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公園は誰のものなのか? 「群馬の森」朝鮮人犠牲者の追悼碑をめぐる闘い

朴順梨(ライター)

群馬県の県立公園「群馬の森」にある戦時中の朝鮮人労働者の追悼碑をめぐって、碑を管理する市民団体と碑の撤去を求める群馬県の間で、裁判が続けられてきた。2021年8月、東京高裁は、地裁判決を覆して群馬県の主張を認め、追悼碑の設置更新に対する不許可処分を認める判決をくだした。この裁判を追い続けてきたライターの朴順梨さんが、敗訴した原告弁護団や憲法学者に今回の高裁判決の問題点について話を聞いた。

 

 「群馬の森」朝鮮人労働者追悼碑。筆者撮影

 8月26日、東京高等裁判所には、120名以上が傍聴席を求めて抽選の列に並んだ。96ある傍聴席は、コロナ対策でわずか33席に制限されていた。何とか席を確保した私は、午後2時、静まり返った法廷で耳をそばだてていた。

「原判決を取り消す」

 高橋譲裁判長が、そう言い放った瞬間、その言葉の意味が、私にはしばらく理解できなかった。東京高裁の正門前では、「不当判決」の文字が翻っていた。

追悼碑が設置された歴史的経緯 県との協議を重ねて設置が決まった

 群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」の一角に、戦時中に群馬県内で動員され犠牲になった、朝鮮人労働者の追悼碑がある。「記憶 反省 そして友好」と題され、碑文が日本語とハングルで書かれているこの碑は、2004年4月に設置された。碑文には「21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである」などと刻まれている。

 群馬県内には吾妻郡中之条町の群馬鉄山などの鉱山や軍需工場がたくさんあり、中国や朝鮮半島から動員されてきた者が働かされていた。その人数は公的には残されていない。しかし沼田市にあった日発岩本発電所では、連行されてきた1000人の朝鮮人と600人余りの中国人捕虜が働かされていたことが、地下導水路工事を請け負った間組の百年史に記録されている。苛烈な労働に加え、虐待を受けることもあった彼らの魂を悼む碑は、2001年6月に群馬県議会で全会一致で趣旨採択されて設立が決まった。

 しかし設置をめぐって県は、原案にあった「日本に強制連行された人々」という記述を「外務省とも相談したが、強制連行という用語を政府は認知していないので認められない」とし、村山談話の範囲で表現するように当時の管理団体に通告してきた。そこで管理団体側は「強制連行」を「労務動員」と置き換えるなどしたことで、2004年3月に小寺弘之群馬県知事(当時)の決裁を受けた。その後も県と協議を重ね、双方の合意を得て建てられたにもかかわらず、2014年7月、群馬県は10年間の設置期間の更新を認めず、碑を管理している民間団体「『記憶、反省そして友好』の追悼碑を守る会」(以下「守る会」)に、碑を撤去するよう突如通知してきた。

 その理由について県は、除幕式や追悼式で参加者が「戦争中に強制的に連れてこられた朝鮮人がいた事実を刻むことは大事」などと発言したことを「政治的発言」だとして、設置許可に付された条件違反が行われてきたことから「本件追悼碑の設置目的が、日韓・日朝の友好促進に有意義なものであるという当初の目的からはずれてきた」「政治的発言がおこなわれた結果、本件追悼碑は存在自体が論争の対象となり、街頭宣伝・抗議活動など紛争の原因となって(おり)、このような本件追悼碑は、憩いの場である都市公園にあるべき施設としてふさわしくない」と裁判で主張してきた。

設置期間の更新を求めた裁判の争点

 2014年11月、守る会側は更新不許可処分の取り消しを求めて、群馬県を提訴。16回の口頭弁論を経た2018年2月14日、前橋地裁は更新不許可処分を取り消す判決を言い渡した。

 この際、前橋地裁は「強制連行」という発言は政治的であり、この言葉を用いた追悼式は、追悼碑の設置許可条件に違反する可能性があることを認めている。ゆえに設置許可を更新しないことは裁量権の逸脱・濫用とは言えないものの、追悼式によって都市公園の効用を全うする機能は喪失していないため、県の不許可処分は社会通念に照らし著しく妥当性を欠き、裁量権を逸脱しており、違法だという判断だった。これを不服とした群馬県は控訴し、新たに「許可条件違反をした設置団体は、碑の管理能力を喪失した」という項目を追加していた。

