imidas - 情報・知識&オピニオン

探究

国際

トランプ政権時代に求められるこれからの日米外交(1)

猿田佐世×中島京子対談

中島京子(作家)

猿田佐世(新外交イニシアティブ代表)

(構成・文/川喜田研)

就任前から、さまざまな物議をかもし、混迷を続けるトランプ政権。政権誕生の衝撃を受けてこれから日米外交の行く末を、日米外交に詳しい猿田佐世と作家の中島京子が語り合った。

[この記事は、2016年11月26日に東京の星陵会館で行われた『新しい日米外交を切り拓く』(猿田佐世著、集英社クリエイティブ)の刊行記念シンポジウム「新しい日米外交を切り拓く-過去・現在・そしてアメリカ大統領選を経て」(新外交イニシアティブ主催)での猿田佐世さんと中島京子さんとの対談をイミダスサイト上に再録したものです。]

猿田 中島さん、大変お忙しい中、本当にありがとうございます。今日は私の方から中島さんを対談相手に選ばせていただいたんです。最初にお付き合いをさせていただいたきっかけが、今、中島さんが連載を持っておられる『本の窓』という雑誌で、対談の第一号の相手に私を選んで頂いたんですよね。私にとっては大変光栄なことだったのですが、そもそも、あれはどういった理由で選んでくださったのですか?
中島 『本の窓』というのは、小学館が出している雑誌なんですが、そこで私がホスト役になって対談を始めたんです。そもそも連載を始めたときに、未来が明るい気持ちになれるような、そういうお話をしてくれる方を探して、お話を聞きたいというのが最初にあったんですね。
 それで、私は猿田さんのことを、沖縄の名護市長さんが訪米されたときのアレンジをされたすごく優秀な若い女性の方がいると、ちょっとだけ知っていたんです。そういうことをする人がいるのかと思ってビックリして、「この人にお話を聞くと、今までと違う未来が開けるんじゃないか」と、ほんとにそう思ったんです。それで、ぜひ、お願いしますと言ってお会いしたんです。
猿田 ありがとうございます。今の日本ではごく一部の限られた人たち以外に外交というものに関わる機会がないんです。私がアメリカの首都ワシントンへお連れしてきたのは、辺野古の基地建設に反対している稲嶺進名護市長などの沖縄の方ですとか、原発のことやTPPのことに声を上げている方々です。私自身が一人で米議会を回ったりもして、フロンティアとして何かできないかとワシントンの中でもがいてきました。

驚くほど多様性を欠く、ワシントンの日本人コミュニティ

中島 これまで猿田さんがやっているようなことをした人はいなかったわけでしょう。だから「日本の声」はすなわち「日本政府の声」でその声だけがワシントンに届くというのが、自明のことになっていた。でも、そうじゃないことができるんだ。それをやる人がいるんだというだけで、私はすごくビックリして。これからはそういうことを、やらなくちゃいけないんだなと思ったんです。
猿田 ありがとうございます。『新しい日米外交を切り拓く』(集英社クリエイティブ)にも書きましたが、私自身、ワシントンに住んでいて一番ビックリしたのは、そこに暮らす日本人コミュニティに驚くほど「多様性」がないということだったんですね。とりあえず日本は民主主義国家ですから、発言の自由も表現の自由もある。ですから、沖縄の基地のことでも「辺野古の基地建設、賛成ですか、反対ですか」という質問をすれば、日本本土ですら過半数は「要りません」という答えになることが多い。それなのにワシントンでそういう発言をする日本人は本当に皆無なんです!
 もちろん、アメリカ人は、と言えば、その大半はそもそも沖縄の基地のことは、知りもしないし、関心もないんですけど……。ワシントンにいる日本人で「辺野古に基地をつくるべきでない」なんていう人には、ほとんど会うことがない。日米外交に関わるコミュニティから外れている方を除いて基本的にはほとんどいないですね。
中島 つまり、ワシントンの日本人コミュニティが、すごく偏っているんですね。
猿田 ワシントンの日本人といえば、その多くが大使館員か、大企業の方か、大手メディアの方で、そこに仕事としておられる方ですね。
中島 でも、私たちのような普通の人たちは、そのこともよくわからないから、ワシントンに駐在していた人たちが、偉そうに話すことは「アメリカのことをよく知っている人が考えることだから、やっぱり、それが正しいのかな」と、ずっと思わされてきたところがあると思うんです。それにしても、猿田さんはワシントンに行ったのに、どうしてそういう「ワシントン頭」にならなかったんですか?(笑)
猿田 うーん、もう30歳にもなっていたんで、あんまり頭も柔らかくなかったから(笑)。自分が既に持っていた価値観が変わらなかったというのが、おそらく正直な答えだと思います。私は2007年からニューヨークに住んでいまして、ニューヨークは雑多な町ですから、そこに暮らす日本人には多様性もちゃんとあって、いろんな考えを持っている人たちがいるんですね。
 そこから09年にワシントンに引っ越しをして、1カ月もしないうちに民主党への政権交代がありました。そこでの日本人の皆さんの反応というのが、政権の初めからあまりにも民主党政権に冷たいし、沖縄の基地を、少なくとも普天間基地は沖縄県外に出したいという鳩山さんの考えについて「何をバカなことを言っているんだ」というような反応ばっかりだったので「あれっ?」って疑問を持ったんです。

