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ドイツはなぜ「脱原発」ができたのか

原発リスクと市民の不安へのメルケル政権の回答

熊谷徹(ジャーナリスト)

 東日本大震災での日本の原発事故を受けて、早々に「脱原発」を決定したドイツ。ヨーロッパ有数の経済大国は、いかにしてエネルギー政策を転換したのか。

ドイツの鮮やかな政策転換

 ドイツは、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で、エネルギー政策を大きく変えた。事故から4カ月後の2011年7月8日に、すべての原発を廃止するための法律を、議会で可決させたのだ。
 福島原発事故の直前、ドイツには17基の原子炉があった。メルケル政権は福島原発事故が起きた4日後に、「原子力モラトリアム」を発令し、1980年以前に運転を始めた7基を直ちに停止させた。この7基と、トラブルで止まっていた1基は廃炉になり、残りの9基も2022年12月31日までに順次止めていくことを決定した。
 ドイツがこれほど早急に原子炉の廃止を決められた理由は、(1)約40年前から激しい原発論議が行われ、原子力に批判的な市民の比率が高かったこと、(2)緑の党という環境政党が政界で大きな影響力を持っていること(緑の党の11年初めの支持率は約20%で、議会で3番目の勢力)、そして、(3)福島原発事故の11年前に、電力業界との間で脱原子力について合意していたことだ。原発廃止の道筋が決まっていた裏には、緑の党の存在が大きい。
 02年6月、社会民主党と緑の党からなるシュレーダー政権(当時)は、原子炉の稼働年数を32年に限る「脱原子力法」を施行させた。この法律によると、22年もしくは23年には原子力発電所がなくなる予定だった。ドイツは環境意識が世界で最も高い国の一つであり、1970年代から、日本以上に激しく反原発闘争が吹き荒れてきた。
 環境保護派は、80年に、脱原子力を政策目標の一つにした緑の党を結成。同党は3年後に連邦議会入りした。86年にソ連のチェルノブイリ原発で大事故が発生し、ドイツ南部で土壌や野菜、家畜が放射性物質によって汚染されると、ドイツ人の原子力に対する不信感は一段と強まった。緑の党はそうした世論を背景として支持率を年々高め、98年に連立政権に加わり脱原発を実行したのだ。

完全には消えない「残余のリスク」

 しかし近年、地球温暖化に対する市民の懸念が強まり、二酸化炭素など温室効果ガスの削減も、ドイツ政府にとって重要な目標となった。メルケル政権は、電力業界や産業界の意向を受けて、2010年10月に原子炉の稼働年数を平均12年間延長した。
 理論物理学者でもあるメルケル首相は原子力擁護派だったが、福島原発事故に強いショックを受けた。首相によると、原発が持つ客観的なリスク自体は、福島原発事故以後も変わっていない。しかしリスクに対する受け止め方は、事故によって大きく変化した。
 様々な安全措置を講じても、完全に消し切れないリスクを「残余のリスク」と呼ぶ。首相は福島原発事故が起きるまでは、残余のリスクは重大な事故にはつながらないので、受け入れられると考えていた。しかし福島原発事故によって、残余のリスクがこれまで考えられていたよりも大きく、外部電源が完全に止まって冷却機能が失われれば、同様の事故はヨーロッパでも起こりうると考えるようになったのである。
 この事故が日本で起きたことの意味も大きかった。原発推進派は「チェルノブイリ事故は、社会主義国だから起きたものであり、西側では起こりえない」と主張してきた。しかしドイツ人は、日本のようなハイテク国家ですら原子力事故の国際評価尺度でレベル7の過酷事故を防げなかったことに衝撃を受け、原子力を拒否する姿勢を強めたのである。

市民の不安と委員会の勧告

 メルケル首相が党首であるキリスト教民主同盟(CDU)だけでなく、すべての保守政党が福島原発事故をきっかけに脱原発派に転向した裏には、リスク意識の変化だけではなく、「原子力推進の姿勢を維持したら、選挙で緑の党に票を奪われる」という懸念もあった。ふだんから原子力エネルギーに批判的だったドイツのマスコミは、福島原発事故についてセンセーショナルな報道を行い、ドイツ市民の間では強い不安が広がっていた。公共放送局ARDが福島原発事故の2週間後に行った世論調査によると、回答者の86%が「20年頃までには原発を廃止するべきだ」と答えている。
 ドイツ政府は福島原発事故の直後に、原子炉安全委員会にすべての原子炉のストレステストの実施を要請。委員会は2カ月間にわたって、地震や停電、航空機の墜落などに対するドイツの原子炉の耐久性を審査したが、「安全上の理由から、すべての原発を直ちに廃止するべきだ」という結論には至らなかった。
 しかしメルケル首相が福島原発事故後に招集した、エネルギー供給に関する倫理委員会は、全く逆の結論に達する。委員会のメンバーである社会学者や哲学者、宗教関係者たちは、「福島原発事故の結果、原子力リスクの分析を技術者だけに任せることは間違いであることがわかった。原子炉事故の影響は地域的、時間的、社会的に限定できないので、リスクを正しく予想することが極めて困難。したがって、原子炉を出来るだけ早く廃止して、よりリスクの少ないエネルギー源によって代替するべきだ」と政府に勧告した。

電力不足は避けられるか

 急に脱原子力を実行しても、電力不足は起きないのか。10年のドイツの発電量に原子力が占める比率は、約23%。政府は、原子力を短期的には天然ガスや石炭火力発電所によって代替し、長期的には再生可能エネルギー中心の社会に移行することをめざしている。10年には再生可能エネルギーの比率は約16%だったが、20年には35%、50年には80%に引き上げる。
 ドイツは風力や太陽光で作られた電力の全量買い取り制度を実施しており、国民がこれらのエネルギーを振興するための税金を払っている。このため、脱原子力と再生可能エネルギーの拡大によって、電力料金が高くなることは避けられないと見られている。
 ちなみにドイツ政府が福島原発事故の直後に7基の原発を停止させた時、広域停電は起こらなかった。日本のような計画停電は実施されなかったし、企業も電力節約を義務づけられなかった。その最大の理由は、ヨーロッパ諸国の間で電力の輸出入が日常茶飯事になっていることだ。ドイツは、福島原発事故までは電力輸出量が輸入量を上回る「純輸出国」だったが、事故以降はフランスやチェコからの輸入量が2倍に増え、純輸入国になった。
 欧州連合(EU)は単一の電力市場の創設を目標にしており、今後電力の輸出入量はさらに増える見通し。ただしフランスでは原子力が発電量の約75%を占めているため、ドイツが国内の原発を完全に停止しても、外国から輸入する電力の一部は原子力で作られたものであるというジレンマは残る。

著者情報

ジャーナリスト

熊谷徹

くまがい とおる

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局在勤中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツのミュンヘン市に在住。統一後のドイツの変化、ヨーロッパの政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材・執筆を続けている。著書に『新生ドイツの挑戦』(1993年、丸善)、『びっくり先進国ドイツ』(2004年、新潮社)、『顔のない男―東ドイツ最強スパイの栄光と挫折』(2007年、新潮社)、『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争の真実』(2012年、日経BP社)、『日本とドイツ―ふたつの「戦後」』(2015年、集英社)、『偽りの帝国―緊急報告・フォルクスワーゲン排ガス不正の闇』(2016年、文藝春秋)、『イスラエルがすごい―マネーを呼ぶイノベーション大国』(2018年、新潮社)、『ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか』(2019年、青春出版社) など多数。『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』(2007年、高文研)で第13回平和・協同ジャーナリスト奨励賞受賞。ホームページはhttp://www.tkumagai.de/

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