいて成立するとした憲法24条、家族には保護を受ける権利があるとする自由権規約(国際人権規約)23条、同17条の家族が干渉されない権利も含めて、家族に子どもがいなければならないとはどこにも書かれていないのだと。
「このように、子どもがいないから、という理由で在留特別許可をしなかった国の判断は、私たちの共通認識にも、憲法、国際法にも、反します」
 そこでなんと浦城弁護士は、中島京子さんが書いた小説『やさしい猫』(中央公論新社)を裁判官に示したのだった。スリランカから来たクマラさんという男性が、シングルマザーのミユキさんと恋に落ち、結婚したものの、オーバーステイのために入管に収容されてしまう。2人の結婚を偽装だと疑う入管に対し、裁判でほんとうの結婚であることを示してクマラさんの在留特別許可を求めるという内容を紹介し、ナヴィーンさんとなおみさんをモデルにしたわけではないが、2人の関係にそっくりなこの物語が大変に話題になり文学賞も受賞したこと、日本の多くの人々がここに書かれた家族に共感し、支持していることを説明した。
 まさか、裁判の場で小説作品が出されるなんて。フィクションが現実に影響を及ぼす瞬間を目撃したようで驚いたが、傍聴に来ていた著者の中島さんご本人もびっくりしていたようだ。

著者情報

小説家

木村友祐

きむら ゆうすけ

1970年、青森県八戸市生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。2009年『海猫ツリーハウス』で第33回すばる文学賞を受賞しデビュー。著書に『海猫ツリーハウス』(2010年、集英社)『聖地Cs』(2014年、新潮社)『イサの氾濫』(2016年、未来社)『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(2016年、新潮社)『幸福な水夫』(2017年、未来社)『幼な子の聖戦』(2020年、集英社/第162回芥川賞候補)温又柔氏との往復書簡『私とあなたのあいだ―いま、この国で生きるということ』(2020年、明石書店)がある。

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