「アメリカの声」はひとつではない

中島 猿田さんの話で、すごくおもしろかったのは、確かにワシントンの日本人たちには、多様性がないけれども、ワシントンのアメリカ人たちには多様性があって、必ずしも一つの意見ではなかったということですよね。
猿田 先ほどお話したように、ワシントンの日本コミュニティには多様性はないんです。ところが、例えばシリア空爆反対でも、イラク戦争反対でも、アメリカでは数万、10万人といった人がデモのために集まります。私が行っていたワシントンのアメリカン大学はリベラルな大学だったので、先生が授業を休講にして、先生も一緒にデモに行くというようなこともありました。アメリカっていうのはそんな国でもあるわけです。
 そういうアメリカと「沖縄に基地を押し付け続けているアメリカ」というのは同じ国のこととは思えないくらい異なる。ところが、そうした「多様な声」の存在が、ワシントンの日本コミュニティにはないんです。トーンが一色なんですね。
中島 そこがやっぱり異常だし、これまでずっと70年間それでやってきたのかという、ビックリなところだと思うんです。
猿田 そうですね。中島さんはアメリカに1年間おられて、どんなイメージをアメリカに持っておられましたか?
中島 私は小学校でインターン教師をしていたんですが、アメリカでいいなと思うのは私が「何かやりたい」とか「これを知りたい」とか言ったりすると、「じゃあ、どうすればいいかな」って一緒に考えてくれたり「それだったら、あそこに行って、聞いてみたらいい」とか、だいたいポジティブな反応が返ってくるんです。
 でも、日本で何かやりたいと言うと、割とネガティブな反応というか、「ウーン。それはね、難しいよ」みたいなことのほうが多いんですね。猿田さんは、ワシントンに行って、アメリカ議会や政府関係者へのロビイングを始めていくわけですけれども、そんなことが、この一人の若くて小柄な女性にできるというのは、やっぱりそれはアメリカの良さなんじゃないかなというふうに思います。
猿田 そうですよね。アメリカの議員に対して沖縄に基地をつくらないでくれとお願いするにはどうしたらいいのか?みたいなことは、もちろん、私も知らないし、周りの日本人で教えてくれる人はいない。ですから、私が見よう見まねでロビイングを始めたときに、私を助けてくれたのはアメリカの友人たちでした。草の根の声をなんとかして政府につないでいきたいというような活動を日々行っているような友人たちです。彼らは「まず議員にはこうやったら連絡が取れるんだよ」とか「アメリカの議会の中で院内集会を開くためには、こうやってやらなきゃいけないんだよ」ということを教えてくれた。そういう風に、アメリカ人は、本当にやる気のある人のことを応援してくれるという面はあって、意志があるところに、道ができやすい国だろうなと思いますね。

TPP問題が象徴する「対米従属」の歪み

著者情報

作家

中島京子

なかじま きょうこ

1964年生まれ。女性誌編集者を経て、2003年、田山花袋の『蒲団』を下敷きにした小説『FUTON』でデビュー。10年、『小さいおうち』で直木賞を受賞。14年には同作が山田洋次監督により映画化された。同年、『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花賞を受賞。著書に『彼女に関する十二章』、『長いお別れ』、『かたづの!』ほか多数。

新外交イニシアティブ代表

猿田佐世

さるた さよ

1977年生まれ。早稲田大学法学部卒業。国際人道支援NGO活動などを経て、2002年に弁護士登録。08年、米コロンビア大学ロースクールにて法学修士号取得。09年、ニューヨーク州弁護士登録。12年アメリカン大学国際関係学部にて国際政治・国際紛争解決学修士号取得。著書に『新しい日米外交を切り拓く 沖縄・安保・原発・TPP、多様な声をワシントンへ』(集英社クリエイティブ、2016年)などがある。

関連記事