〈流動化する世界情勢と日本1〉米一極支配と同盟構造の崩壊
岡田充(共同通信客員論説委員)
「外交の安倍」? 誰が言い始めたのか知らないが、安倍首相本人もまんざらではないのだろう。その証拠に1月の所信表明演説では「戦後外交の総決算」を掲げ自画自賛した。「地球儀を俯瞰する外交」というキャッチコピーの下、「78か国・地域」を訪問した(2019年1月時点、官邸HP)のも自慢のタネ。しかし2012年からこの6年余の安倍外交を振り返れば、歴史に名を刻む「レジェンド」にしたい対ロ外交をはじめ、中国、朝鮮半島、「インド太平洋」外交でいったいどんな成果が上がったというのか。むしろ日本の発言力と存在感が加速度的に失われていった6年だったと思う。いま世界で起きている「100年来」の地殻変動を整理しながら、5回にわたって「外交の安倍」の実像に迫りたい。

2018年6月にカナダで開催されたG7でトランプ大統領と議論するメルケル首相ら。
米一極から多極化する世界経済
まず地球規模で起きている地殻変動をざっと整理する。
1989年の東西冷戦終結から30年。米一極支配を特徴とする「冷戦後」時代が終わり、「リーマンショック」(2008年)を境に、世界は「ポスト冷戦後」時代に入った。地殻変動は米国の衰退と中国の台頭という「パワーシフト」(大国間の重心移動)をもたらしている。変化は国際政治にとどまらない。資本主義経済システム自体も行き詰まっている。

パワーシフトを経済力から見る。上の図表は、米中日3大経済国の国内総生産(GDP)の過去40年の増減を表すグラフだ。国際通貨基金(IMF)が2019年4月に発表したデータを基に、世界のGDPに占める日米中3国のシェアを示している。
米GDPは、レーガン政権時代の1985年には世界の約35%を占めていたが、リーマンショック後の2011年には21%まで落ち込んだ。
米国より下落幅が大きいのは日本。バブル経済を謳歌していた1995年には18%のシェアだったのに、14年には6%とざっと3分の1に落ち、今も下降し続ける。一方、80年代に2%台だった中国は、改革開放経済が軌道に乗った90年代後半に「テイクオフ」を開始し、2010年にGDPで日本を追い抜き、現在のシェアは15%と完全に日本を逆転した。
ついでに言うと日本人の1人当たりGDPも下降し、アジアではマカオ、シンガポール、香港に次いで第4位である。このグラフは「日本の発言力と存在感が加速度的に失われた」経済的背景をよく説明している。
この図表にはないがEUのシェアも約22%を占める。「米中新冷戦」という言説があふれ返っているが、経済力から見れば、世界は「米一極」から「多極化」への移行過程にあると言うべきだろう。中国は、米国に代わる「チャイナスタンダード」を提唱しているわけではない。ここは「米国か中国か」という二択論の落とし穴にはまらぬよう注意したい。
資本主義も行き詰まり
「ポスト冷戦後」時代への移行を鮮明にしたのがリーマンショック。「見えざる手」の市場があらゆる決定権を持つ金融資本主義は、高度な金融工学を駆使した金融レバレッジ(梃子)によって自己増殖を続けてきた。あり余って行き場を失ったマネーに、「架空の需要」をつくり出したのである。1997年のアジア通貨危機と2008年のリーマンショックで、世界はマネーが人の手を離れて独り歩きする状況を味わった。
それは経済にとどまらず、国家の統治危機(インドネシア、韓国、ロシア)をも招くことを知らされた。同時に、資本主義経済システム自体の限界も見え始めた。1929年の「大恐慌」は、資本主義経済システムに社会主義的要素を取り入れることによって、資本主義を再生させた。だが今は、再生の契機を見いだせていない。
リーマンショックを受け中国政府は、4兆人民元(当時のレートで約57兆円)の資金を投入して、内需を刺激し世界経済を下支えした。米一国では世界経済を支えることができない時代の始まりである。
キーワードは「同盟」
米一極支配は、経済的にはこのように崩れた。では国際政治と安全保障面ではどうだろう。まず指摘しなければならないのが、安倍外交が金科玉条のようにすがる「日米同盟」を支えてきた同盟構造そのものの揺らぎである。
