個人は国家に抗うことができるのか ~「『モナ・リザ』スプレー事件」を追う
荒井裕樹(二松學舎大学准教授)
日本の障害者運動史を研究しはじめて約20年になる。振り返ってみれば、この間、ずっと「国家や社会に抗うマイノリティ」を追いかけてきた。
ただし、私が追い続けてきたのは「巨大権力に立ち向かった果敢な英雄」というわけではない。正確に表現するのが難しいのだが、強いて言えば「自分自身の痛みと向き合い続けていたら、いつの間にか国家や社会に歯向かわざるを得なくなった人生を、結果として歩んでしまった人物」ということになるだろうか。
特にこの4~5年は、約半世紀前に起きた事件のことを考え続けていた。昨年は文字通り「寝ても覚めても」といった状態だった。その事件は、私に根源的な問いを突きつけてくる。個人は国家に抗うことができるのか。なぜ個人が国家と対峙せざるを得ない状況が生まれるのか。個人が国家に歯向かうことにどんな意味があるのか。こうした問いについて、取り憑かれたように考え続けていた。

『モナ・リザ展』初日に事件は起こった
今から48年前、1974年4月20日。上野公園に隣接する東京国立博物館で、伝説的に語り継がれる絵画展が開幕した。「モナ・リザ展」(文化庁・東京国立博物館・国立西洋美術館主催)である。
「人類の至宝」とも称される名画を一度はこの目で見てみたい。そう願う人々で上野の街はにぎわった。わずか50日間という会期に、約150万人もが来場した。本邦の美術展史上、単館で開催された絵画展としては最多の来場者数であり、今なお記録は破られていない。
時の総理大臣、田中角栄が絵画展の実行委員長を務めたこともあり、メディアもこぞって「モナ・リザ展」を採り上げた。現在50歳代半ば以上の方であれば、当時の雰囲気を記憶している人も少なくないだろう。あるいは本稿をお読みの方の中には、実際に上野に足を運んだ人もいるかもしれない。
実は、この絵画展の初日、ある事件が起きていた。一人の女性が『モナ・リザ』にスプレーを噴射するという行動に出たのである。いわゆる「『モナ・リザ』スプレー事件」だ。
動機は正しく理解されたか。向けられた偏見の眼差し
事件を起こしたのは、「女性解放」を掲げたウーマン・リブの運動家だった。彼女はその場で取り押さえられ、すぐさま警察署へと連行された。
肝心の『モナ・リザ』は防弾ガラスに保護されていたため被害はなかった。展示会場も一時騒然となったものの、もともと混乱に近い混雑状況だったためか、この一件に気付かない人も多かった。噴射されたスプレー塗料がふき取られた後、絵画展は何事もなかったかのように続けられ、初日だけで2万人の来場者を迎え入れた。
この事件について、数名の文化人が反応している。例えば当日夕刊の『朝日新聞』では、『暮しの手帖』編集長・花森安治が次のようなコメントを寄せた。
〈アホらしくてなにもいう気にならないなあ。あえていうなら、そのおんなのひと、モナリザにこだわりすぎているのではないかしら〉。
漫画家の手塚治虫も、連載中の『ばるぼら』でこの一件を採り上げた。『ビッグコミック』5月25日号掲載「第21話 大団円」の冒頭、〈とにかく嫉妬からかケースにカラースプレーをかけた女もいたりして――〉という文言とともに、女性がスプレーを噴射する様子が風刺的に描かれている(『手塚治虫文庫全集 ばるぼら』講談社・以下画像は電子書籍版より)。

花森は、この女性が〈モナリザにこだわりすぎている〉と述べ、手塚は〈とにかく嫉妬からか〉と記した。こうした言葉遣いから、当時「ウーマン・リブ」の女性たちに向けられた世間の想像力がいかなるものであったのかがうかがえる。――彼女たちは女性を容姿で値踏みするような価値観に反発心を抱いているが、その根底には自分の容姿を評価してもらえないことへの私怨があるに違いない――そうした怨みをヒステリックにこじらせ、美人の象徴とされる『モナ・リザ』に八つ当たりしたのだろう――。
