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社会問題

「1票の格差」がある限り民主主義ではない

住む場所により「1票」が「0.2票」になる

伊藤真(弁護士/伊藤塾塾長/法学館憲法研究所所長)

 選挙があるたびに毎回、問題とされる「1票の格差」。あなたの「1票」も実は「0.2票」に過ぎないかもしれない。民主主義の根幹を揺るがす現状をどう正したらいいだろう。

日本は民主主義の国とは言えない

 民主主義には色々な意味がありますが、憲法が予定する民主主義は、ひと言でいえば、政治上の権力を国民の多数意見によって動かすことです。
 国民が選挙を行い、そこで多数の票を得た人が国会議員になります。その議員が国会の多数決により法律を定め、条約や予算を承認し、内閣総理大臣を選びます。内閣総理大臣は内閣を作り、そこで行政権を行使します。内閣は、最高裁判所の裁判官を選びます。下級裁判所の裁判官は、最高裁判所が選び、内閣が任命します。このように、立法、行政、司法という政治上の権力は、さかのぼれば国民の多数意見に行き着くのです。それが、憲法が予定する民主主義です。
 少数意見に耳を傾けながら、最終的な結論は多数決で決める。1票でも多ければ法律案は法律になり、内閣総理大臣候補者は総理大臣になるのが民主主義です。
 このような仕組みのもとでは、同じ選挙制度で選ばれた国会議員であれば、その議員の背後に控える有権者は同数でなければなりません。A議員の選挙区には有権者が5万人しかいないのに、B議員の選挙区では20万人いるとすると、B議員の有権者の声は4分の1しか国政に届いていないからです。
 4分の1しか自分の声が届いていないのに、「法律で決まったんだから消費税は10%払え」「学生は勤労奉仕しろ」と命令されて納得できますか? この有権者は政治的に半人前以下だというのでしょうか。
 背後の有権者が同数であって初めて、国会の審議と議決は正当性をもつのです。これが「1人1票」なのです。
 ところが、日本の選挙の現状では、1人1票原則が無視されてきました。たとえば、2010年7月の参議院選挙では、参議院議員1人あたりの有権者数が、鳥取県で約24万人、神奈川県で約120万人でした。鳥取県で1人1票が認められているのに、神奈川県では1人0.2票しか認められていないのです。
 神奈川県だけではありません。表に示すように、ほぼ全国で1人1票原則が無視されているのです。これでどうして民主主義の国なのでしょうか。

これまでの裁判所や憲法学者の立場

 私は、30年近く司法試験受験指導を通じて法教育を行うなかで、「1票の格差」の問題も再三取り上げてきました。ただそれは、「2倍以上の格差を許さない」というものでした。2倍以上なら「1人2票」となり、法の下の平等規定(憲法14条1項)に違反するからです。
 しかしこの問題は、どこまでの不平等が許されるかという法の下の平等論でとらえるだけでは不十分です。09年頃から1人1票問題に取り組むようになって初めてそのことに気づきました。
 重要なのは、政治上の権力に多数意見が反映されているかどうかというガバナンス、つまり統治システム論の問題なのです。「半人前」に扱われる人がいなくなるように、議員の背後にいる有権者は同数であるべきなのです。
 アメリカでは、1983年に連邦最高裁判所で争われた事件(Karcher v. Daggett)で、ニュージャージー州内の各連邦下院議員選挙区間で起きた、最大1票対0.993票の最大較差を違憲・無効としています。民主主義の本場では、1人0.993票すら許しがたいものなのです。
「5倍の格差がある」というと、地方が票の重さの点で得をしていることが問題だと錯覚します。そうではなく、東京に住む私であれば、0.23票しか保障されていないのです。「他人事」ではなく「自分事」の問題です。もう「5倍の格差がある」という表現はやめて、これからは「自分には0.2票しか認められていない」事実を直視すべきです。

地方は弱い立場だが1人1票は貫かれるべき

 このような主張には、票の重さを1対1にするなんて現実には不可能だ、という批判があります。
 しかし私たち1人1票実現国民会議では、町丁の境界を考慮した参議院議員選挙仮想選挙区割というシミュレーションを公開しています。
 これは政策研究大学院大学の竹中治堅教授の参議院選挙制度改革案(東京新聞2010年8月4日付掲載)に示された全国10ブロック区分案に手直しを加えた区割り案です。最大1対0.99991まで格差を縮小できるのが特長です。
 都道府県と異なる区分を設けることには批判もあります。むしろ、都市よりも、発展が遅れがちな地方の投票価値を重くして手厚く保護すべきだとも言われます。
 しかし、第1に国会議員は全国民の代表であり(憲法43条)、選挙区の代表ではありません。国会議員の仕事は、国防や外交、経済など国レベルの政策実現です。第2に、地方の弱体化は都道府県単位の区割りで起きていることです。
 何より、実体的な政策課題と、その課題について結論を出すための手続き(選挙制度)とは分けて考えるべきです。手続き自体は、多数決原理に則した民主的な中立性を保ち、地方の保護という政策課題は、その手続きの中でしっかりと議論されるべきです。
 それを超えて、手続きの組み立て自体に地方保護という政策課題を紛れさせることには反対です。はじめから地方の保護ありき、という結論が正しいのであれば、議論はもちろん、国会などという場すら必要ないことになってしまうからです。
 最大1票対0.43票で行われた09年8月の衆議院選挙について、最高裁判所はこれを違憲状態としました(11年3月23日大法廷判決)。残念なことに、1人1票原則を憲法上の要請だとした判事は田原、宮川、須藤の3裁判官のみでした。
 幸い、憲法は最高裁判所裁判官の国民審査を設けています。憲法の実現に不適切な裁判官を辞めさせる仕組みです。1人1票を軽んじて住所による差別を容認する裁判官は、憲法の実現に不適切ですから、次の衆議院選挙のときに行われる国民審査で解任すべきように思います。今回審査対象となる裁判官で、1人1票に反対したのは、千葉、横田、白木、岡部、大谷、寺田の各裁判官です。国民審査制度が適切に活用されることを願っています。

著者情報

弁護士/伊藤塾塾長/法学館憲法研究所所長

伊藤真

いとう まこと

1958年生まれ。東京大学法学部卒。在学中に司法試験に合格し、司法試験受験指導を始める。現在、「伊藤塾」塾長として法律資格試験の受験指導を行う。著書に『中高生のための憲法教室』(2009年、岩波ジュニア新書)、『憲法問題』(13年、PHP新書)、『現代語訳 日本国憲法』(14年、ちくま新書)、『増補版 赤ペンチェック 自民党憲法改正草案』(16年、大月書店)、『私たちは戦争を許さない 安保法制の憲法違反を訴える』(共著、17年、岩波書店)など多数。

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