 6回の口頭弁論を経て、2021年8月26日、東京高裁は、過去3回の追悼式で参加者が「強制連行」という言葉を使ったことを挙げ、「これらが政治的発言に当たり、本件追悼碑を管理する被控訴人自身が、その碑文に記された事実の歴史認識に関する主義主張を訴えるための行事(政治的行事)を行ったものといえる」「このような被控訴人の行為により、本件追悼碑は、政治的争点に係る一方の主義主張と密接に関係する存在とみられるようになり、中立的な性格を失うに至った」ゆえ、「公園施設として存立する上での前提を失うとともに、設置の効用(日韓、日朝の相互の理解と信頼を深め、友好を促進するために有意義であり、歴史と文化を基調とする本件公園にふさわしいもの)も損なわれたものということができる」から、碑の設置更新を認めないとした。前橋地裁の判決を覆し、県の主張を全面的に認めたのだ。

「こんな非常識な判決があっていいのか。何の害もない追悼碑を撤去しろということ自体が非常識。闘うしかない!」

 設置団体側の角田義一弁護団長は判決後、怒りをあらわにした。続けて下山順弁護士も、「(高裁判決は)表現の自由の価値を評価していない。間違いなく表現行為のはずなのに、日朝・日韓の友好や過去の歴史の反省を記憶にとどめて、友好につなげていこうということの価値を認めていない。『強制連行』という言葉は教科書にも書いてあるのに、排外主義者が『自虐史観だ』という主張をしていると、あたかも二つの選択肢があるようになってしまい、そんな話を行政も司法も追認する。信じられない話だし、許しがたい」と、判決への異議を唱えた。

地裁判決を「不当」だとして声を上げる原告弁護団。筆者撮影

高裁判決の問題点 表現の自由と「敵意ある聴衆の理論」

 2014年から裁判を見守ってきた、憲法学者で群馬大学情報学部の藤井正希准教授も、「日本国憲法における人権についての考え方を前提にするならば、更新不許可処分を取り消した前橋地裁判決から大きく後退したと言わざるを得ない。具体的には、表現の自由(憲法21条)や適正手続の原則(憲法31条)に対する配慮に欠けると考えています」と語った。

「まず東京高裁判決には、いくつか問題点があります。たとえ除幕式や追悼式において政治的発言がなされたとしても、追悼碑自体には何ら物理的改変が加えられていない以上、追悼碑が『都市公園の効用を全うする機能』を喪失したり、『中立的な性格』を失ったりすることはありえません。追悼碑の客観的価値・意義は不変だからです。
 次に前橋地裁判決も明示している通り、『抗議団体の抗議活動や街宣活動の内容は、主として、本件追悼碑の碑文の内容が真実でないため、本件追悼碑は即刻撤去すべきであることを求めるものであった』のであり、『除幕式や追悼式における政治的発言』は抗議活動の単なるひとつの契機に過ぎません」

 さらに藤井准教授によれば、追悼碑そのものが表現行為として、憲法21条の表現の自由で保障されており、表現の自由はさまざまな人権のなかでも、優越的な地位を占めているという。

「この表現の自由を安易に規制することは許されず、その制約は必要最小限でなければならないものです。それに追悼碑の設置にあたって、群馬県知事は、最初の碑文案にあった『強制労働』を『労務動員』にするなど、内容の修正を求めていました。設置団体側はそれに応じ、修正後の碑文の内容は相当であることを認めています。また碑文の内容は、政府見解である村山談話や日朝平壌宣言に沿ったものでもあるから、碑文の内容に関する抗議を県にすること自体が失当です。もし『追悼碑の碑文の内容が真実でない』というのであれば、抗議する相手は日本政府ですよ」

著者情報

ライター

朴順梨

ぱく すに

1972年、群馬県生まれ。早稲田大学卒業後、TV制作・情報誌編集を経てフリーライターとなり、「AERA」等に寄稿。元・在日韓国人三世。著書に『奥さまは愛国』(北原みのりとの共著、河出書房新社、2014年)『韓国のホンネ』(安田浩一氏との共著、竹書房、2013年)『離島の本屋』(ころから、2013年)などがある。

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