「国境なき医師団」看護師として、紛争地医療に生きる(前編)
白川優子(看護師)
(構成・文/小林資子)
医師・看護師をはじめとするスタッフが、世界約70の国と地域で緊急医療援助活動を行っている「国境なき医師団(MSF)」。白川優子さんは、2010年からMSFに参加し、スリランカ、イエメン、シリア、南スーダンなど、主に紛争地域でオペ室(手術室)看護師として活動している。14回目の派遣となるイラクに出発する3日前に、白川さんへのインタビューが実現。紛争地医療の現実や、援助活動にかける“思い”についてうかがった。
30年越しの夢を実現
――まず、「国境なき医師団」に参加することになったきっかけを教えてください。
白川優子(以下、白川) 7歳のときに、テレビで「国境なき医師団(以下、MSF)」のドキュメンタリー番組を見て、医療に国境があってはいけないという理念に衝撃を受けました。以来、MSFは、いつかは自分も参加したい人道援助団体の理想形として、私の中に存在していました。
成人して看護師となり、日本で7年間、外科と産婦人科を中心に働いている間も、その思いは変わりませんでした。ただ、MSFに参加するには英語かフランス語に堪能なことが必須条件でしたので、思い切ってオーストラリアに語学留学し、さらに現地で看護師の資格と永住権を取得しました。オーストラリアは多人種・多文化の国ですから、あらゆる訛りの英語で鍛えられ、多様な文化の中で生活する経験と看護師としてのキャリアを積み、その後ついにMSFに参加することができたのです。
――2010年、初めての派遣先はスリランカでした。当時は26年間に及んだスリランカ内戦が終結(09年5月)した直後。状況は、いかがでしたか。
白川 内戦が終わったことで、スリランカに関する報道が極端に減っていました。ところが現地に行ってみると、残されて苦しんでいる被害者がたくさんいたのです。特に印象的だったのは、負傷した少年兵たちの姿です。
のちに国際的にも非難されましたが、スリランカの反政府組織(「タミル・イーラム解放の虎」、略称LTTE)は18歳未満の児童を兵士として強制徴集、あるいは誘拐し、訓練をして戦場に送り出していました。MSFが支援する病院には、負傷した元少年兵が数多くいましたし、なかには下半身不随となってずっと入院している元少年兵もいました。彼らは、体だけでなく、心も深く傷ついている。日本にいたのでは想像も及ばない「人権侵害の事実」に衝撃を受けました。
――現実の過酷さに、今後のMSFへの参加を躊躇する気持ちは生まれませんでしたか。
白川 逆です。これが現実なのだ、もっと知らなくてはいけないと思いました。30年来の夢を叶え、MSFの一員になれたことが何より誇らしかったし、私が目指してきたことは間違っていなかった、これを続けていこうと決意を新たにしました。
さらなる貧困化が進むイエメン
――白川さんは、これまでに4回、イエメンに派遣されています。イエメンでは2015年に、サウジアラビア主導の連合軍の支援を受ける政府側と、イランを後ろ盾とする反政府側との内戦が勃発。戦火はいまなお拡大の一途をたどり、代理戦争の様相を呈しています。日本ではなかなか知ることのできないイエメンの現状について教えてください。
白川 最初に派遣されたのは2012年です。一般に内戦勃発は15年と言われていますが、それ以前から各地で武力紛争が頻発していました。例えば12年当時も、アメリカ軍が山岳地帯にいるテロリストを壊滅させようと、ドローン(無人攻撃機)攻撃を仕掛けていました。これにより、テロにも戦闘にも関わっていない多くの山岳住民が大変な怪我を負い、MSFが支援する病院に運ばれてきていました。また、自爆テロで、一度に100人くらいの負傷者が出て、MSFの病院だけで50人の患者さんを受け入れたこともあります。
その後、15年10~12月、16年5~6月、16年11月~17年3月と3回派遣されましたが、最初の12年時と直近の17年時で何が変わったかと言うと、ものすごいスピードで貧困が進んだことです。
もともとイエメンは「中東の最貧国」と言われていました。そこで代理戦争のような暴挙が行われているのです。空爆で家を失い、あるいは空爆から逃れた避難民は、国連などから支給されたテントがあればいいほうで、周りには何もない場所で土管の中で生活している人もいます。路上で物乞いする女性と子どもも急激に増えました。戦闘で撃たれて歩けなくなり、その場に座り込んで物乞いするしかない男性の姿も見かけました。着るものもぼろぼろですし、街中はごみだらけで、安全に飲める水もありません。