誤解を招かぬように付言しておくと、私は殊更に花森と手塚を差別者として糾弾したいわけではない。ただ当時、世間一般の男たちはウーマン・リブの運動家たちを、こうした想像力で細切れにして解釈したのだった。その意味では、花森も手塚も「標準的」だったというだけの話かもしれない。
ただ、手塚の画については指摘しなければならない点がある。例えば、画中の女性は「細く吊り上がった目」「異様に長いまつげ」「張り出した頰骨」が過度に誇張して描かれているが、これは本人の外見とは似ても似つかない。当日の『朝日新聞』『読売新聞』(夕刊)には連行される女性の写真が掲載されているが、それに寄せて描かれたとも思えない。おそらく、それほど深く考えることなく想像で描かれたのではないか。
だとしたら、これは尚更「興味深い」ことかもしれない。当代きっての漫画家の想像力においてさえ、ウーマン・リブの運動家はこうしたステロタイプに収まってしまっていた、ということなのだから。
加えて言えば、手塚の画には事実誤認も含まれている。警備員に逆さに担ぎあげられた女性は両足をばたつかせて抵抗している。しかし、本人の右足にはポリオの後遺症による障害(マヒ)があった。長下肢装具という補装具を装着していたこともあって、一部新聞(『日本経済新聞』)では「義足をはめている」とも報じられた。つまり、右足をばたつかせることはできなかったのだ。
彼女の怒りの背景にあったもの
この女性に障害があったという事実は、本事件について考える上で決して看過できない問題だった。
実は「モナ・リザ展」は、過度な混雑が予想されたことから、主催者によって「入場制限」が設けられていた。介助を必要とする障害者や高齢者、付き添いのいない小学生未満の子ども、乳幼児連れの人(実質的には幼児のいる母親)の来場が、あらかじめ「お断り」されていたのである。スプレーを噴射した女性は、こうした美術展の方針に怒っていた。事実、噴射時には「身障者を締め出すな」と叫んでいる。
彼女の怒りの背景には、それまで自身が被ってきた様々な疎外体験が存在した。障害のある足に向けられてきた冷たい目線。自分との関わりを避ける人々。家族との間でさえ障害について語ることのできない境遇――等々。
彼女の怒りの根底には、こうした私怨が存在したことは間違いない。だが、事件はそれだけで説明し得るものでもない。社会に根強い男尊女卑の風潮。高度経済成長と一億総中流化の中で花開いた大衆文化。1968~70年に興隆した学生運動。若者たちの中で燃え上がったベトナム反戦運動や反公害運動。そうした運動の内部にも存在した女性差別――こうした種々の問題が複雑に絡み合い、蓄積した果てに、彼女を突き動かしたのだった。
更に言えば、事件前後には時の政府によって「優生保護法」の改悪が目論まれていた。中絶の規制を強化して女性に「産む」ことを強いる圧力と、出生前検査によって障害児が生まれないようにするための圧力が高まりつつあった。
事件はこの問題について、女性運動家と障害者運動家たちが葛藤しながら向き合い続けていた最中に起きた。実行に及んだ女性も、優生保護法の改悪阻止に全身全霊で取り組む人物だった。
本当に裁かれるべきなのは誰か
著者情報
二松學舎大学准教授
荒井裕樹
あらい ゆうき
1980年、東京都生まれ。2009年、東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科付属次世代人文学開発センター特任研究員を経て現職。専門は障害者文化論・日本近現代文学。著書に『隔離の文学』(書肆アルス、2011年)、『障害と文学』(現代書館、2011年)、『生きていく絵』(亜紀書房、2013年)、『差別されてる自覚はあるか』(現代書館、2017年)、対談集『どうして、もっと怒らないの?――生きづらい「いま」を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる』(現代書館)などがある。2022年、第15回「わたくし、つまりNobody賞」を受賞。