一例を挙げよう。昨年実現した米朝首脳会談と南北首脳会談によって、北朝鮮を「敵」としてきた「日米韓同盟」は機能不全に陥っている。冷戦構造の下で敵対関係にあった南北が「和解と協力」に踏み出したことによって、同盟関係が空洞化したのである。しかし安倍政権は核・ミサイル問題で厳しい対北経済制裁を主張し、米朝首脳会談直前まで「対話より圧力」の硬直姿勢を続け、東アジアの構造変化に対応できなかった。
そもそも「同盟」とは何だろう。米国中心のアジアの同盟関係は、1952年に確立した「サンフランシスコ条約」体制に遡らねばならない。この年、米国は日本の独立を認めるとともに、日米安保条約をはじめ、オーストラリア・ニュージーランドとの太平洋安全保障条約(ANZUS)、米比相互防衛条約、米韓相互防衛条約、米華(台湾)相互防衛条約――と、反共諸国と次々に同盟関係を結んだ。
ベトナム戦争中の67年に設立された東南アジア諸国連合(ASEAN)も、当初は東南アジア諸国の共産ドミノ化を恐れた米主導の同盟関係だった。
こうした各種の同盟は、朝鮮戦争に始まるアジア冷戦下で、ソ連、中国、北朝鮮、旧北ベトナムを「敵」として封じ込める幾重もの軍事・安保体制であった。目的は、東アジアで米国の政治的・軍事的支配を確立し、維持することだった。
改革開放が変えたアジア
しかし70年代に入り国際環境は一変する。米中和解(72年)とベトナム戦争終結(75年)、そして中国の改革開放政策(78年)によって、多くの同盟国の最重要課題は、共産主義への軍事的封じ込めから、経済建設に変わったのである。米国にとっても、中国はもはや「敵」ではなくなった。
特に、鄧小平の改革開放政策はアジアにおける冷戦構造に幕を引き、ひいては10年後(1989年)に冷戦を終結させる引き金にもなった。一国の経済政策の転換が、世界の政治構造の変化を促した珍しい例と言えるだろう。米国の歴代政権も、中国が市場経済の中で成長すれば、やがて民主化し自由化するという幻想を抱いた。
日本を含めアジア諸国では、内外政策でイデオロギー対立をやめ、経済発展に力を傾注した。中国の飛躍的発展だけでなく、アジアが世界の成長センターになる基礎はこうしてつくられたのである。
89年の冷戦終結はそれを加速させた。共産主義の防波堤だった韓国、台湾、ASEAN諸国にとって、経済的に台頭する中国と安定した関係を築くことが発展の必要条件になった。もちろん日本にとっても。「敵」の存在を不可欠とする「サンフランシスコ体制」の同盟構造はこうして崩れていったのである。米国は、安全保障面でも一極支配を維持するのが困難になった。
南沙紛争で同盟再構築
「同盟」のほころびを繕うため、米国は南沙諸島の領有権で中国と対立するフィリピン、ベトナム、インドネシア、マレーシアなどと新たな協力関係を模索し、中国の影響力拡大に対抗しようとした。新たな同盟の再構築である。
米歴代政権は従来、南沙問題については「中立と不介入」の方針だった。態度を変えたのがヒラリー・クリントン国務長官。2010年7月のASEANアジア地域フォーラム(ARF)で「米国は航行の自由と南シナ海での国際法の順守について国益を有している」と、積極関与に転換したのである。
「オブザーバー」から「関与者」に変わることによって、南シナ海問題は米中駆け引きの「最前線」になる。中国の軍事的台頭にブレーキをかけなければ、地域における米国の支配が失われるという焦りでもある。
その後、米政府は15年10月から「航行の自由作戦」を開始した。イージス駆逐艦を中国の人工島の12カイリ(22キロ)内を航行させ、メディアは「高まる米中軍事衝突の危機」と、米中軍事衝突の危機を煽った。
しかし「作戦」の狙いは地域における米国の軍事的優位を演出することである。中国の埋め立てを黙認すれば、米国の影響力後退を同盟国から見透かされてしまうからだ。一部メディアが煽り立てるような、中国との衝突を目的にした軍事行動ではない。中国側も衝突回避のために自制している。
外交で脅威はなくせる
著者情報
共同通信客員論説委員
岡田充
おかだ たかし
1948年、北海道生まれ。1972年、慶応大学法学部卒業後、共同通信社に入社。香港、モスクワ、台北各支局長、編集委員、論説委員を経て2008年から現職。著書に『中国と台湾 対立と共存の両岸関係』(講談社現代新書、2003年)、『尖閣諸島問題―領土ナショナリズムの魔力』(蒼蒼社、2012年)などがある。