――17年3月にはコレラの発生も報告されました。さらに同年5月、国連人道問題担当事務次長は、武力紛争、飢餓、疾病、コレラの蔓延により、国家としてのイエメンが「完全に崩壊状態にある」とまで発表しました。
白川 コレラが発生したと聞いたときは、「ああ、ついに来てしまった」という印象で、驚きはありませんでした。それくらい衛生状態が悪化していましたし、栄養失調状態が蔓延していました。特に子どもとお年寄りは深刻です。コレラだけでなく、あらゆる感染症を発症しやすいし、治療をしても病気も怪我も治りが悪い。12年時と同程度の疾病でも、今は同じように治らないのです。
イエメンの医療現場で印象的なのは、患者さんたちが静かなことです。他の紛争地域では、助けを求めて泣き叫ぶ声や怒声が聞こえるのですが、イエメンではそういう声が聞こえない。怒りも恐怖も、嘆きすらも通り越して、その日その日を生きるだけで精いっぱいなのでしょう。今の状況を言い表すとすれば、私には「悲惨」という言葉しか思いつきません。
国際的な援助が足りていない
――MSFでは、早い時期からイエメンで援助活動を行っています。MSF以外に、支援に入っている団体はあるのでしょうか。
白川 戦争が勃発し、ほとんどが撤退してしまいました。ですから、私たちMSFが医療援助だけでなく、難民キャンプに水を供給するシステムをつくっていたくらいです。その後、ごみを収集するNGOや水を供給するNGOなどが支援に入ったこともありますが、戦闘や空爆などの危険が迫れば退避せざるを得ません。これは安全確保と、長期的な援助の継続を思えばしかたのないことです。17年の派遣のときは、活動を再開し始めた複数の援助団体を見かけましたが、それでもまだまだ足りていないのが実情です。
――イエメンへの国際的な援助が進まない理由として、何が考えられますか。
白川 イエメンに対する世界の関心が低いことが挙げられると思います。シリアやイラクなど、過激派組織「イスラム国(IS)」が絡んでいる国々での戦闘はニュース性が高いのか、さまざまな媒体で報道されています。その中で人道危機の状況が伝えられれば、援助したいという団体も人も出てくるでしょう。しかし、イエメンに関する報道は非常に少ないように思います。
例えば日本の皆さんも、シリアやイラクの状況はテレビやインターネットのニュースで知っていても、イエメンに関しては、「どこにある国?」「え、戦争していたの?」といった感じではないでしょうか。イエメンが今、どんなにひどい状況になっているかをもっと報道してほしいし、私も微力ながら伝えていきたいと思っています。
医療施設が攻撃対象に
――これもあまり報道されていませんが、イエメンでは医療施設が攻撃対象となっているというのは事実でしょうか。
白川 シリアでも同様でしたが、イエメンでも何百という医療施設が空爆されています。私が15年の派遣で活動していた病院も、その後に空爆されて全壊しました。現在は、一部崩壊で済んだ病院などで、かろうじて医療が継続されているのが現状です。ですから、圧倒的に病院の数が足りないし、地元のドクターの数も減っています。避難したのか、空爆で亡くなったのかはわかりません。
――かつての戦争では、病院の屋上に赤十字の旗を掲げ、空爆を回避したというような話もありました。そうした人道的措置も、今は失われているのですね。
白川 ある軍事アナリストが、「自陣にある病院は最初に守り、敵陣にある病院は最初に攻撃する。これが今の戦争だ」と言っていました。病院だけではありません。ライフラインを断つために、マーケットなど人々の日常生活に不可欠な場がいち早く攻撃されますし、道路や橋などのインフラもズタズタに破壊されています。
地元の医療スタッフと共に
――そうした状況の中で、MSFは具体的にどのような活動をしているのですか。
著者情報
看護師
白川優子
しらかわ ゆうこ
1973年、埼玉県出身。小学1年生で「国境なき医師団」にあこがれる。高校卒業後、坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校を卒業して看護師となる。日本で外科・産婦人科を中心に看護師として計7年間勤務。2003年にオーストラリアに渡り、06年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後、現地の病院で手術室などを中心に4年にわたり勤務。2010年、37歳で念願の「国境なき医師団」に参加。外科チームの手術室看護師として、シリア、イエメン、南スーダン、パレスチナ(ガザ地区)、ネパールなど、紛争地や被災地を中心に活動。2018年7月時点で9カ国、17回の派遣経験を持つ。著書に『紛争地の看護師』(2018年、小学館)がある。