60年前の「キューバ危機」から学ぶ 中距離ミサイル配備がもたらす核戦争のリスク
布施祐仁(ジャーナリスト)
ロシアの「核恫喝」によって、核戦争の脅威が高まっている。その脅威は、冷戦下で最も緊張が高まったとき以来、経験したことがないレベルに達していると、国連のアントニオ・グテーレス事務総長は警告した(2022年8月、ニューヨークの国連本部で開かれた核拡散防止条約再検討会議で)。
人類が全面核戦争に最も近付いたのは、1962年10月に発生した「キューバ危機」だと言われている。二大核保有国であった米国とソ連が核戦争の瀬戸際まで進んだ。「全面核戦争による人類の絶滅」という悪夢が、あと一歩で現実になろうとしていたのである。
今からちょうど60年前の出来事だが、筆者は最近、これを単なる「昔話」とは思えなくなっている。その理由は最後に述べるとして、まずは、世界中を核戦争の恐怖に陥れたキューバ危機を振り返ってみたい。

米軍の偵察飛行によって初めて明らかになったソ連軍の準中距離弾道ミサイルR-12の発射基地(JFK図書館所蔵)
「アナディル作戦」
1962年5月24日、ソ連共産党幹部会は地上発射型中距離ミサイルのキューバへの配備を決定した。
配備するのは、射程約1800キロの準中距離弾道ミサイル「R-12」と射程約4000キロの中距離弾道ミサイル「R-14」。両ミサイルとも、TNT火薬に換算して1メガトン(広島に投下された原爆の60倍以上)の爆発力を持つ核弾頭を装着することが可能であった。キューバにこれらのミサイルを配備すれば、ハワイ州とアラスカ州を除く米本土のほぼ全域を攻撃することが可能になる。
米国に阻止される可能性があったため、ミサイルや核弾頭のキューバへの持ち込みは秘密裏に行わなければならなかった。「アナディル作戦」と名付けられ、経済援助物資に偽装しての輸送が7月から開始された。
ソ連がキューバへの中距離核ミサイル配備を決定したのには主に2つの理由があった。
一つは、キューバの防衛である。キューバでは1959年に革命が起こり、親米のバティスタ政権が倒されていた。フィデル・カストロが率いる革命政権は社会主義を目指すことを宣言し、ソ連と急接近していた。米国はカストロ政権を敵視し、1961年4月には、同政権を転覆するために亡命キューバ人に武器を与えて侵攻させた(ピッグス湾事件)。侵攻部隊はキューバ軍に撃退され、作戦は失敗に終わった。カストロ政権は、米国の軍事侵攻に備えるため、ソ連に軍事援助を求めた。それに応え、ソ連はキューバへの中距離核ミサイルの配備を決めたのである。
もう一つの理由は、米国とソ連との「ミサイル・ギャップ」であった。米国は1962年5月までに、ソ連から最短200キロの距離にあるトルコ国内に、中距離弾道ミサイル「ジュピター」を配備していた。一方、ソ連が保有する米国本土を攻撃できるミサイルは、大陸間弾道ミサイル(ICBM)数発だけだった。キューバに中距離ミサイルを配備すれば、こうした戦略的に不利な状況をひっくり返すことができる――ソ連のフルシチョフ首相には、こうした思惑もあった。
米軍部はキューバへの武力侵攻を主張
1962年10月14日、キューバ上空を飛行した米軍偵察機U-2が、同国にソ連軍の中距離ミサイルが配備されている証拠をつかんだ。世界を震撼させることになるキューバ危機は、ここから始まった。
首都ワシントンも含めて米本土のほぼ全域が射程圏内に入ることになるキューバへの中距離ミサイル配備は、米国にとって看過できない重大な脅威であった。軍部はキューバへの武力侵攻を強く主張した。
米統合参謀本部は、ソ連のキューバへの中距離ミサイル配備が明らかになる以前から、カストロ政権の転覆を目的とした侵攻計画を練り上げていた。米国政府が公開した当時の機密文書によれば、1962年9月下旬時点で、キューバ侵攻のためのOPLAN(作戦計画)が少なくとも3つ存在していた(*1)。統合参謀本部は、これらの作戦計画に基づき、第一段階でキューバ国内のミサイル基地やレーダー施設、飛行場、港湾などを空爆し、第二段階で上陸・侵攻することをケネディ大統領に進言した。
10月19日に開かれた国家安全保障会議(NSC)の拡大会議で、空軍トップのカーティス・ルメイ参謀総長(※第二次世界大戦で東京大空襲を始め日本本土への戦略爆撃を指揮した人物)は大統領に「軍事介入する以外にはどんな解決策も見当たらない」と述べ、武力侵攻が絶対に必要だと強く迫った。海軍トップのジョージ・アンダーソン作戦部長、陸軍トップのアール・ホイーラー参謀総長も武力侵攻を支持した。(*2)
一方、ロバート・マクナマラ国防長官は、いきなり武力侵攻をするのではなく、まずは海上封鎖で圧力をかけることを主張した。軍部の強い主張に押されて一度は武力侵攻に傾いたケネディ大統領だったが、最終的には海上封鎖を選択した。
海上封鎖を選択した理由は、奇襲的に大規模な空爆を行ってもキューバに配備されたすべてのミサイルと核弾頭を破壊できるとは限らず、米本土が核ミサイルで反撃される可能性が否定できないからであった。
海上封鎖とDEFCON 2
10月22日夜、ケネディ大統領は国民向けのテレビ演説を行い、キューバに配備されたソ連の核ミサイルの脅威を取り除くため海上封鎖を行うと発表した。
通常、平時に海上封鎖のような強制行動をとるには、国連安全保障理事会の決議が必要である。しかし、ソ連が拒否権を行使する可能性が高く、決議が採択される見込みはなかった。そのため米国政府は、「封鎖」(Blockade)という言葉を使わずに「隔離」(Quarantine)と言い換え、これは「武力行使」にも「強制行動」にも当たらないと強弁した。
国防総省は「(キューバに向かうソ連船が)停船命令を拒否すれば撃沈する」と警告。統合参謀本部は、防衛準備態勢のレベルを表す「DEFCON」を第二次世界大戦後初めて、準戦時の一つ手前の「3」に引き上げた。
これに対して、ソ連政府は「米国の措置は公然たる海賊行為」と非難する声明を発表し、キューバに向かうソ連船は米軍の停船命令は拒否すると表明。ソ連軍の戦闘準備態勢を引き上げるとともに、全兵士の休暇の中止を命令した。
米国は10月24日午前10時に海上封鎖を開始した。
同時に、戦略核攻撃を任務とする戦略航空軍団(SAC)のDEFCONは「準戦時」を意味する「2」に引き上げられた。同軍団のB-52戦略爆撃機は核兵器を搭載し、24時間空中待機の態勢についた。一方、ソ連のフルシチョフ首相は、米軍がソ連船を停止させて臨検すれば、海賊行為とみなし、ソ連軍潜水艦に米軍艦船を撃沈するように命ずると警告した。
米軍機撃墜で緊張は最高潮に
著者情報
ジャーナリスト
布施祐仁
ふせ ゆうじん
1976年、東京都生まれ。『ルポ イチエフ 福島第一原発レベル7の現場』で平和・協同ジャーナリスト基金賞、JCJ賞を受賞。三浦英之氏との共著『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。著書に『日米密約 裁かれない米兵犯罪』『経済的徴兵制』、共著に『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』などがある。
イミダスの連載「伊勢崎賢治・布施祐仁に聞く『日米地位協定と主権なき日本』」はこちら!